短編

□空が落ちる
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私としてはらしかぬ話かもしれないが、ここに綴っておきたいことがある。

私は帝王実業高校の誇り高き野球部に所属していた。野球において我らの右に出るものなどいない。そのような愚か者が現れようなら完膚なきまでに叩きのめし、二度と膝が上がらぬ身にしてくれるもの。

完成された金甌無欠の強さ、まさに勝利の美酒以外を口にしたことのないヴァージン。しかし、常勝を支える神聖なグラウンドにもネズミとやらは生息するようだ。

この学校に女という非力でなんの戦力にもなり得ない存在は必要ない。だが、我が物顔でグラウンドを歩き回る者がいる。歩みに合わせて結った髪が揺れているのは、言うまでもなく女だ。

女は数ある人間の中で私を目に映すと、顔やら手やら尻尾やらを弾ませて駆け寄ってきた。

「山口さんっ」

そして、私の腕に絡みつく。断っておくが、この腕は帝王実業高校の勝利を支えるための献上品であり、決して貴様のような価値のない者の所有物ではない。
些か不快、不愉快である。腕を引き上げるとそれを羨ましげに見ているチームメイトの面々。お前たちはいつからそのような腰抜けになったのかと頭を擡げてしまいたくなる。

「もう、つれませんねえ」

「なぜ貴様がここにいる」

「山口さんに会いに来たんですよ」

女の口から飛び出す言葉は私の知るものではない。酔狂な女がいるものだとこちらから脱帽したくなるほど。これ以上付き合っても利などないと彼女から離れると、背後から着いてくる足。どうやらこの女、よほど状況を理解し処理する能力が低下しているらしい。

「なぜ着いて来る」

「山口さんだからです」

悪びれも間髪もなく言うものだから、この小さい頭の女は迷惑という言葉を知らないのか。微笑む子供のような顔に、もはや呆れすら感じる。人を悩ませることに特化したこの女は、無論帝王実業高校の生徒ではない。こんな者がこの崇高な我らと同等の立場を持ってたまるものか。

ここに書かれたことは、随分と前の話である。私はあれからさらに完璧な変化球を磨き、ハエ一匹通さぬ隙のない強さを手に入れた。

そんな我々にとって、地方大会などウォーミングアップにも満たない。最強帝王を掲げる戦旗も風に乗るまでもない。
目の前のアリを踏み潰す作業を繰り返してのち、当然のごとく甲子園決勝という場まで駒を投げたのだ。

決勝戦の相手は近い地域の高校であった。あかつき大附属高校。私立の名門だと言うが……笑止、愚姿の骨頂、よもやぐうの音も出ない。名門と最強には雲泥の差がある。蜘蛛の糸を伝っても登りきれないだろう。

青を基調としたユニフォームなど、黒の敵ではない。濁る間もなく染め上げてやろう。帝王が君臨する限り、貴様らの甲子園優勝など寝首を掻かれる前夜の夢に過ぎないのだ。

野球と呼ぶのも痴がましい球遊びを経験してきた青二才どもは、この蒼天に現を抜かされている。この手でその幻想から引き出してやろうと、対角線上のベンチを見つめた時のことだった。

一点だけ、想定外のことが起きた。

女がいたのだ、あの女が。

身を包む青くさいユニフォームが笑っている。そこで初めて知った、彼女があかつき大附属高校の生徒であったことを。

何もできずにただ女を見ていれば、やがて私の視線がその肩を叩いてしまった。ゆっくりと、髪を揺らしてこちらを向いた時にはもう、あのあどけない少女はどこかへ行ってしまったのか。

この先のことなどなにも知らない子供の笑みをウリにしていた彼女は、その丸々とした瞳をいやに細くしてみせた。その顔は、私の後ろを金魚のフンのごとく付き纏った女よりも遥かに知能を弁えている。

やっと、歳相応の顔を見せたと思えば、私が今まで見ていた幻覚が煙のように去っていくのを感じた。現を抜かしていたのは、はたしてどちらだったのか。
 

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