短編

□翼のない小鳥の恋
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私はどこにでもいる女子高生、そう自負しています。勉強はあんまり好きじゃなくて、休み時間に友達と騒いだりするのが待ち遠しい。それと、大切な人もいるの。

ね、どこにでもいるでしょう。
でもね、私の大切な人はどこにでもいる人じゃないんです。

その人は蛇島桐人さん。えっ、聞いたことあるって?うんうん、そうかもしれないね。だって蛇島先輩はあの野球の強豪、帝王実業高校の頂点にいる人だから。

帝王実業高校は女子禁制だから、先輩に会えるのは授業が終わった放課後だけ。私は終業の合図と共に駆け出した。クラスの先生に呼び止められたような気がしたけど、そんなものじゃ私は止められません。

だって、すごく楽しみなんだもの!

上履きを下駄箱に投げ入れて履き替える。あわてて足を突っ込むと、わっ、と、よろけちゃって。ちょっとは落ち着かなきゃ。そんなことを頭で考えたけれど、胸の高鳴りが前へ前へと引っ張って行くからどうにもこうにも加速を続けちゃう。

流れる風に逆らえば、私の髪が思い残すようにひかれていく。気持ちいいな、靡く髪をさらいながら負けじと彼のもとへ。

ここからそう遠くもないグラウンドは、逃げもせず私を迎え入れてくれて。おっと、いけない。まずは校門の前で汗を引き取って、笑顔、笑顔っと。タオルで拭い去った頬を指で押し上げる。好きな人には、いつだって可愛いって思われたいもんね。

そうして、ひとりにんまりと帝王実業高校に足を踏み入れた時でした。ぽんぽんと力なく私に駆け寄ってきたボール。これは右から見ても左から見ても間違いなく野球部のものだ。

私の単純な頭じゃ、野球、すなわち先輩。お花がたくさん咲いている脳内に反抗することもなく、意気揚々とその白い球を手に取ってみた。わあ、小さいのにとっても硬いなあ。

「あっ、すみませーん!」

だんまりを決め込むボールに力を加えて、なんとか顔を変えてやろうと試みていた時、私の目は否応なく声のした方へ向く。そこには、以前、試合で見た蛇島先輩と同じ色のユニフォームを来ている男の子。途端に私の一本道な頭に電球がついて、彼の手を取った。

「ねえ! ひょっとして蛇島先輩のお友達!?」

「え!?」

「先輩と同じ服を着てるんだもん! ねっ、ねっ、そうだよね?」

「ま、まあ、蛇島先輩は俺の先輩だけど……」

やっぱり!この人について行けば先輩に会える、と私にとっちゃ朝飯前なほど簡単な数式を導き出したところで、彼を見つめた。頬を指で掻く男の子は、助けを求めたそうに目を彷徨わせている。

すると、そんな彼の後ろからメガネの男の子がやってきて。私と目が合った瞬間ににへらあと可愛らしく破顔した。

「女の子でやんすぅ!」

「へへ、女の子ですっ!」

元気一番、右手をびしりと上げて返事をすると、彼からは拍手をいただく。どうもどうも。

しかし、そんな彼と似たような表情でいた私にもピシリと電光が走る。この人も、隣の彼と同じ服を着ているじゃない。ということは、ということは……!いても立ってもいられず、私は彼の肩に掴みかかった。

「キミも蛇島先輩のお友達!?」

「フフン、気づいてしまったでやんすか……」

なっ、なにかなこの風格は。私の手を柔らかげに肩から落とした彼は、メガネの奥にバラでも舞っているかのように瞳を光らせる。

「オイラこそは……帝王、蛇島先輩と並ぶ魅惑の男でやんす……」

「ええっ、先輩と並ぶの!? すごいすごーい!」

「……矢部くん、ウソはいけないよ」

「コラッでやんす」

「とにかく、蛇島先輩に会いに来たんだよね。オレたちが案内するよ。着いてきて」

「はーい!」

「ムキーッ! 無視はウソよりいけないでやんす!」

背中を向けた男の子とメガネの男の子。蛇島先輩に会えるというエサに私が食いつかないはずがない。私はすぐさま追いかけると、彼らを越してみせた。
あわてて私の後を駆けて来た彼ら。これじゃあ、どっちがどっちなのかわからないね。

