青春プレイボール!

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 ねえ、どうして。神高くん……だっけ、言っていたでしょう。友沢くんに会わなくていいの? 弱々しく聞いてきたのは、ほんの前の話。それに応えた私の言葉は、まあねの三文字。雅に長いことは告げませんでした。
 そして今、この夏の頂点が決められようとしている。甲子園決勝。私は準決勝と比べて、遥かに穏やかな気持ちだった。天気は、この日を待っていましたと言わんばかりの快晴、陽がサンサンと注いでいて空も決戦ムード。しかし、ここまでアンドロメダ学園高校もパワフル高校もエース対決。付け入る隙なんて与えず、華麗に打線を黙らせるものだから、試合は拮抗していた。
「アンドロメダ学園高校、固いね」
「うん……」
 神高くんがアンドロメダ学園高校の生徒であったこと、そしてそのエースであったことに、大袈裟なほど驚いていた雅も「だから友沢くんのライバルなのかあ」といつしか感慨深く紫髪のマウンドを眺めていた。みずきや聖ちゃんはブルペン入り、さすがに今日のところは猪狩兄弟がパワフル高校の中枢を担っている。
 今ごろ、あの小悪魔は聖ちゃんにぶつくさ言いながら得意の変化球でも投げているんだろうな。そして、聖ちゃんのことだから無視半面で聞いているんだろうなあ。
「百合香?」
「……あ、なあに? 雅」
「なんだか、嬉しそうだなあって思ったからさ。パワフル高校が勝っているわけじゃないんだよ?」
「ふふ、ちょっとね。思い出したことがあって」
 目を円にした雅にそんなことを聞かれるくらい。どこにいても彼女が頭の片隅にいるみたいで、なんだか笑えてきちゃう。
「もしかして、友沢くんがバッターボックスに立っているから?」
「ううん、ちょっと違うかな」
 ますます頭の上からハテナマークを飛ばす雅。さすがの幼なじみでも、これはわからないよね。私がいかにみずきのことを考えてるか。自分が一番よく知っているはずなのに、改めて再確認した気分。額に手を当てたら、ほんの少し熱くなっていた。
 しかし、そう思い出に耽っているわけにもいかない。塁上には足のスペシャリスト、矢部くんがいる。雅は恩義深い女の子のようで、さっきはメガネの彼が出てきたことに両手を重ねて喜んでいた。そして、グラウンドからは決して近くない距離。私が見つめるのは、バッターボックスから神高くんを睨んでいるであろう友沢くん。神高くんとの証、サングラスが私たちにまで太陽を照り返している。遠くからだとか、そんなことは関係ない。初めて出会ったときと変わらずに、ボールへと一心を流し入れる懸命な姿は、すごく、すごくかっこいい。負けないで、友沢くん。ライバル対決に私は手を結んで祈った。目を閉じて、祈った。もしも勝利の女神様がいるのなら、どうか友沢くんに微笑んでください。
「百合香が祈っていれば、友沢くんは大丈夫だよ」
 ふと、彼女がこぼした言葉に顔を上げる。そうしたら、今度は雅がクスクスと笑う番。ちょっと前には全く逆の立場になっていたのに。指と指に絡められた私の手が離れないまま、どことなく彼女が女神様であるような気すらした。
「どうしてわかるのって顔をしているね。もう、何年の仲だと思ってるの?」
「えっと……」
「百合香、友沢くんに頑張れって言ってたんだよね」
 あらまあ、やっぱり形勢逆転だ。さすがの幼なじみでもわからないことがあるとほくそ笑んでいた表情は彼女に盗られてしまいました。私の気持ちまで金色の瞳に映してしまうのだから、本当に彼女は女神様なのかもしれない。豆鉄砲を食った私は、小さな頭でそんなことを考えていた。
「……よく、わかったね」
「ふふ、友沢くんにもきっと通じているよ」
「そうかな」
「そうだって」
 彼女がライバル対決へと視線を戻して、あわててまねる。ちょうど、神高くんが先手のストライクを奪ったところだった。返ってきたボールを受け取り、脱帽して汗を拭う彼は心底楽しそう。いつも子供のようなのに、表情は子供らしさなんて垣間見せない矛盾。暑さのせいか、やけに冷たい雫が背中を伝った。
 神高くんは友沢くんをじっと見ている。じっと見て、片足を胸へと手繰り寄せる。その姿は一塁にいる矢部くんの足を動かした。神高くんは立ち止まることもできずに、勢いのまま前のめり。長い髪がふわりと風に逆らう。
 上手い、さすが矢部くん。受け取ったキャッチャーがなりふり構わず立ち上がるものの、彼の足には適わないぞ。頭の裏に引かれた右腕が悔しそうに下がる。もちろん、そこには神高くんが投げ込んだボールが握られているわけで。バッテリーは、矢部くんがセカンドベースに進んだのを指を咥えて見ていることしか出来ずじまいだったのです。
「わあ、やっぱり矢部くんは速いなあ! 投げられなかったよ!」
「うん、足で矢部くんの右に出る人はいないよね」
 笑み満面の雅に頷きながら、マウンド上のアンドロメダ学園高校のエースを見やる。どう、神高くん。相手は友沢くんだけじゃない。矢部くんだって、ブルペンにいるみずきだって、みんな戦ってるんだ。 
