短編

□その手を離しちゃダメだよ
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 休日。アタシの兄ちゃんに、そんなものはない。部活がない日もランニングやら、筋トレやら、シャドーピッチやら。兄ちゃんは、バカみたいに野球にまっすぐで。でも、キラキラしている、アタシの自慢の兄ちゃん。
 そんな兄ちゃんに、彼女ができました。正直、クラスでも「木場先輩は恋愛対象じゃないよねえ」なんて聞くような兄ちゃんは、女の子に興味はなくて、こっちが心配しちゃうくらいだったのに。
 それくらいの時だったの。兄ちゃんが少しづつ、変わっていったのは。

「……なにしてんの、兄ちゃん」

 へんな方向に、だけど。珍しく家にいる兄ちゃんは腕立て伏せをしながら雑誌を読んでいた。

「しっ、静火! いや、これはだな……!」
「なにこれ」

 驚く兄ちゃんを無視してその雑誌を拾い上げる。うえっ、汗でべとべとしてる。普通に読めばいいのに。そこには、モテる男のファッション100選なんてデカデカと書かれていて。……というか、これ。

「去年の流行モノじゃん。ダッサ!」
「なに!? け、けど、コイツら普通にカッコイイじゃねえか!」
「いや、それモデルの顔が良いだけだし」

 雑誌をぽい、と兄ちゃんのもとに投げ返すと、筋トレをやめて立ち上がる。その顔はあせっていて、輪がつながるような感覚がつきぬけた。もしかして、カッコイイ服を着たいの? そう聞くと、コクンとうなずく。

「明日、必要なんだよ」
「え、も、もしかして……初デート?」
「そうだよ! けど星井は電話に出ねえし、金原はなんとかなるとか言ってやがるし、水鳥は助けてくれねえしなんなんだよチクショウ!」

 ちょっと、モノに当たらないでよ兄ちゃん。ここはグラウンドじゃないんだから! それに、星井先輩たちには話すクセに、女の子のアタシには相談しないってどういうこと!? むっとひんまげた口をそのままに、兄ちゃんの首根っこをつかむ。

「お、お!? 静火!?」
「今すぐ買いに行くよ! アタシが選んであげるから!」
「静火っ、さすが俺の妹だぜ!」

 もう、兄ちゃんはなにもわかってない。初デートにダッサイ服なんて着て行ったら、終わりなんだからね。まったくもう。
 しかし、買い物に行くともうダメ。ぜんっぜんダメ。明日フラれるくらいにダメ! だって、車道側を歩いてくれないし、荷物も持ってくれないし。あまりにも心配。

 と、いうわけで。デート当日。アタシはあまりにもわかってない兄ちゃんの携帯に連絡を取れるようにして、ふたりを尾行することにした。長い髪は帽子の中に隠して、マスクもしたし、地味な服。変装はバッチリ。
 兄ちゃんは……いた。駅にある噴水の前。そこが待ち合わせ場所か。きっかり30分前。よし、服は昨日決めたやつだし、イイカンジ。近くの木の裏に隠れる。
 その時、兄ちゃんに話しかけた人がいた。女の人。な、なにあれ。アタシのマスクの下がぱ、と開く。め、めちゃくちゃ綺麗なひとじゃん! 兄ちゃんの彼女!

「ご、ごめんね嵐士くん……」
「ケッ、待たせやがって!」

 何言ってるのあのバカ兄ちゃん! すぐに携帯にうちこむ。こういうときは、今来たところだよ、と。携帯を彼女さんに見えないようにのぞくのはオッケーね。よしよし。

「や、やっぱ俺も今来たところだから、気にすんなよ!」
「え? でもさっき、待ってたって……」
「うるせえ! どっちでもいいだろうが!」

 なんでケンカ売ってんの! ほんッと意味わかんない! 彼女さんビビってんじゃん! ああもう、どうしよう。まずは気を逸らさないと。そうだ、今日かわいいなくらい言え、と。送信。あ、兄ちゃんが彼女さんのことじっくり見てる。……なんか、ヤらしい。

