青春プレイボール!

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マウンドに上がったみずき。ムカつくヤツだとかそんなことを思われてもいいから、私の言葉が届いて。祈るような気持ちで見ていた。長く時間を要しているけれど、再び投球練習に戻った時だった。

聖ちゃんが構えたミットを退けたのだ。そして、そのまま裸の右手でボールを掴む。ざわりとベンチがさざめいた。

「みずき」

そして、マスクを外した聖ちゃんが立ち上がって腕を振り下ろす。まるで盗塁を阻止するようなフォーム。いいえ、本当に、阻止しようと思ったのかもしれない。

彼女から放たれた矢のような送球は、みずきのミットに吸い込まれて。明らかに、投手へ返球する時には聞けないであろう高い音が響いた。

「そんな球では、防具もミットもいらないな」

無表情で真っ直ぐに言葉を紡ぐ聖ちゃん。しかし、赤い瞳はとても無表情とは言えない。燃え盛るなにかに侵食でもされたように彼女の瞳は爛々と生命を宿していた。

それに当てられたみずきは、受け取ったボールを握りしめる。そして、左手を眺めながら、主張を尖らせた彼女の名前を呟いたの。その様子から目を離せないで見ていると、みずきの困惑していた細眉がキッと目を覚まして。彼女以外がぼやけていた私への鋭く研がれた牙のような視線。またも寸分の狂いもなく交わった。

「百合香、アンタ今までの私が見たいって言ったわよね」

「……う、うん」

突然の斬り込みに思わず身震いをすることになる。さっきまでの威光はどこへやら、輝きを鈍らせてしまった私は冷えた右頬と共にゆっくり頷いた。伝うように私の肝までこの季節に似合わず冷やされた。

なんだか、落ち着かない。なおも私を見つめるみずき。彼女は今どんな気持ちなの。知りたい。

そうみずきと視線を絡めていた時だ、彼女が意地悪げに口角を上げてみせたの。白い歯がこれから悪事でも働くかのように楽しそう。それは、しばらく見ていなかったみずきの本性。

「残念だけど、今までの私は見れないわ」

言葉だけでとればひどく腹立たしく思える、はず。でも見てよ、みずきのこの顔を。どこまでも深く掘った穴へ他人を突き落として見下げて。そのくせ、ただ私が置いてけぼりにされているわけじゃないの。上手に飴を落とす彼女は、私を穴よりも深く知っていた。

でもね、私も同じ。最後には私も彼女もどっちが上にいたのかわからないほどに泥だらけになっているんだ。私は頬もどこも風なんてふっ飛ばして、真夏を照りつかせた。かあっと染まるほっぺた。それは、それは私が見たかった、ずっと待ってたみずきの姿。

さっきまでとは違う左腕から放たれた球は、自然の摂理に反する動きを見せた。それはとある女の子が誰かをあざ笑うような、そんな誘惑げな輝きを纏っていて視線が縫い付けられる。クレッセントムーン、たったひとり橘みずきにしかできない曲技だった。

そして、聖ちゃんが受け止めたの、左手で。

「百合香、しっかり見てなさい。これが今までとは違う私よ!」

マスクをかぶり直した聖ちゃんが私にコクリと肯定を示す。ふたりは少し離れている間にバッテリーとなっていて、私の頬を持ち上げた。あおいちゃんのおかげだろうか、右からの痛みはもうない。

ようやく打席に現れたスター選手、星井スバルくん。彼はみずきを彗星のように睨みつけた。でも大丈夫、みずきなら。今のみずきならきっと。秋にサヨナラを決められた彼女は、あの時とは違うんだ。
星に、いいえ、月に願いをかけるように手を絡めると、ぎゅっと目を閉じる。私の前から何も見えなくなって、一瞬で夜になったみたいだった。

どうか、綺麗な月を見せてください。

耳元で何かが応えるように揺れたのは、それと同時刻の時でした。

再び瞼を起き上がらせると、はっとする。彼女のフォームが以前とは少し違うじゃない。重く左半身に傾いた身体、そして何かを描くように大胆に振るわれた左腕。放たれたストレートはまるで猪狩くんが投げたような、そんなけたたましい音を奏でた。ミットからあがる悲鳴は、彼女が投げたものとは思えなかったの。

手を重ねたまま、左打ちの星井くんから大きく離れたアウトコースで捕球する聖ちゃんの姿を凝視する。そして、信じがたい宣告。主審が腕をあげた。ストライクだ、会場がどよめく。

「……へえ、サイドスローを上手く活かしたね」

あの猪狩くんが、腕を組みながら呟く。あおいちゃんも嬉しそうに頷いていた。

「今のって……」

「ふふ、初めて見たよね。ここにきて完成させるなんて……やっぱり百合香の力かな」

「あの、あおいちゃん……?」

頬杖をついた彼女の意図なんて私には読めない。ひとりはてなマークを浮かべていると、あおいちゃんがマウンドを指差した。

「この高校でも……ううん、きっとこの大会でもあの子しか投げられないよ」

「みずきだけ……」

「うん、完璧なクロスファイヤー。ボクなんかより、百合香の方がよっぽど薬になったみたいだね」

クロスファイヤー。繰り返すように口に出すと、あおいちゃんがほらと私の目を自分から離すよう仕向ける。必然的に向いた先はもちろんみずきで。
彼女の白い歯が苦しげに光っていた。瞳孔の開ききった緑色の瞳は、可愛いなんていつもの子供じみたものを乱暴に拭っていて獰猛な理性のない凶悪生物のよう。

低く、短く、それでも彼女の全てがつまった唸り声と共に上半身が揺れ動いて、腕がさらわれて。乾いた瞳に水分なんて飲ませる前に白球が彼女の手を離れていく。

覇道高校のスーパースター、希望の星、いつまでも消えることなく夜空に輝く星。一方、月は自分で輝くことはできない。太陽がいなければ。だから、月は見えないこともある。

でも、はっきり映ったの。これまで何度見てきたかな、そして見たことのない三日月。今宵、誰かの光で私を照らしたそれに見惚れた。だから、思い出した。近いから、近すぎるからその姿がどんなに美しいかを知らないこと、そんな単純で当たり前で、小学校の先生が膝を折って子供に教えるような言いつけを忘れていたこと。

誰が照らしたのだろう。太陽はどこから来たのだろう。気づけば私の頬には雨が降っている。そのくせ、顔には太陽がさんさんと宿っていた。
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