一日一アプリ

□カメラのない逃避行
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 支良州高校に女優さんが転校してきたらしい。こんな海しか華のない高校に珍しいなんてものではないぞ、明日から陸軍自衛隊と合併しますと言われた方がまだ現実味があるくらいだ。クラスメイトは朝から気が気じゃないようでソワソワとしているし、そ、そりゃあ僕だってそうだった。
 やがて廊下からざわめきが近づいてきて、教室からみんなが一斉に顔を出す。僕は後ろの方で短い髪、長い髪の生えたジャガイモの隙間から覗いてみた。すると、そこには長い髪を靡かせた大きな瞳の女の子がいたんだ。色素の薄い頬や髪、双光はまるでお人形さんのよう。小さな顔についた真っ赤で形のいい唇、どれをとっても美人という他なかった。
 ジッと見つめてしまったのは僕を含めその場の全員だったと思う。しかし、彼女はなぜか僕を見た。そして見ているだけの華が咲いたようにパアッと微笑んだのだ。僕は群衆の遥か尾びれの方にいる。
 目をひん剥く群衆には一瞥もくれてやらずに僕へ近づく彼女。間を縫う生徒たちへの「ちょっとごめんね」その小さな微笑みすら彼らには致命傷だ。
「真黒くん、よね」
「え、えっと、あ、う……」
「私、凪の従姉妹の名字名前。きっと野球部に入ると思うから、よろしくね」
 僕といえば、この前代未聞の緊急事態にまごつく以外にはどうにもこうにも手がつかず、もはや困ったときの切り札どころかなんでも屋さんと化した頭の中の僕を叩き起こした。

「名字さん!」
「うん、なあに」
 彼女は俺に微笑みかけるが、自分の状況をわかっていないのだろうか。辺り一面飢えた肉食動物の巣窟に落とされた肉片である。血眼な男共、好奇眼な女共から彼女を守ることが先決だ。俺は、目前まで人波なみ縫いでやってきた彼女の腕を掴んだ。
「えっ、あの」
「とにかくこっちだ! 行くぞ!」
 目を白黒させる彼女には、後で伝えればいいのだろう。スベスベとした肌触りの絹を楽しむ暇もなく俺はその女優と共に人波を掻き分けていく。ええい、とにかくなりふり構っていられるか。まずは彼女の無事が最優先だ。
 その時、このような緊迫の場数をカメラの前で幾度と踏んできた彼女がそっと頬を染めていた、ような気がしたんだ。

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