短編

□聞かないならいっそのこと
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ぐり、ぐり。オシャレなカフェには似合わない音。名字先輩がほおづえをつきながら、コーヒーに角砂糖をふたつ溶かしている。甘党なのに、ブラック。へんな人だ。

「聞いてよ小平くん!」

「なんですか先輩」

僕は、彼女のことがキライだ。だって、彼女と話すと胸のあたりがかゆくなるから。掻いてみても、患部はそのさらに奥の、おく。届かないところだ。僕はそれを取りたくて、取りたくて、彼女をにらみつけてやった。

「今日も見かけたの!」

「へえ、そうなんですか」

「もう、反応うすいなあ」

ぷ、と頬をふくらませる先輩は、とても先輩には見えない。僕の方が大人びているだろう。そんな自信をもって、ブラックをちびちびと喉に流しこむ。しかし、先輩が「ブラックコーヒーは背が縮むよ」なんて言うものだから、目の前の黒ぐろしい液体がにくらしく思えますよ。僕の葛藤も知らずに、先輩は口を開いた。

「かっこよかったあ、北斗くん!」

カップの中がさらに毒づいたような気がする。身勝手なひとだ、本当に。けれど、自分で注文してしまったもの。またちびちびと、口をつけた。そんな僕を見て、聞いてるの、とまんまるの瞳をきりりと光らせる先輩。なんですか、聞いてますよ。声にするのも億劫で、首をたてにふった。

「北斗くんに、話しかけられたらいいのになあ」

「そうですね」

「モテモテ小平くんは、なんて話しかけたらいいと思う?」

「そうですね」

「もう、聞いてないじゃん!」

聞いていないのはあなたでしょう。甘ったるいコーヒーに手を伸ばす先輩は、北斗さんばかりで。僕が目の前にいるのに、てんで耳を傾けてくれない。本当に、キライだ。イヤだ。イヤになる。甘くもないコーヒーをぐっと飲み込んだ。
僕の身体は苦味でいっぱいになる。ちょっとは、砂糖をいれるべきだったかな。残りはまだまだある。角砂糖をひとつ、手に取った。

「名字先輩」

「うん、なに?」

ゆっくりと小さくなっていく、白いブロック。なくなるのも、時間の問題だろうな。

「その人のこと、好きなんですか?」

「……うん、好き」

僕は、ふっと顔を上げた。ずっと気力の感じられなかった瞼も、この時ばかりは勢いよく見上げた。さっきまで、ろくに目を合わせてなかった名字先輩。彼女はどこか遠くを眺めていた。まつ毛にふちどられた瞳は、元気印に影を落としていて、もの憂つげに視線を流している。しかし、楽しそうに引きしめられた唇と、色気を携えたうすべにいろの頬。……好きだなんて、火を見るより明らかだった。

彼女が僕の中を引っかき回すのも、明らかだった。抑えようとあわててカップを手に取るけれど、まったくあまくない。吐き出してしまいそうなほど、口に合わなかった。ぐるぐる回る苦さにめまいがする。それほど、気持ちが悪いのに、僕が貼り付けたのはかわいい、かわいい、後輩としての笑み。

「へえ、名字先輩も恋なんてするんですね」

「もう、なんだよーっ。私だって女ですぅ」

わかってます、そんなの。じゃなきゃ、こんなにあなたのことをキライだと思わないんですから。すごく、すごく。
やっとのおもいで空にしたコーヒーは、すべて僕の中。名字先輩のカップは、あの甘ったるい液体が占領している。



それから、しばらく経った時のこと。彼女がまさに乙女の顔で好きだと言った北斗八雲さんは、北の方から来たひとで。合宿で、こっちに来ているだけだったとかいう。しかも名字先輩は、彼がメガネをかけている女性を熱のこもった目で見ていたことに気づいてしまったんだって。

「うう、聞いてないよ……北斗くん」

また、ブラックコーヒーに角砂糖をふたつ溶かしている名字さん。こりないなあ。僕はひとつだけ砂糖を溶かした。身長が縮むって?今は、これが飲みたい気分なんですよ。

「大丈夫ですよ、男の人はごまんといます」

「モテる小平くんに言われても説得力ないなあ」

ああ、美味しい。こんなコーヒーが飲みたかったんだ、僕は。

「そんなことないですって。出会いは、目の前に落ちているかもしれませんよ」

目に涙の膜をはって、北斗くぅん、と嘆く名字さんを見ていると、すごく心地いい。僕もようやく、あなたのことを好きになれそうです。

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