「名前、お前今日、か、かわいい、な」
「えっ、う、うん……嵐士くんのためにがんばったから、かな……」

 あ、これはいい雰囲気。お互い顔が赤くなっている。兄ちゃんが耐えられなくなったのか、行くぞ、と彼女さんの手を引いてデートは始まった。うん、いいかも。アタシも木から離れる。
 ……いい、と思ってたけど。いやいや、思いっきり彼女さん小走りじゃん! 歩幅合わせろ、と、送信。

「嵐士くん、ありがとう」
「お、おう! 気にすんな!」

 なんでお礼言ってるの彼女さん。今のは絶対兄ちゃんが悪いでしょ。
 そうして兄ちゃんが彼女さんの手を引いてやってきたのは、女子高生に人気のアパレルショップ。調べたのかな、兄ちゃん。やればできるじゃん!
 なんて、そう思ってたのに。

「あ、このスカートかわいいね」
「こんなヒラヒラしたもんのどこがいいんだよ、野球ができねえじゃねえか!」
「あ、うん、そ、そうかもね……」

 兄ちゃんの服を選んでるわけじゃないんだから! もう、なんなの兄ちゃん、女の子のことわかってなさすぎだよ! もう恋愛やめた方がいいくらいだよ! お前によく似合うよくらい言え、と。送信。

「……けど、お前には似合うんじゃねえの」
「えっ、ありがとう……なんか、今日の嵐士くん……言うことががどんどん変わっていくね」

 やっば、彼女さんにアタシのこと気づかれそう!?

「そ、そんなこたあねえだろ!」
「……無理しなくていいよ」

 でも、そんなことはなくて。彼女さんは、兄ちゃんの手を取ってにこりとほほえんだ。……彼女さん、笑うとかわいいなあ。あ、兄ちゃん照れてる。

「ちょっと来い!」
「わ、と」

 兄ちゃんは、まだ服を見ているはずの彼女さんをむりやりさらう。ああもう、そう思って携帯を手にとった時、ちらりと見えた彼女さんの表情に、息を呑んだ。ほんのり朱がさした頬がゆるりと嬉しそうで、さっきまでパチパチと大きく瞬いていた目がおとなしく、女の子らしい情緒的な眼差しに変わっていたから。携帯にふれようとした手はかたまって、なにもつかむことができなかった。
 兄ちゃんが連れてきたのは河川敷。ここは、野球部のランニングコースにもなっているから、見慣れたもの。人通りも少ないし、上手く物陰に隠れなきゃ。兄ちゃんは、彼女さんから手を離すと、二、三歩歩いて振り返った。

「名前!」
「は、はいっ!」
「よく聞け!」

 兄ちゃん、どうするつもりなんだろう。疑問をそのままに見つめていれば、兄ちゃんは、すう、と息を吸った。

「俺はテメエが好きだ! 野球と同じくらい大好きだ!」ビッと指が彼女さんに向く。「けど、恋愛なんてしたことねえから、どうすれば名前を喜ばせられんのかわからねえんだよクソッ!」

 ま、まさかの大声で告白ぅ!? 一度で言い切った兄ちゃんに、ああもう、とため息がもれる。彼女さんは目を丸くしたのち。

「……嵐士くん」

 兄ちゃんとの距離を、一歩づつ縮めた。

「私のことなんて気づかないくらい野球に夢中で、まっすぐで、がむしゃらで。……そんな、いつもの嵐士くんがいい」

 そして、彼女さんは兄ちゃんにすり寄った。マウンド上では百戦錬磨な目は見開かれて、頭をあずけられた肩はちいさく震えている。わあ、兄ちゃん、顔まっかだ。

「私は、泥だらけでかっこいい嵐士くんが、誰よりもすきです」

 きわめつけに、すこし下からあげられた瞼とキレイな丸い瞳。それがやわらかく弧を描く。もう兄ちゃん、かたまってる場合じゃないよ。携帯を取り出して指を滑らせていると、彼女さんの驚きを示す声がひかえめにもれて、目がとられた。
 そこには、日射しで焼けに焼けた兄ちゃんの太い腕が、彼女さんの白い身体に回っている姿。彼女さんは、すぐに花が咲いたように笑った。なんだ、アタシが言わなくてもできるんじゃん。打ちこんでいた文字を消して、新たに指でアドバイスを綴った。
 

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