 でもね、私は後悔することになったの。だって、得意気に注いだはずの視線は彼に届くや否や、ポキリと無惨に折れてしまったのだから。
 矢部くんから見た、いいえ、パワフル高校の面々から見た神高くんは隙だらけだった。確かに、そうだった。たったひとりを除いて、彼のライバルである友沢くんを。矢部くんに一瞥もくれてやらない神高くんは、今もなお友沢くんに闘志を滲ませている。ギラギラ光る赤い目は、クールな彼にきつくきつく縛り付けられて逸らす気配もない。隙だらけなんてとんでもない、彼に隙などなかったの。アリ一匹通さないほどに。
 太陽と同化して燃え盛る、そんな言葉がお似合いで、私は立ちくらみを起こしてしまいそうになる。熱中症のような感覚は頭をくらくらと揺らしてみせた。ライバルを前に、野球を前にした神高くんが、こんなにも変わってしまうなんて。
「きっと矢部くん、三盗すると思うよ」
「……さん、とう」
「うん。だって、今も神高くんはバッター勝負でしょう。三盗はないだろうって考えていると思うんだ」
 しかも、矢部くんやパワフル高校の面々だけじゃない。ここにいる野球に詳しい彼女だって、神高くんには気づいてないみたいなの。矢部くんの盗塁に釘付けになっているから。
 矢部くんの華々しい姿に上手く隠れた神高くん、彼が再び振りかぶる。ゆっくりと、力強く。
「あ、ほら!」
 けれど、水を差す影が現れる。明るい雅の声が指すのは、神高くんに負けじと二塁ベースを蹴り上げた矢部くん。走り出しもタイミングも、ケチのつけようがない完璧な盗塁。
 神高くんは、友沢くんを追い込んでいた。ストライクがふたつに、ノーボール。優勢なのはどっちか、それは明らか。けれど、矢部くんは勝負をしかけた。トラップのような刺客として確実に神高くんのダメージを誘った、はずだった。それは、普通の投手だったなら。神高くんは友沢くんを欲しがっていた。喉から手が出るどころじゃない、全身から手が出そうなほどに。つまるところ、神高くんは普通ではないの。友沢くんと対峙する時は。
 矢部くんの勝負を神高くんがすり抜ける。横目で後追いもせずに、まっすぐ、友沢くんへ身の丈全てをぶつけに。踏みしめた左足がガンッとマウンドに突き刺さって、神高くんが彼自身に包まれて。オーバーなほど、力強いフォームだった、シマウマを追い込んだライオンを彷彿とさせる。
 しかし、シマウマで終わるわけにいかないのは、こちらも同じだった。胸元を抉るインハイ、友沢くんはそれを弾かれたように流す。「打った!」と叫んだ雅、同時に声を上げずともハァッと短く漏れたのは感嘆だった。金属特有の鈍い音と共に一塁線を勢いよく滑っていくボールは、私と雅、ここにいる人すべてを魅了するのには十分すぎて。一塁ベースの横にいる黒帽子が両手を上げるその瞬間まで、時間が止まったような気がした。
「……ファウルかあー。僕、ドキドキしちゃったよお」
「うん、心臓がもたないね」
「でも友沢くん、さすがは名門の中軸だね。打ってくれそうな気がするよ」
 微笑む雅が眩しい。私もそう思いたいけれど、それはどうかなと囁く悪魔もいるわけで。セカンドベースに戻る矢部くんのことを忘れてしまうほど、神高くんの威光を浴びせられただろう? 果たして、友沢くんでも敵う相手かな、と。上辺だけの相槌を打ちつけたところで、雅が「百合香、祈っててよ」と釘まで刺してきた。笑顔混じりの柔らかいものだったけどね。
 友沢くんの華麗なカットを見たところで、神高くんは負ける気もない。セカンドを振り返ることもなく、ボールの握りをグラブの中で企てている。そして、キャッチャーと目を合わせ頷いた。来るぞ、とバッターボックスから随分と離れた私たちにも緊張が駆けていった。
 神高くんの雄々しいフォームから彼の意志を受け継いだボールが放たれる。球速が落ちている! 変化球だ! 隣でそう叫ぶと同じくして、バットが動く、神高くんを跳ね返そうとした。カンッと威勢のいい音と一緒に。またしても小さな声を上げた雅が私の肩を横から掴むから、それだけで彼女がどれほど友沢くんに期待しているかが伝わってくる。いえ、それはきっと私も一緒です。
 飛んでいくボールは私たちの目を縫いつけて離さない。そんな瞬間でも願っていた。友沢くんがどうか神高くんに飲み込まれませんように、打ち勝てますように。快晴青々な中で一点だけの白に祈りを託すと、センターが背を向けてスタンドへ駆けていく。それは追いかけっこのよう。ボールは友沢くんに注がれたありったけの力で飛んでいき、それに抜かれまいとアンドロメダ学園高校のユニフォームが走る。彼らの距離が縮んで、縮んで、そして。
「抜けた!」
 雅の結んだ髪が跳ねる。私は結んだ手が跳ねて行き場を失った。手の居場所なんて作っている暇もなく、矢部くんがホームベースを踏んだこと、それをただ見つめていることしかできなくて。友沢くん、打ってくれたんだ。雅よりも随分遅れをとってそう考えたのは、彼が二塁上に立っている姿を見てからでした。
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