短編
□そこがキミのいいところ
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未だに信じられないんだ。俺の見間違いなのかなと、何度も何度も、目玉が傷つくほどにこすった。
その原因は、真っ白な頬に艷やかな髪を靡かせた女の子、アイドルみたいな可愛らしい外見で背は小さめだ。矢部くんがメガネの縁を光らせながらしたり顔で「オイラの彼女でやんす」なんて、とんでもない時限爆弾をしかけていったから、俺は数拍後に跡形もなく爆発した。
大口を開けて震える俺を、矢部くんは特大のタイでも釣りあげたようにニマニマ笑っている。
「ごめんね、コイツすぐ調子に乗るから」
「……うん、それはオレも知ってるよ」
「フフン、ようやく時代がオイラに追いついたでやんす」
「ちょっと」
愛嬌があるわりに、度胸もあるみたいだ。まんまるの目をさあっと据わらせた彼女は、甘さたっぷりなピンク色の雰囲気を冷凍庫にでも投げ入れてしまった。
それでも、根はとってもいい人のようで。またすぐにぱっちりと瞼を開かせた。正直、矢部くんにはもったいない。コロコロと表情を変える彼女は見ていて飽きないし、もらい手なら矢部くん以外にもいるだろう。
「フフン、羨ましいでやんすか? ん?」
「そ、そんなことないよ俺だっていつかは!」
「アンタだって私にしつこくしてきたクセに」
「えっ。矢部くん、それストーカーってやつだよ」
「違うでやんすよ! オイラと名前ちゃんの恋が実っただけでやんす!」
「私が折れたの間違いね」
「うわあ……」
しかし、見る目が変わってしまった。このカップルの立場は明らかに彼女さんの方が上。背の低い女の子に高校球児が頭を垂れる姿、そんなふたりの日常が容易に想像できる。
彼女さんはキヒヒといたずらっ子のように歯を見せて「明雄くぅん、のど乾いたなあ」と自動販売機を指差す。まさか。そう思った俺に、大正解と言わんばかり。矢部くんがデレデレに鼻の下を伸ばした返事と共に自慢の足とやらで駆け出していった。
矢部くんのストーカーといい、彼女さんのパシリといい、疑惑は広がるばかり。調査委員会が必要だと思う。
自慢の足が泣いているよ、矢部くん。彼が走り去った方を引きつった顔で見ていると、同じ方向を彼女さんが笑み満面で眺めていることに気づいた。
「あの、聞いてもいい?」
「なあに?」
「本当に矢部くんと付き合ってるの? えっと、使用人とかじゃなく……」
「ええ、付き合ってるけど」
人良さげな微笑みを見せる女の子。その子自身が花に見えてしまうほどのものだから俺は肝を冷やした。
男は花に誘われた虫に過ぎないってか。女子、こええ。全身の毛と呼べる毛が逆立ったぞ。女子、こええ。
しかし、わかっていても虫になってしまう。男は単純なんだよ、うん。彼女さんの笑顔を枯らすわけにはいかない。話題を引き延ばさないと。
「ね、ねえ、矢部くんのどこが好きなの?」
「え?」
「え、ああ、いや、その」
女の子の目がパチリと開かれた。あれ、ひょっとして俺、地雷踏んだんじゃないの。不自然な形の唇に冷や汗がつたう。いいや、相手は矢部くんの彼女、矢部くんの彼女。矢部くんみたいに扱っていいんだよ。胸中で呟いてみたけど、この富士山の頂上にでも咲いてそうな花とメガネはとても重ならない。
しかし、自慢の足で早く帰ってきてよと願う俺の目に映ったのは、いたずらっこい子どもでもなく、よそ向けの花でもなく、口に手をあててケラケラと笑う女の子の姿だった。
もちろん彼女の意図なんてわかるもんか、わかるはずもない。まだ無表情で見たこともないサインを送る監督の方が理解に易しい。何もできずに顔に貼り付いただけの目を投げかけていると、彼女はついに目尻を指で拭い始めた。
「あっははは! 面白いこと聞くのねえ、キミ」
「そ、う……?」
「ふふ、明雄と付き合った理由よね」
なんなんだこの超生物。俺という人間の斜め上へと横断していく娘に、心の奥底で「わからねえ!」と叫んでしまったじゃないか。俺の友人は未だ使用人のままだ。早くこの子の彼氏に戻ってと熱望する。
腕を下ろした彼女は、笑いのツボがようやく落ち着いたみたいで、大きな黒目が俺をとらえた。
「バカだからかしら」
おちょくった様子でも見れたら青筋を立ててやったかもしれない。でも本人の瞳は強くキレイだ。俺はどう反応すればいいのかわからなかった。
人の彼女と見つめ合うなんて背徳的なことをしていると、水っぽい目がゆっくりと細くなって、やがて心ありげに微笑む。
恋する乙女の顔、なんてよく言ったものだよね。俺に向けられたことはないけれどすぐにわかった、彼女は矢部くんに恋してるんだって。胸にぽっと小さな花が咲いた。なんだかすごく気持ちがいい。
俺から目を逸らした彼女は、ガシャガシャとジュースを抱えて走ってくる矢部くんを見ている。そして、たったひとこと。
「ほら、バカでしょ」
相変わらず花のような笑顔。納得だ。矢部くんによくお似合いだと思った。彼は富士山の山頂に届くほどの優しさをもっているのだから。彼の足と合唱するように、三本のジュースは音を立てている。