青春プレイボール!

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ツーアウト満塁。そしてゆっくりとバットをお供に歩み寄るのは、四番打者、葉羽小波くん。猪狩兄弟のような天才じゃない。友沢くんのようなセンスの持ち主じゃない。みずきやあおいちゃんのような切り札を持っていない。ただ、誰よりも野球が好きで、矢部くんと目を輝かせながらボールを追いかけていた人。誰よりも優しくて、チームのことを考えていた人。そんな彼が、ついに大黒柱になったのだ。

初めて出会った時は球拾いもさせてもらえないような立場、そして去年までは下位打線。華々しいとは言えないけれど、泥くさくて美しい彼が構える。

私と話すときにいつもいつも柔らかく丸みを帯びる瞳は鋭く木場くんを牽制。その目がどれほど真剣味を加えているか、帽子のつばからのぞく真っ直ぐで私と同じ色の宝石に釘付け。深く深く刺さったものだから、釘抜きなんかじゃ抜けそうにもない。

木場くんが腕で汗を拭う。葉羽くんは、まさにそのたったひとつの動作すら見逃さないライオン。
しかし、木場くんが怖気づくはずもない。彼は目に青い炎を映してから大きめのフォームで振りかぶった。

一球目、水鳥くんが構えたミットに迷いなく吸い込まれたのはストレート。主審の声で黄色のランプが点灯した。満塁で四番、こんな漫画のような場面でこれぞというコースに銃を撃ち込み、歯を見せられるのなんて、木場くん以外にいるでしょうか。たかがストライクひとつ、されどストライクひとつ。彼は思い切りその右腕で拳を作ってみせた。強靱な筋肉がすべて浮足立つほどに腕は青筋だらけだ。

一方の葉羽くんは、バットを身体の横に構えたままだった。今から一球目なのかと錯覚してしまうほど。私の焦がされた頬が改めて赤く染まる。

腕を掲げた。二球目の鐘が鳴る。

木場くんの後ろからなにかが後押しする。それを纏った彼が右手から振り抜いたのはさっきよりも球威のあるストレート。インハイを射ぬいてくるなんて。ジリジリ燃える太陽の熱さにやられているのは、このふたりだけじゃない。マスク越しに目を光らせるのは水鳥くん。なんと、なんの躊躇いもなく葉羽くんの顔付近にミットを差し出し、野手なんかいないかのように駆けてきたそれを受け止めた。

もうひとつ灯る黄色信号。再び木場くんが咆哮を上げ、同調したベンチやバックからも肉食獣が生まれる。追い込まれた。このままじゃ、葉羽くんは食べられてしまうんじゃ。嫌な汗が心臓にぽとりと落ちてきて、身体を震わせる。ただただ、ベース上からその時を待つ仲間たちと研ぎ澄ました一撃に全てをかけようとする彼を見つめることしかできない。

水鳥くんがサインを送る。木場くんが頷いた。三球目だ。

彼の右手が下ろされた。そこから放たれたボールは、さっきとは比べものにならないほど球速が落ちているじゃないか。変化球だ!
私ははっと息をのむ。ここにきて、緩急を使い分ける器用さをひけらかそうとでもいうの。葉羽くんが振らされてしまう。

しかし、彼はボールをしっかり目で追いながらもその行方に手出しはしなかった。審判も同じだ。スコアに煌めいた緑色にこれほどない安堵感が広がる。ものすごい集中力だ、聖ちゃんに負けないほどの。
木場くんの顔から子供みたいな笑みが消えた。無心にただ光っている金色の瞳。手を痛いほどに思い切り結びつける。

四球目、あら?私の目がぱちりと瞬いた。木場くんが首を振っている。ここに来て意見の仲違いだろうか。ボールを握る彼は一貫して自己を通したいみたい。

勝負、したいんだ。やがて水鳥くんがミットを下ろした。木場くんに任せる意思表示。

勝負が決まる。

なんの根拠もなく閃光のような、稲妻のような輝きが私を突き抜けた。ああ、葉羽くん、お願い。

木場くんが目を閉じている。そのまま掲げた右腕を太陽が照らして、まさに力を蓄えているよう。グラブで被せると、その火の玉を大事そうに胸に寄せる。左足が上がった、そう感じる間もなく思い切り叩きつけられた。左足から砂煙が揺らして、木場くんが隠れて。私はそれを払うように眉を据わらせる。

三人が同時にベースを蹴った。サインは出ていなかったはずなのに。でも私にまで駆け抜けた雷鳴が彼らの耳に入らないわけがない。一心不乱に次の塁を目指すランナー、ついに目覚めたバッター、合図もなくこの四人はひとつになった。木場くんの指を離れた燃え盛る爆速は、葉羽くんのバットによって水鳥くんに届きはしない。

カンッ、と威勢のいい音がした。それと同時に私の周りの人が立ち上がる。耳が潰れてしまいそうなほどの歓声が一斉に荒波へ。

「外野……破ったぞ!」

近くの誰かが叫んだ。私はそんな場所を見ていない。だって、葉羽くんなら打ってくれるって信じていたから。

立ち尽くす水鳥くんのそばを一人、二人、この球場で一番大きな塁を確かに踏みつけて帰ってくる赤いユニフォーム。そして、最後まで彗星のように駆け抜けたファーストランナー、三人目。セカンドベースで葉羽くんが大きくガッツポーズを決めた。私やあのベンチにいる人しか知らないボール拾いに勤しむ姿、そこからこんな、こんな。

胸が熱くなる。これは太陽のせいなんかじゃないよね。
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