一日一アプリ

□地に足をつけて
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 あかつき十傑を倒すという雲を掴むような話を引き受けた男がいる。その男は一軍ベンチでもなんでもない、二軍の男。さらに高さを増した雲を掴むどころか踏み台にせよと無茶もいいところ、貴族の娯楽にもならない茶番に終わるかと思われていた。
 しかし、男は八嶋を捕えた、四条を抑えた、二宮を倒した。順調に十傑を喰らっていき、都市伝説として笑い消えようとする幻想物語に待ったをかけたのだ。
 俺の身体を支える両手へと汗が滴る。いつからだ、筋トレ中にいらぬ雑念を覚えるようになったのは。これでは身体の基礎など鍛えられない。精神の基礎から磨き直すべきではないか。それでも回数はまだ十と少々、俺の腕にこれでは足りぬとまた腕立て伏せを繰り返すのだが。
 再び身体を両腕に預け沈めていれば、トレーニング室のドアが開く音に頭が止まる。見れば、マネージャーの名字さんがドアに半身隠して顔を覗かせていた。
「あの……」
「どうした?」
「五十嵐くん、ちょっと休んだらどうかな……」
 顔を俯かせがちに呟く彼女は、俺の顔色を心配しているようだった。その顔は今の俺の心境を鏡写しにしているようで歯痒くなる。
 これまで倒されてきたヤツらに俺は勝てる気がしないんだ、まさに出荷される前の家畜のように震えて次は我が身と待っていることしかできないんだ。
「大丈夫だ、心配するな」
「でも……」
 しかし、何を考えたのか。困り顔の名字さんは俺のもとへ駆け寄ると、静かにタオルを差し出して俺の額を拭う。女性にされるには少し気恥ずかしいその行いは、彼女のような他人行儀な娘が行うというだけで、自分のような男には無縁だと思われた。
「名字さん!?」
「私、知ってるよ」
「な、なにが」
「五十嵐くんが……頑張っていること」
 俺とは違う丸くて大きな瞳、じっと見つめる彼女の姿は、これまた俺とは異なり強い。もちろんだが、腕相撲でもなんでも彼女に勝てない種目はない。
 彼女がタオル越しに触れた手をそっと撫でた。庇護欲の湧かない赤子が母親にされるそれと化した空間はまさに異型で、彼女が聖母に見えたのだ。
「でも、無理したら元も子もないよ」
 五十嵐くんが野球できなくなったら、私が嫌なの。消え入りそうな声で囁かれたのはなんだったのか。とにもかくにも、身体を雷鳴のように劈いた刺激が支えていた両腕を殺した。
 バタン! と音を立てて倒れ込んだ俺に名字さんが驚く。俺がどうしてしまったのかはわからないが、彼女のお陰で身体が持ち上がらなくなった分、気持ちが浮ついたことはわかった。そうか、無理してもどうしようもない。十傑として相手の影を恐れ自身のペースを乱されるなど、それこそみっともないではないか。
「あ、あの、五十嵐くん……!?」
「……大丈夫だ!」
 それに、このおろおろとした彼女が悲しむ顔を見たくはない。俺はゆっくりと立ち上がったのだ。名字さんはまごつきながらも俺の後ろを着いてきた。

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