短編

□棚から夏が降ってきた
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昔っから、俺の近くには変わったヤツが多かった。そのせいか気づけば個性ってものを作る間もなく、いや作ろうとも気づけずにここまで来たんだ。唯一の自信である野球だってよく言えば安定感があって、悪く言えばありふれている。

ああ、別に悲観的になってるわけじゃないぞ。俺は案外この立ち位置で満足していたりするんだ。ほぼ背景、脇役。そんな役回りって気楽だろ?のんびりとマイペースに日々を過ごしていく。平穏だったんだよ、俺の毎日は。

「たっ、田中山先輩!」

「名字さん?」

自主トレの最中、ランニングをしていた俺に声をかけた、背が小さな彼女は名字名前さん。俺のひとつ年下のマネージャー。
制服姿で息をつく彼女が落ち着くのを待ってから、おそるおそる上げられた顔と目が合った時だ。大きな瞳が彼女自身をちらちらと見て、だんだんと青くなっていく。俺といえば、その意図もわからないから小さく首を傾げているだけだ。

「どうしたんだ?」

「あっ、わ、私……田中山先輩に渡そうと思ってたお水を……!」

あわあわと泣き出してしまいそうな名字さんに察しがつく。おそらく、忘れてきたんだろうな。水かあ。のどが渇いていたから、棚からぼた餅が落ちてきたと思ったら賞味期限が切れていたような、そんな気分だ。俺がぼた餅を食えなかった分、彼女が肩透かしを食ったのかな、うん。
でもまあ、部活動の間じゃないのに部員を気遣ってくれるとはできたマネージャーなのか、どうか。わかりづらいものだ。ここまでの彼女でわかるかもしれないね。この子、とっても頑張り屋なんだけれど、それを上回る空回りをかますんだ。

「ご、ごめんなさい! ランニングしているのに……」

「いいって、気にするなよー」

もともと怒る気もないし、そんな風に謝られたらこっちが悪いことをしてる気にすらなってくる。ピシッと頭を下げる名字さんの顔を「大丈夫だから」とあげさせた。しかし、そこには想像以上に落胆が浮かんでいたものだから、今度は俺がピシッと固まる番。
名字さんの真ん丸の瞳が子犬のように下がる。あまり見覚えのないその顔に、俺は手をパタパタと不審者さながらに動かすしかない。しかたないじゃないか、こういう時に女の子を笑顔にできるカードを俺は持っていないんだ。

「あ、あの、名字さん?」

「私、ドジばっかりで、いろんな人に迷惑かけてて……何もしない方がいいのかも」

「えっ、あ、ええと、そんなことはないと思うけど……」

こんな場面、俺はどうしたらいいのかわからない。でも、ここで何もしないわけにはいかない。震える手で摘んだ選択肢は、名字さんの話を聞こうなんて小学生でも考えつくようなものだった。開いたカラカラの口からは「俺でよければなんでも聞くよ」と、これまた陳腐でなんのひねりもない言葉ですこと。こちらが申し訳なくなるようなセリフに、名字さんは拗ねたように俺の顔を覗き込んできた。

「……笑いません?」

「えっ、なんで」

「先輩、パーフェクトな人なんですもん」

しかし、名字さんの言葉で俺の手の震えは止まった。ついでに、なんとかしなきゃとまごついていた口まで。あんぐり顔で、俺は彼女の言葉を頭の中で噛み砕くのに必死だったのだ。だって、俺がパーフェクトな人?いやいや、どこが?無個性の間違いじゃない?自分でも悲しくなるほど、否定文の嵐。
しかも、初めてそんなことを言われたんだ。十云年しか生きてない俺は、この謙虚とは似て非なる自己否定をオブラートに包むことどうの、ウエハースに挟むことどうのはできっこない。

「何言ってるんだよ、俺なんてその辺にいる平凡なヤツじゃんか」

まんま名字さんにそれを伝えてしまえば、なぜか彼女の顔はさらに拗ねを重ねたかのように膨れた。

「そんなことないです!」

「えっ」

「田中山先輩は、打撃も守備も一流で、それなのに鼻にかけたりもしない人で……そんな人、他にはいません!」

さらに、俺よりずっと小さな手で作られた握りこぶしで興奮気味に話す名字さんに、意気昴然に怒られる。あれ、どうして俺はこうなってるんだと思いつつも、初めて聞いた自分への評価になんとなく目を逸らして乾き始めた汗を腕で拭った。彼女は、俺の話をしているわりに、そんな俺に気づいてはいない。

「私も先輩みたいになりたいって、憧れなんです!」

「ええ、俺が憧れー? やめた方がいいと思うぜー」

「やめません!」

名字さんが馬鹿みたいに真剣な顔で言うものだから、俺の胸には一本の花でも咲いたような、ほのかな甘さが広がった。初めてだった、だからそんな気持ちを対処する術もなく、花をちぎって名字さんに渡してしまおうと思った。

「俺としては、名字さんの方が見てていいなあって思うけどなー」

花を渡された名字さんはひどく驚いていた。

「な、なんでですかっ」

「だってさあ、なんだかんだ愛されてるし。名字さんは迷惑をかけているって言うけど、それに癒やされてるヤツもいると思うよ」

そうそう、そういえば名字さんが可愛いって話を聞いたことがあったな。彼女の褒め言葉は聞けども、悪口は聞いたことがない。なるほど、つまりだ。

「みんな、名字さんの迷惑を迷惑だなんて思っていないんだろ。ミスしたらカバーしてやるから、大丈夫大丈夫」

うん、なんだか俺が納得したなあ。忘れてたわけではないけれど、思い出したように彼女を見ると、俺の目がぱちりと丸くなる。
どうやら俺は、彼女の話をしているわりに、彼女のことには無頓着だったらしい。

「……それ、田中山先輩もですか?」

頬を真っ赤に染めて、モジモジと恥ずかしげに潤んだ瞳。彼女に渡したはずの花がパアッと花火に変わった。大きな音をたてたのは俺のどこか。
その時、彼女が俺にくれるはずだった水が無性に欲しくなった。彼女が愛されている事実を撤回したくなった。きっと、俺をここまで褒めてくれる人なんていないから、だから嬉しいんだ。うん、それだけなんだ。

ただの自主トレ、他のヤツがランニングをしている時、わざわざ彼女が水を持ってくるかどうか。そんなことを考えだした俺の頭は、夏色に染まり始めたのかもしれない。

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