短編

□天才は飽き性だとか
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「でね、天城くんがパズルを一瞬で解いちゃったの」

「うん……天城くんは何でもできるからね」

「わかるわかる。天城くんって天才だよねえ、隙がないというかなんというか」

胡瓜やら茄子やら夏野菜の浅漬けに負けないほど野球漬けだった夏休みが終わって、高校生としての役目をノートに綴る日々が戻ってきました。

そんな授業の合間、小さな休み時間に僕の視界の真ん中にいるのは女の子、ほら、僕の机に頬杖をついている女の子です。彼女は、サラリとほっぺたをつつく糸のような短い髪をそっと耳にかけました。口から小さな悩みをため息にのせながら。

「天城くんって弱点がないのかなあ」

彼女のその仕草が、「天城くんとはチームメイトじゃないか。名字さんのことを助けてやれよ」と、いやに僕の良心をくすぐります。胸がかゆくなって、僕は机の上に爪を立てました。

「天城くん、集中力がないことを気にしていたよ。なんでも飽きっぽいんだって」

そして、こそばゆさに負けた僕は、彼女の尖った唇が弓なりに微笑むのを目の当たりにするわけです。別に、天城くんのことを悪く言うつもりはないんだよ。彼に心の中で謝罪をしてから、女の子らしい笑顔を見守りました。

「そっかあ! ……あ、だけどそれって」

しかし、女心と秋の空。彼女の表情は曇りがかってしまいまして。

「それって、天城くんの女の子の好みにも言えることかも……」

「女の子の好み?」

「そう。女の子にも飽きっぽいのなら、どうしようって」

なるほど、乙女心は霞とやらですね。こんな恋なんて言葉が似合う女の子、名字さんだけれど、日が浅いとはいえ天城くんとはいわゆるお付き合いをしている仲です。野球が彼女なんて高尚なことを言うわけじゃないけど、お付き合いしている女の子がいない僕には想像が難しい世界。誰かを想う女の子は努力を怠らないみたい。

澄んだ瞳を流してしまった名字さんは、さっきよりも重たく息をつきました。

そんな姿を見て、思い出します。野球部でいつかしていた話を。つまるところ、女の子の話です。
性悪説を飲み込んだ僕は、クラスで人気のあるあの子を話題にあげたものの、性善説を生きる天城くんは名字さんのことを、まるで、まるで大好きで飽きのこない野球の話をするように朗らかな声で語っていたのです。

それを頭に据えたら、彼女のしかめ面がなんだか場違いに見えたもので。僕は不意に口元が緩むのを感じました。もちろん、僕の下がり眉がなおさら角度をつけた情けない顔は彼女の目に入って。あ、そう思ったころには彼女の眉が僕と反対側に傾きました。
「もう、人が真剣に考えているのに」と、不機嫌そうに頬を膨らませたから、僕はあわてて頭を漂っていたものを口に出してしまいます。

「ああ、名字さんは本当に天城くんが好きなんだなあと思ったんだ」

すると、彼女の風船のような顔はぽっと温かなピンク色になりました。

「そ、そういうわけじゃなくて、天城くんはほらっ、なんでもできるから……」

しかも、裏が隠しきれていない言葉のおまけつき。それは、それはそれは天城くんが言っていた女の子の好みを体現しているようで、僕はますます笑いがこみ上げて来たのです。

きっと天城くんは、名字さんのこういうところを好きになったんだろうなあ。ついに、顔を伏せて髪の毛で蓋をした彼女の、こういうところ。

こらえきれずに吹き出してしまえば、思いの外音をたててしまったのか、机に突っ伏す名字さんの想い人と目が合いました。天城くんは天才です。非の打ち所のない、完璧な人です。けれど、そんな彼が切れ長な目を細めています。初めて見たそんな顔。心中穏やかならず、そう言いたげな顔でした。

僕は、このふたりがひどくお似合いだと思いました。しかし、きっと名字さんに言ったところで否定されてしまうでしょう。彼女が見ているのは、彼女の頭の中の天城くん。本物の天城くんはまだまだ天才のメッキの奥です。

僕は、彼女より早くその甲冑を剥がしてしまいました。あの彼が、天才という名を捨て、恋するだけの阿呆になる様をはっきりと目に映してしまったのです。

「名字さん、名字さん」

「なあに、諸井くん」

ゆっくり机から頭を上げた名字さんは、相も変わらず唇を尖らせています。

「天城くんは、名字さんが思うような人じゃないのかもしれないよ」

しかし、そんなことはふくわらいほどに容易いもので。ポカンと阿呆になる名字さんを見て、僕の顔はふくわらいでも作れないほどに締まりなく緩んだのです。

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