やがて見えて来たのは、同じ真っ黒なユニフォームの人。しかもたくさんいる。みんな蛇島先輩と同じチームの人なのかな。そう思うと、やっぱり私の大切な人はすごいんだ!と胸いっぱいに誇らしさが湧いてきた。

「蛇島先輩ー! お客さんですよー!」

彼が口元に言葉まんまお手製のメガホンを当てて叫ぶと、バットを持っていたたくましい男の人がみーんな手を止めた。わあ、先輩の名前を呼んだだけで、これだけの人が反応するんだ。先輩ってやっぱりすごい!

「おや、名前じゃないか」

「せ、先輩っ!」

その中でひときわ目立つ長い髪、私の大好きな人。優しく笑っているその顔を見るとね、私も同じ顔をしちゃうの。

思い切り先輩に飛びつくと、その広い胸に身体を寄せる。えへへ、名字名前、今とっても幸せです。頬を揺らすと彼の体温が感じられて私の顔をちょっぴり温めた。

「はは、どうしたのかな」

「会いたくて来ちゃいました!」

「だけど、練習なんて見ていてもつまらないだろう」

「ううん、先輩がいればなんでもいいです!」

包み込んだ私の両手じゃ、ちょっと足りない。蛇島先輩はかっこよくて、やさしくて、私のヒーローなの。髪を撫でる手が暖かいから、私もどきどきしちゃうんだ。

「蛇島、その子……か、彼女か!?」

「ああ、そうだよ」

「カワイ子ちゃんだなー!」

「確かに……! やっぱり女の子はいいねえ」

しかも、帝王実業高校の人たちも寄ってきて。男子校は女の子が珍しいんだなあ。こんなどこにでもいる女子高生の私でも、脚光を浴びられて嬉しい。気持ちはちょっぴりヒロイン。もちろん、蛇島先輩の、ね。

私の頭に大きな手が置かれて、ぱふんと顔が彼のユニフォームでいっぱいになった。先輩は力も強い人だから、少しだけ鼻がこつん、痛いけどその分だけ幸せ。

「……みなさん、少々失礼しますよ」

そして、次に取られたのは私の腕。筋肉なんてものと無縁なそこは先輩の凛々しい手が掴んで。触れた彼の手が熱を帯びていたから、繋がれた線を伝っていく。ぽ、と頬が騒いだ。


しかし、しばらく強い力を加えられた私は、躓く暇もなく先輩の後を引きずっていく。今までになく腕が鳴って、ちょっと、これはいくら先輩の力が強くても、私には痛いかも。緩めてもらおうと後ろから顔を覗き込む、と。

「痛いかな? クックック、悪いけどもう少し我慢していてもらえるかい」

目が合った彼は、見事なまでに私の言いたいことをピタリと当ててみせたの。それでも、腕の力は変わらなくて。ギリギリと嫌な音がする中、さっき見た微笑みが忘れられなくて私は口を閉ざしていた。

なんて言ったらいいんだろう。空気が変わった、そんな気がする。知らない国に放り出されたような不安感に煽られながら、ふと野球部の人たちを思い出した。

ちょっとまって、今一緒にいるのは蛇島先輩だよ。私の大好きな先輩。どうして、こんな気持ちになってるの。野球部さんのところに行きたいなんて。……私、蛇島先輩に会いたくて、ここまで来たんじゃない。なのに、どうして。

ごちゃごちゃとかきむしられる頭を整理することもできないでいると、私の手が叩きのめされた。その先は壁だ、背中も一緒に大きな音を立てる。腕を見れば、泣きはらしたように真っ赤。その色にぞくりと身体は青くなる。

「さて、名前」

ようやく自由になったと思った。けれど先輩の硬い両腕が私の横に置かれて、檻に入れられて。
その時、目に映した先輩の瞳はいつもとは似て非なるもの。まさに氷、とても冷たかったの。

