短編

□友は矛なりけり
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「はあ?」

呆れ顔の名前ちゃんと、

「え、本気?」

疑り顔の俺。そして、

「オイラはいつでも本当のことしか言わないでやんす!」

どこからそんな自信が湧いてくるのかわからない矢部くん。

矢部くんの机を囲った俺と名前ちゃんはそこに置かれたノートをしげしげと見つめる。名前ちゃんに至っては眉まで寄せるおまけつきだ。

でも、彼女がそうするのもわかるよなあ。だってそこには「オイラレギュラー大作戦!」なんて随分強調された文字たちが並んでいるんだもん。

矢部くんが言いたいことはこうだ。野球部でレギュラーの座につくためには、肉体改造で身体能力を上げる必要がある、と。正直、それを聞いた俺も名前ちゃんも考えることは一緒だ。そう上手くいくはずない。

それでも、授業のことなんてこれっぽちも記録されてないノートにはおそらく文明の利器で発見したのだろう理想の矢部くん像を叶えるらしい方法が書かれていた。ドイツから来た凄腕のスポーツドクターが一日でボディメイクできる手術を得意としているみたいだ。

「部活で鍛えればいいじゃない」

「そうだよ矢部くん。あんまり無理すると身体を壊しかねないぞ」

「それだけじゃ物足りないでやんす! オイラが目指すのはムキムキのボディビルダーでやんすよ」

「ふうん」

秋の空なんて足元にも及ばない気候変動、乙女心は興味すら一瞬で変わってしまうようで。名前ちゃんは据わった目で矢部くんの机に座り込んだ。彼女の登場でノートは肩身狭げに縮こまっている。

「というわけで、オイラは今日この博士に会いに行くでやんす」

しかしダイジョーブ博士、かあ。彼のノートの字を指先でなぞると怪しさがにじみ出てきたような気がした。ドイツの人なのにダイジョーブだなんてやっぱりなあんかヘンだよなあ。

「ねえ矢部くん、怪しくないの? 大丈夫?」

「ダイジョーブでやんす!」

「でも、面識もなにもないんだろ。手術なんて……」

「何言ってもムダよ」

ううむ、そうかもしれない。ご覧の通り、名前ちゃんはもう知らないと両手を広げてみせた。俺もお手上げ状態だ。こうなったからには、本人が納得するまでやらせる方がむしろ吉かもしれない。俺が止めても馬耳東風、矢部くんの馬の耳に念仏を説く俺の言葉なんて雑音同然みたいだ。


口は達者でも矢部くんを心配する名前ちゃんと彼を見守る俺。結局は友達だ、ここまで来てしまった。目の前にそびえ立つは大きな研究所。なんというか……医者よりもネズミやらなにやらで実験を繰り返す学者の方が馴染みそうな建物で不穏な空気が流れる。それなのに舌巻くどころか息巻く矢部くんを止めることはできなかった。

そして今、俺と名前ちゃんは中に消えていった彼を引きつった顔で見送ったところだ。

「ねえ、ここ」

「うん」

「ヤバイわよね」

「ヤバイね」

「アイツ、実験体にでもされるのかしら」

「……可能性はあるね」

名前ちゃんの髪が垂れて顔を隠した。やっぱり、いつもは辛辣な言葉や手足が出れども矢部くんが大切なんだ。俺は表情が見えないながら手に取るようにわかりやすい顔をする彼女の手を取った。

「え、ちょっと!?」

「気になるんだろ、矢部くんのこと!」

そしてそのまま研究所の中へ。彼女が驚きながらもそれが図星なんてことは、見なくてもわかるんだ。引いた手の重みがなくなったから。そうだよ、名前ちゃんにとっても俺にとっても矢部くんは大切な友達だ。こんな時、俺達が行かなくてどうする。

気持ちは矢部くんにも引けを取らない速さで研究所の入り口を駆け抜けていった俺と名前ちゃん。見た目は広いのに中は地下へと続く一本道で、それ以外の通路は全て封鎖されていた。

「これ、この階段を降りていけってことなのかしら」

「たぶんそうだよ。矢部くんだってこっちに向かっただろうしね」

「……行くわよ」

ふと見えた名前ちゃんの横顔は凛としている。普段矢部くんに見せている呆れ返ったものとは似ても似つかない。俺も彼女の表情を見習って、ちょっぴり華奢な背中を追いかけた。

しかし、階段を下りた先は真っ暗。本格的に矢部くんの安否が心配になってきた。名前ちゃんの表情はわからないけれども、彼女もきっとおんなじだろう。人工的な冷気が俺達を包む中、壁を頼りに足元見えずして進んでいくと、聞き覚えのある声が聞こえた。

悲鳴だ、矢部くんの。

そう思うやいなや、隣にいた体温が消えて。

「名前ちゃん!」

「ちょっと、矢部! どこなの!?」

無機質でかたい鉄を踏みしめる名前ちゃんの靴からカンカンと音がする。それに意識を向けて俺も彼女を追った。何度か階段を踏み外しそうになったけれど、そんなことはお構いなし。

