一日一アプリ

□表裏一体の水平線
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 あかつき大附属高校、全国的にも野球部が強豪として名の知れたここで「天才」僕はこの二文字を背負っていた。これ以上の言葉はいらないと誰からも頷かれ、いつしか学校中で知らない人などいない存在であったのだ。
 その中に彼女はいた。僕が天才を背負うように彼女は無知を背負っていた。なぜなら、クラスメイトのくせに彼女は女友達に尋ねたのだ。「猪狩くんって、誰?」と。ちなみに僕らは二年生だ。何名かいるクラスの野球部が硬直していたことを知っている。はっきりと申し上げるが、僕だって彼女など知り合いには程遠い存在。知る由もなかった。
 しかし、それを機に彼女は僕に話しかけるようになったのだ。天才猪狩守ではなく、友人猪狩守として。
「ねえ猪狩くん、野球部って大変なの?」
「キミはウチがどれくらい強いのかを知らないのかい」
「ううん、知らないなあ。どれくらい?」
「甲子園常連だよ」
「へえ、それってすごいことなんだね!」
「……キミは本当に何も知らないんだね」
 天真爛漫に微笑んで彼女は頷いた。偉そうに言えることでもない、僕は呆れて口も開けない。だが、彼女を払い除けようとは思わなかった。それは彼女が無知を背負っていたからだった。
 部活動、この高校では人々の期待に後押しを受けるものなのだ。僕だけではない、一ノ瀬に二宮、三本松、四条、五十嵐、六本木、七井、八嶋、それに九十九、皆授業が終われば英雄になる。その賞賛の声は最初こそ耳触りのいい歓声であっただろうが、次第に耳障りなものとなっていったのだ。同じ響きであるのに、ここまで耳の穴を塞ぎたくなるものへと姿を変えてしまったのだ。それは紛れもない僕たちの弱さであった。
 彼女は僕らの患部を触れもせず、治療もしようとしなかった。珍しすぎたのだ。無知であるが故に、僕はその当たり前の原理に度肝を抜かれた。
「でも、猪狩くんと話していると野球に詳しくなった気がするよ!」
「はあ、キミはお気楽だな」
「勉強することはいいことでしょう? そうだねえ、猪狩くんはさしずめ野球の教科書だ!」
「野球の教科書、ね」
 ほうら、世界で名字名前、ただひとりだけだと思うんだ。野球の教科書だなんて小並な役を僕に与えるのは。しかし、そんな彼女の存在が心地良いのだ。僕はここでようやく本当の猪狩守を垣間見せられる気がする、大袈裟なことまで考えてしまうのだ。

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