青春プレイボール!
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「百合香!?」
ベンチでいち早く私に気づいたのはあおいちゃんだった。その声で控えメンバーの目が全て私に突き刺さる。猪狩くんも青い瞳がまんまるになっていて、その根源である私はどこか他人事のように面白味がじわりじわり、舌を刺激した。
彼らに笑顔ひとつだけこぼすと、すぐに監督のもとへ。背の高い男の人だ、上から小さな瞳がこちらを向く。長い間忘れていた緊張感。力を入れて身体をまっすぐに伸ばした。
「お久しぶりです、監督」
「お前がここに来ているとはな。実家はここから甲子園よりも遠いと聞いたが」
「はい。でも……自分が来たいと思ったから、ここへ来ました」
「……そうか」
やっぱり、この人はなんでもお見通しらしい。きっと、私がここに来た理由もなにもかもわかっているのだろう。それ以上話すことは何もないと、私を簡単に引き下げた。そんな気遣いに饗されながら、私はマウンドへと視線を投げる。
投球練習中のみずきから投げられたのはスクリュー、彼女の決め球との落差もあって勝負できるだろう。しかし、今までずっとずうっと彼女を見てきた私からすれば、棒球もいいところ、みずきなら指先だけでかけられるであろう慎ましく添えられた回転に頼るただの変化球。
それは、私の額に青筋を立てるのには十分でした。
ダンッと女の子らしかぬ音を立ててベンチの前に手をかける。横にいた小筆ちゃんの肩が跳ねたけれど、謝罪もなし。それどころじゃないの、ごめんなさいとせめてもの気持ちをそっと心に綴っておいた。
さて、見つめるのは彼女のこと。思い切り息を吸って喉を膨らませる。手で口元にメガホンを作って、私の声が全て彼女に届け。体中にうずく不満をその女の子にぶつけてやる。
「みずき、しっかりしなさい!」
水色の髪が揺れて、私を見る彼女。猪狩くんと同じようにだんだんと目を大きくするものの、今度は面白味も美味しくもない。
「なによ、そんな球!」
「百合香……!?」
「練習試合でも投げないでしょう!?」
手加減なく甲子園をかけたピッチャーに怒号を飛ばす。だんだんと驚きの色からみずきの表情が塗り替えられていく。
「……アンタに、何がわかるってのよ! ただのマネージャーだったくせに!」
彼女の丸々した愛らしい瞳は研がれ尖る。太陽を含んだその鋭い目が私に注がれて激しく私を焼き払った。聖ちゃんと友沢くんが彼女を止めに入ろうと駆け寄るけれど、負けてられるか。みずきにとってただのマネージャーでした、なんて言わせない。
汗が滲む手をさらに強く握った、爪が焼けた肌に食い込む。
「わかるよ! だって……ずっと見てきたんだもん……ずっと見てきたんだから! 誰よりもわかってる!」
ふと、彼女と出会った時のことを思い出した。アパートの前でおろおろ顔を右往左往していた私に、にっこりスマイルで話しかけてきたみずき。今思えば……面白そうな暇つぶしを見つけたくらいにしか思っていなかったのだろう。
「私から逃げたヤツがわかったようなこと言うんじゃないわよ!」
「逃げたよ、一回はね。でも……みずきがこんな腑抜けになってるって聞いて、いても立ってもいられなくなったの!」
でも、今は違う。ただの面白そうな暇つぶしなんて括りじゃ私ははみ出してしまう。腕一本すら縛れない。そんな自信があった。確信があった。
「私は、私の意志で……みずきに会いに来たの」
「何言ってるのよ、今さら……今さらなんだって言うのよッ!」
私にボールをぶつけかねない、そんな憎しみのこもった瞳。そうされても何も言えないな。だって、彼女は野球のために家族の反対を押し切ったって聖奈子さんと一緒にいる時に聞いた。
そんなみずきからしたら、自分の主張もなく流れるように姿を消した私なんて、憎悪対象で間違いない。
「あなたがどう思おうと関係ない!」
けれど、私だって同じだ。絶交した身なんだからなんでもあり、思いやりなんて知ったことか。この機会に思ってることを全て言ってやる。クレッセントムーン?ふん、投げるなら投げてきなさい。
ついに、彼女が聖ちゃんと友沢くんを振り切ってマウンドを下りた。ゆっくりと私に歩み寄って、緑色の瞳の中、私がだんだんと大きくなる。
「あんな球……決勝で投げないで」
「なんですって……!?」
「わからないの? 決勝の舞台に立つなら……本気で投げろって言ってるの!」
本当にボールを投げつけられそうだ。しかし、彼女は左手に握ったそれを叩きつけたの。驚いた土が跳ねて、白いソックスが染められる。
それでも、私はみずきから視線を離すことはなかった。それは彼女も同じ。つりあがったエメラルド石に、据わった黒い瞳が映っている。
「百合香……よくそんな口聞けるわね! 私が本気で投げてないって言いたいの!?」
「そうよ」
目の前に来た彼女が、バッターを扇風機よろしく小悪魔のように振り回す腕を掲げた。左手だ、それは私のもとに寸分の狂いなくやって来る。抜群のコントロール。
「みずき、やめろ!」
聖ちゃんが珍しく荒い声を上げた、なんて気の抜けたことを考えた私を襲ったのは、もちろん彼女の思いのかたまり。避けることも、悲鳴を上げることもせず、ただ目を閉じて受け取った。
代わりに私の右頬がけたたましい悲鳴を上げて、それを聞いたみずきの手がひくつく。カッと開かれた目は、とてもとてもこれまでの彼女と同一人物とは思えない。エメラルドの中の黒い女の子は、なおも表情を変えなかった。
「……見せてよ。私に見せてよ! 今までは、こんなものじゃなかったでしょう!?」
「百合香……」
彼女の目が私の右頬に移る。すっかり威勢を失くしてどこか身体を震わせる姿は、試合前の写し絵のよう。こんな魂の抜けた女の子を見に来たわけじゃない。
「聖! つまんないボールは受けなくていいから!」
「なっ……」
そうよ、みずきはこんなものじゃないんだから。私は、聖ちゃんにも弾丸ライナーのきつい視線を送ると踵を返す。心の底から全ての文鎮を吐き出した。後先考えず、人のことも考えず。
お咎めなら試合が終わってからいくらでも聞きます。ええ、何時間でも聞きます。正座でも逆立ちでもなんでもしてやるわ。
ただ、ただ、あの時のみずきを返して。この子は非難を受けるようなヤワな球は持っていない。私の知っている、あの時のみずきなら。
そっとベンチに腰を下ろした。そんな私の頬にかけられたのはここが北極だと錯覚する冷たい風。焼かれた神経が一点のオアシスに群がる。
「やっぱり、百合香にしかできないね」
何事かと見れば、コールドスプレーを手にしたあおいちゃんが、愛らしいえくぼを作っていた。