そんな寒さに当てられた心はすぐさま熱を手放し、鼓動の音すら大人しく音を失くした。

「俺はね、怒ってるんだ」

「え、どうして……」

明らかに、いつもの先輩じゃない。授業中でも思い浮かべている顔と瓜二つ……でも、何かが違う。

「……名前は俺のものだろう」

「う、うん……」

「それなら、お前を可愛いと思うのだって……俺だけで構わないよなあ」

先輩は薄い笑みを浮かべた。それすら、何かを凍らせてしまいそうで怖い。私の手は動くか、そんなことが心配になってしまうほどだ。そして、そんな私をあざ笑いながら、彼の指が頬に触れた。

「名前、お前には俺以外が必要なのか?」

「そ、そんなことないですっ!」

「しかし、可愛らしい笑顔をみんなに振りまいているじゃないか」

そんなことを言われてもわからない。でも、可愛いって、好きだって思っていてほしいなんて……こんな気持ちになるのは先輩だけ。先輩だけ、なのに。

「……私、先輩だけなんです」

「さあ、どうだろうね。名前はそう思っていても周りが放っておかない」

先輩はずっと見せていた冷笑を初めて歪めた。そして、心底恨みでもあるよう睨みつけたの。

「他の男の前でそんな顔をしてたら、アイツらになにをするかわからんぞ」

「えっ……な、なにをするの!?」

「ほう、知りたいか?」

待ってましたとばかりに、今度は喜悦に満ちた彼の顔。だんだんと近づいてきて、いつもなら間違いなく胸が熱くなるはずなのに、今はつららでも突き刺されたような心地だ。逸らしてしまいたかった。

「部員が使っているバットに赤い絵の具がつくとか……ね」

吐息が耳に触れた。温度の高い、熱風のような息。それでも私の身体はまたぶるりと鳥の肌を作ってしまう。恐ろしいことを言い回すもので、より鮮明にその光景が浮かび上がった。

それと同時に、私の中の先輩が消えてしまいそうになる。だめ、私から取り上げないで。無我夢中で手を伸ばした。

「ねえ、蛇島先輩……どうしたの!? いつもの先輩に戻ってよ……!」

「いつもの……? どんな先輩かな」

「優しくて、人思いな先輩……私の好きな先輩だよ……!」

「……なるほど、名前は優しい僕が好きなんだね」

顎の下に手を当てた先輩は私の好きな顔をしていて。ああ、よかった、私の手が届いたんだ。ほっとして顔を綻ばせた、のも、束の間のことでした。

彼は私に笑いかけると、あの先輩の声で囁いたのです。

「それなら、名前がいい子にしていなきゃいけないな」

「いい子……?」

「さっき、他の部員のだらしない顔を見ただろう? 名前もそれを笑って助長させやがって……悪い子じゃないか」

もしかして……私、知らないうちに先輩を嫌な気持ちにさせていたのかもしれない。そんなことを考え始めたら、目の前がなんだか暗く感じてきて。

「……ごめん、なさい」

ぽろりぽろり、弱々しく涙が溢れてきた。

「どうして、ごめんなさいなのかな」

「いい子じゃなくて……先輩を嫌な気持ちにさせて……ごめんなさい」

そうだ、私は悪い子だったんだ。こんな私……きっと先輩は重荷に感じていたのかもしれない。泣くことしかできないんだもん。そう思われても、文句なんて言えない。

「……謝ったら、どうするんだい」

蛇島先輩の手が私の頭を撫でた。ああ、やっぱり私……先輩が好き。先輩にとって、いい子になりたい。先輩に嫌だと思われたくない。

「もう、しません……いい子になります……」

「そうか……クックック、やっぱり名前はいい子だね」



















「蛇島先輩、また彼女さん連れてきてくださいよ!」

「オイラも! お話したいでやんす!」

「クックック……そうだねえ、彼女が来れるような状態じゃないからなあ」

「忙しいんでやんすかね」

「そうみたいだね、名前は頑張り屋だから」

「そっかあ。よーし、オレたちも負けないぞ! 先輩、落ち着いたらいつでもどうぞって言っておいて下さいね」

「ええ。彼女がいい子なら、ね」
 

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