一日一アプリ

□一滴の美酒を湖に落とす
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 俺は、俺自身が全くもって理解できない。唐突な話だが、同じ野球部のマネージャーである名字を好きになってしまったらしい。
 一緒にバイトをしていた彼女は、非常にわがままでとてもとてもいい女からは遠い。しかし、いつしか彼女以外のことは頭の片隅に、大半をその例の女に捧げていることに気づいた。それは恐らく野球をしている時のような感覚。活きのいいバッターと対峙した高揚に似通ったもの。
 しかしまあ、そんな吊橋効果に引っかかっちまったからには仕方がない。認めたくなくとも金で揉み消せる感情ではないからだ。それなら、やることはひとつしかねえだろ? 今の状態は、そのひとことを名字に伝えた後のことだった。
「へえ? アンタ、私のこと好きなんだあ」厭らしくニタついてやがる。
「チッ、そうだよ」
「で、どうして欲しいっての?」
「なにが」
「付き合って欲しいワケ? それともそれ以上?」
 名字は俺の好意を耳にすると、本人の自慢でもあろう長いまつげを上向かせて絶妙な美少女となる。コイツ、自分の魅せ方をわかってるな。外面を遺憾なく発揮するコイツに、好意を抱いている俺は目眩がした。
 最悪だ。少なくとも俺は、自分に匹敵するバッターを相手に燃え上がっているのだと思っていたからだ。それが蓋を開けてみれば、お山の大将だった。
「Kマネー次第で考えなくもないわよ」
 俺だって彼女は欲しい。しかし、彼女が引っ提げる交渉条件は俺の求めているものとなにひとつ一致していないのだ。くろがね商業高校の生徒として何を見てきたのかは知らねえが、ほとほとお粗末な話だ。返す言葉もない。
 動きを止めている俺になにを勘違いしたのか、名字は俺の胸に手を当てて近づいてくる。鼻が触れ合いそうな距離に、付け焼き刃の金属バットを持った彼女など目に入らない。むしろ、ここで三球三振に切り捨ててしまいたい。この女に成り下がった生き物に興味はねえと俺は彼女の腕を掴んだ。
「いいか、一回しか言わねえ」
 一回しか言いたくねえからだ。二度とお前と口なんか聞きたくはない。
「自分を大切にしろよ」
 まるでガムだ。好きだと告白して、ものの二言目を皮切りに吐き捨てる。コイツにかける情けなんてあるのなら、そこらかしこの草木にかけた方がいい。
 目を見開いた彼女に満足し、俺は腕を離す。もうこれで、ガムは口から吐き出した。チリ紙にも包んでやった。文句はねえだろ。後は、ゴミ箱に捨てるだけだ。

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