短編

□近くて遠くて近いひと
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部室で、木場くんが私の肩に掴みかかって、怒りの声をあげた。顔すら上げないで、うるむ瞳にフタをした私に。

「名字、何も聞いてねえのかよ!?」

「兄ちゃん、やめなって!」

静火が木場くんを止めようとしてくれてるみたいだけど、事が事だから。木場くんの口からは「答えろよ、オラァ!」となおも怒号が飛んできた。
木場くんがああなっているのも、私がこうなっているのも、同じ理由。スバルが覇道高校から、突然転校したから。私は、スバルの幼なじみで、誰よりも一番近い距離にいたマネージャー。……それなのに、私もいま、初めて知ったんだ。このことも、この気持ちも。私は、木場くんの手を振り払って、部室から駆け出ていった。静火が私を呼んだけれど、振り返ることなんてできるはずがない。

スバルとは、ずっと一緒にいた。家が近くて、いつからなんて覚えてないほど、ずうっと。
優しくて、モテモテで、かっこよくて。でも、小学校も中学校も高校もスバルは野球一筋で、私はいつしか当たり前のように野球部のマネージャーになっていた。だから、考えもしなかったの。離れてしまうなんて。……私が、スバルのことを好きだなんて。

部活、休もう。部室からだんだん離れていく足は、スバルともうひとりの幼なじみと一緒にキャッチボールをした思い出でいっぱいの空き地に向いていた。

スバルの、ばか、ばか。私にひとことも言ってくれなかったのがムカつく。覇道には寮もあるのに残らなかったのがムカつく。送別の場を持たないで欲しいと監督に言ったのがムカつく。ぜんぶ、ぜんぶ、ムカつく。

「……ぅ」

でも、ムカつくより、かなしい。さみしい。こんなに近くにいたのに、私なんて彼のなににもなれなかった。
空き地について、私の特等席、専用ポジションにつく。奥の方。ここにいると、スバルがあの位置からボールを投げてくれたんだっけ。
あの時に帰りたい、なんて非現実的なことを考えてしまう。無垢で、何も知らない、あのころに。顔を腕で覆った。ああ、涙が止まらないや。……いつから、こんなに泣き虫になったのかな。昔は、スバルの方が泣き虫だったのに。こらえきれずに、うずくまって泣いた。声もあげずに、ひっそりと、スバルのことを想って泣いていたはず、なのに。

「名前……?」

聞き慣れた声がして。顔を上げなくてもわかった、スバルだ。どうしてここにいるの。ゆっくりとその方を向けば、やっぱり、彼だ。全然そんなことはないのに、久しぶりだと思った。

「な、泣いてるの!?」

驚いた様子で駆け寄ってきた彼は、見知らぬ制服を着ていて。……そうか、本当にスバルは私から離れてしまったんだな。目頭とは対照的に、頭はよく冷えている。
やさしいスバルは、私を立たせるとどうしたのかと聞いてきた。どうしたも、こうしたも、あんたのせいだ。そう言ってやりたいし、いつもならそう言っていたはず。でも、できないのは、この涙に女の子としての雫も混ざっているから。

「なんでもない」

「……でも、泣いてるじゃないか」

「違う、からっ」

赤く染まった目で、てらてらと濡れる頬で、スバルをにらみつける。彼は侘しく眉を下げた。そして、ごめん、と。そんなこと言わせたいわけじゃないけれど、悲しくて、彼の身体をパシリとはたいた。微動だにしなくて、寂しげな影が目に宿った。

「僕は、木場からも野球からも逃げたんだ。全部を捨てるつもりでね」

「……ばか、スバルはがんばってたじゃない」

「はは、そう言ってくれるのは名前だけかな」

もういちど、彼をはたいた。当然だけど、まったく効いてなかった。スバルは男の子で、私は女の子。いつからついてしまったのか、力の差は歴然で。そんな些細なことにも、今は情が深入りしてしまう。彼との距離は、知らず知らずのうちにできていたんだ。

「スバル……い、や」

ああ、言うはずなんてなかったのに。ぽつりと呟いてしまった。ほつれた糸を引くように、彼が私の背中をやさしくさすりはじめるものだから、簡単に私の決意はほどけてしまった。

「いや、イヤだよ、スバルと離れるなんて……離れたく、ないよ……!」

「……うん」

「スバルがいなくなっちゃ……」

だめに、なっちゃうから。ついに、何も考えられなくなった私は、スバルの首にきゅ、と手を回した。こんなに大きかったっけ。がっしりしてたっけ。ごつごつした手が私を撫でた。目よりもりんごのような顔は、きっと泣いているから。……この手に、意味なんてない。スバルは、幼なじみを慰めるためにこんなことをしているんだ。こんな気持ちを持って、初めて幼なじみであることを恨んだ。

けれど、スバルの手は私の背中に回って、つよく、つよく力がこもる。何年ぶりか、その温もりに身を寄せることとなって。きゅ、と目を閉じた。スバルの転校とかなにもかも忘れて、このままでいられたらいいのに。そう思った矢先のことだった。

「名前」

スバルが私の顔を上げさせた。近い距離で見つめる、深い柿色の瞳に吸い込まれそう。目を流すことはできない。
青い髪が風に揺れたとき、おっとりとしたやわらかい眼差しと、弧を描く口。間近で見た、切なげで、きれいなスバルの笑顔。

「僕もだよ。……名前がいなきゃ、ダメだ」

血の色をほんのり透かせる彼の言葉に、私の目はこぼれそうなほど開かれた。

「全部、捨てたつもりだったんだけどね。名前のことがずっと……気がかりだったんだ」

「スバル……」

「だから、今日ここに来たんだ。会えるとは思ってなかった」

スバルの目の奥が燃えて、私をとらえる。……私と同じ気持ち、なの?確信はないけれど、自信はあった。幼なじみ、だから。それなら、見習わなきゃ。まだ赤みのとれない瞳で微笑んでみせた。すると、彼の顔がニカッと歯を見せて輝いて、もう一度私をつよく胸に抱いた。

目よりもりんごのような顔は、スバルのことを誰よりも好きだから。幼なじみでよかった。きっと彼にも、この気持ちは伝わってる。……それなら、言葉にするのは、まだまだ先でもいい、よね。
 

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