「返事しなさいよ! いるんでしょう!」

彼女の怒声に足音が共鳴、さらに目を覚ましたかのように彼女が手に触れた扉を叩き開いた。カアッとまばゆい光が俺と名前ちゃんの瞳を襲って、それでも、閉じてしまいそうになった瞼はなんとか堪えることとなる。

だって、そこに矢部くんがいたのだから。

「矢部くん!」

「ちょっと、アンタ……!」

俺はすぐさま矢部くんに駆け寄り、名前ちゃんは隣にいた白衣を着た白ひげの男、おそらくダイジョーブ博士とやらへ距離を詰めていく。矢部くん、大丈夫かな。声をかけるとううん、と唸る彼はひとまず命はあるみたいで暗雲が胸から逃げていった。

「彼ハ自ラノ意志デ手術ヲ受ケマシタ」

「はあ!? 何言ってるのよ!」

「科学ノ進歩、発展ニ犠牲ハツキモノデース」

しかし、彼女と博士の会話で今度は積乱雲が広がる。失敗って聞こえたぞ。まずいんじゃあないか。俺は慌てて矢部くんを揺さぶる。早く起きろよ、矢部くん。大丈夫なのか?いろんな気持ちが混ざって手が震え始めた。

「う、うう」

「矢部くん!」

「あれ……オイラ……」

そして、ゆっくりと身体を起こした矢部くんに名前ちゃんも駆け寄ってきた。だが、矢部くんは血でも止めるように胸のあたりを手で抑えて、苦しそうにベッドへと逆戻りをしてしまう。やっぱり、思ったよりずうっと彼の身体は軋んでいるみたいで、俺の身体まで機械のように冷たく凍りはじめる。

「……アンタは、いつも頑張ってるじゃない! こんなことしなくたって、いつか認めもらえる時が来るわよ!」

「……ただ、レギュラーが欲しいでやんす。頑張るだけじゃ、ダメでやんすよ」

「でも、レギュラーってそんなに偉いのか!? どうしてここまで、こんなことまでして……ボロボロになってまで……」

「それくらい、オイラは野球が好きでやんす。オイラには……野球だけなんでやんす」

ついに、名前ちゃんのよく回る口がおとなしく閉じてしまった。だって、いつもの締りのない顔だけれど、野球が好きだって、野球しかないんだって言った矢部くんがすごく幸せそうだったから。嬉しそうだったから。きっと、身体が痛くてしかたないはずなのにそんな顔をされてしまっては俺と名前ちゃんはまるで悪者で、まっすぐ、一途に野球を想う矢部くんの恋敵みたいだ。

「……ホント、バカね」

「バカでもいいでやんすよ」

「じゃあ、アホだよ」

「もうなんでもいいでやんす」

俺と名前ちゃんはすっかり彼の前に心を差し出すしかなかった。もうなんでもいい、その通りだ。ぐ、と顔を歪めて今度は腕を押さえる矢部くん。そんな友人を見ながらも、俺は何も言えない。何もできない。

名前ちゃんが矢部くんの手に触れた。その顔を横目で除けば、あの強気な彼女の瞳がどこか水気を帯びている。

しかし、それに気づいた矢部くんの顔が一変。締りのない顔がさらに緩んでお気楽にへらかせた。

「へへ、ムキムキにならなきゃ女の子にモテないかと思っていたでやんすが、案外イケるでやんすね」

「……は?」

そして、彼女の顔はパッと驚きに切り替わる。

「クラスの女の子が男は筋肉がなくちゃあね! なあんて言っていたでやんすが、さすがオイラ! でやんす」

そして、途端に彼女の背後に渦巻く吹雪。冗談を微塵も感じない絶対零度は隠しきれるはずもなく、俺の耳が凍りついた。もちろん、矢部くんの言葉を聞いて、だ。

「矢部くん……もしかして、レギュラーを取りたいって理由は……」

「ウウム、それもあるでやんすが一番は女の子に……ムフフでやんす」

前言撤回、野球に一途な矢部くんなんてどこにもいない。この野郎、俺の感動を返せ。ちょっぴり目頭が熱くなってしまった自分が憎い。

俺は名前ちゃんに目を合わせた。彼女はなおも温度を感じさせない瞳だ、かくいう俺も同じような状態だろうが、この二人分の冷え切った怒りはどこにぶつけようか。いや、もう決まっていたね。共に頷きあった戦友は右手を握りしめて、己の武器を勇ましく掲げたのだ。

「いだっ、なにをするでやんすか!」

「アンタ、ほんっとうにくだらないわね! サイテー!」

「見損なったよ矢部くん! そんな男だと思わなかった!」

「そ、そんな……アアッ」

彼が押さえてる胸元に一発、また一発と思いのたけをぶつけていく。手術の後遺症?知ったこっちゃないね。こっちの心配もわからないで!


後日、俺も矢部くんも名前ちゃんもなぜか一時だけ記憶がないとかいう不思議な現象に悩まされた。でもね、矢部くんが身体が痛くてしかたがない、なんて話を聞いた時に思ったんだ。自業自得だよって。どうしてかな。

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