青春プレイボール!

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何を引きずってるのと言われるかもしれないけれど、私は部に入っていない。私の所属している部はあくまで、パワフル高校の野球部だ。
雅に何度も誘われたし、ソフトボールと兼部している友達にも揺さぶりをかけられた。それでも、私はこうして授業が終わり次第、自宅に向かっている。

そして、帰ってからやることと言えば、その日に出された宿題。終わったころには、お母さんの晩ごはんの手伝い。以前より家にいる時間が多くなったお父さんは、立場がなさそうに隅にいるものだから、お母さんと企てて好物を皿に盛った。

そんな、夜のことだった。パワフル高校にいたころに比べ、ここは星がよく見える。それをのぞこうと窓をあけたものの、まだまだ肌を刺す冷気は健在。そっと上着を取り出した時、私の携帯が盛大に震えだしたのだ。

呼ばれたのならしかたない。なおもビービー騒ぎたてる姑のような私の情報源、はいはい、今いくよーっと。連れてけ、とふくれっ面を手に取りながら、再度星空に近づく。
私を呼んだ理由は蛇島さんだ。聖ちゃんとか、あおいちゃんじゃない。意外な人からだと目を丸くしたものの、そういえば雅と試合を見た後に連絡をしたばかりだった。開かれた口を引き締めてから、それに応えることに。

「蛇島さん?」

「ああ、東野さん。この間の試合に来てくれたんですってね。ありがとう」

耳から聞こえた声は、遠い場所にいた蛇島さんをとなりに引き戻した。しかし、それと同時に私は今プロ野球選手と話している、その現実を思い知って、足の先がかゆくなる。神童選手といい、私は平凡の中心にはめられたタイプなはずだけど、平凡のメガネを外したような出来事も起こるものだ。

「びっくりですよ、たんぽぽカイザースにプロ入りしていたんですね!」

「いやはや、弱小球団じゃないか。お恥ずかしい」

「蛇島さんの守備が鉄壁だから、強くなります!」

両手に爪が食いこんだ。携帯は傷ついてないだろうかと気になったけれど、それくらい本人にあの時の興奮を着の身着のまま届けたい。ううん、もっと上手なことが言えればいいのに。回らない舌だけが頼りない装備、それなのに「そうか、ありがとう」という欲しかった言葉に、大袈裟なほど肩が下りた。いえ、荷が降りた。

彼は、そういえばと話題をすり替える接続詞で私に語りかけてくる。

「ずいぶん遠いところまで来たね。パワフル高校からは遠かっただろう」

ああ、そのことか。そうだ、彼は私がまだパワフル高校に籍を置いているものだと思っているんだよね。
ちょっとだけ空の藍色が色素を増して、星たちを際立てた。綺麗だと、思った。私は言わなきゃとなにも入っていない空気を口に含む。

「……私、転校したんです」

「転校?」

「はい」

「なるほど、そうか……」

哀愁がにじむ蛇島さんの声。途端に私をテストで零点をとったような後ろめたさが襲う。唇を噛みしめると、思いの外の怪力で痛い。
それでも、蛇島さんは今の季節を体現した柔らかな口調で「無理に答えなくてもいいんだがね」と言葉のトゲを抜いた。

「友沢くんとはどうしたのかな」

息が止まる。確かにトゲはなかったが、小骨がのどを引っ掻いた。彼とは、どんな関係なのか。蛇島さんが聞いているのは、イエス、ノーに近い短的かつ単的なもののはず。でも、私にはそれが果樹園からたったひとつの果実を探し当てることに思えた。

友沢くんは私にまた会うことを約束したけれど、私を杖にしようとはしなかった。寄りかかっていたのは、私だけ。彼の窮地を救ってきたのは私じゃない。そう考えたら、彼の一番近くにいる女の子なんて肩書、身にあまって潰されてしまった。

「……わか、りません」

「……うん?」

「私、どういう関係、なのか……」

ぺしゃんこにされた胸じゃ、言葉も満足に吐けない。しかし、一を聞いて十を理解してくれた蛇島さんは「東野さん」と私を包んだ。そんなはずはないけれど彼がどこかで私を見ているような、安心感と寒気が同時に襲ってきてふたたび顔が上がる。星空は、本当に非の打ち所もなかった。

「僕でよければ、なんでも聞くからね」

視界に広がる濃紺が耳で囁かれる声に砂糖を加える。パワフル高校の時の私を、私と友沢くんの関係を知っている、そんな蛇島さんに縋りたくなってしまったのだ。

夜になると、人肌が恋しくなる。それはふるさとでも通用するらしい。いいえ、あの、野球部寮のとなりにぽつんと建った小さいアパート。そこが第二の故郷とでも言いたいのだろうか。実の地に身を置きながら、人の情とは美しい反面醜いものだと思った。
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