短編

□乙女の背よ進め
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「ミヨちゃん今日もかわうぃーね!」

はい、私もそう思います。

「そんなことないですよう」

ジリジリ照りつけるお日様とは無縁なここ、ベンチでのこと。マネージャーの仕事に没頭したフリをして、耳だけ大きくする。そんなよろしくないことをしているのは私自身です。しかし、あの人の声が聞こえてしまえば、ちっぽけな私の美学は粉々にくだけてしまいます。

楽しげな会話が飛び交う先に、耳だけでなく目までそっと流してみました。私からちょっぴり離れたそこには、茶来くんと仲良しの美代子ちゃんが話していて。口だけでなく手やら足やらの身振りまで止まらない茶来くんが、私と同じ気持ちを彼女に向けているのはひと目でわかりました。

その光景に妬くだなんて、そんな滅相もない、傲慢なことはできません。ただ、同性の私が見ても胸が高鳴ってしまいそうな容姿を羨むばかりです。茶来くんが言うように、美代子ちゃんは本当に可愛い女の子。
彼女みたいになれたらいいのに、なんてことは願ってもしかたがないことです。それでも、願わずにいられないのは、きっと茶来くんが原因なのでしょう。

どこにでもいる地味な女子、引っ込み思案で口下手な私にとって、茶来くんは憧れの人でした。快活で、周りを笑顔にさせられる人。そんな茶来くんが羨望から恋慕に変わることに、時間はかからなかったのです。

「茶来、これから守備練習だろうが!」

「あの、セカンドの茶来くんがいないと始められないんだけど……」

青葉くんと小山くんに呼ばれて、ようやく美代子ちゃんの隣から腰を上げる茶来くん。それでも「んじゃあ、しっかり見てて的なー?」なんて独特な言葉を忘れてない彼を見て、私はさざ波も凪ぐ穏やかな心地に包まれました。名前の通り、元気いっぱいにグラウンドへ飛び出して行った茶来くんは、私の背中より何倍も何倍も輝いています。

「はあ、面倒なのですう」

けれど、私の横にドサリと肩の荷を落とした美代子ちゃんは、どんな人でも癒やしてしまいそうな笑顔をひっぺり剥がして、大きなため息をつきます。その仕草さえ愛くるしいときたのですから、羨ましい反面、彼女と親しいことがなんだか誇らしく思えてきます。

「あはは、美代子ちゃんはかわいいから大変だね……いいなあ」

「……名前ちゃん、ミヨちゃんには茶来くんのどこがいいのかさっぱりなのですよ」

そして、苦い表情で手を振った彼女は唯一の私の恋心を知る人。私の目に映るその人と彼女の目に映るその人は、まるで別人だとよくよく言われてしまいますけれど。

「茶来くんは素敵な人だよ」

「ふうん。ミヨちゃんにはよくわからないですう」

美代子ちゃんはやっぱり、小首を傾げるだけに留まりました。茶来くんが美代子ちゃんの元に来たあと、こうして私の想いに疑心を深めるのが美代子ちゃんの恒例行事。「やめた方がいいと思いますう」だとか、「茶来くんに名前ちゃんはなんだかもったいないですねー」なんて、純真な声で特大ホームランをぶちかます彼女のギャップは、ここでも顕在しているようです。

やがて守備練習が始まって、いつもと同じく彼を見つめる私の目は、ひとりサンサンと太陽に劣らず火照っています。美代子ちゃんは、ふと、私の真っ赤な瞳をのぞき込みました。これは、毎度のことではありません。窓の端に貼りついたイモリよりも主張を繰り広げる彼女の視線に、「楽勝っしょー!」と打球を捌く彼から目を離さざるを得ませんでした。

「み、美代子ちゃん、どうしたの」

「…………」

「あれれ、美代子ちゃーん」

ジィッと私を見つめたままの大きな瞳。女の子を詰め込んだ、かわいいかわいい二つのそれが私を掴んで離そうとせずに。私は、ただただ赤を返すことで彼女を待ちました。
すると、美代子ちゃんが不意に私へと手を伸ばしてきます。何事でしょうか。唐突な白い指の登場に私の顔は困惑色に染まりました。

「名前ちゃん」

静かに指が向かったのは私の額。私と同じくらいの温かさが触れて、美代子ちゃんはピンで留めてある私の髪をそっと自由にしてあげたのでした。
私といえば、ダムを無くした前髪が散らばるのを狐につままれたような間の抜けた顔で感じていたことでしょう。美代子ちゃんは、思い思いにバラまかれた髪を優しくしつけていて。まるで小さい子が褒められる時のように、私の額を彼女の手が撫でたのです。

「……こっちの方が、可愛いのです」

にっこり微笑んだ顔は、至近距離で拝見してもいいものかと胸が高鳴るほどでした。可愛い、なんて説得力の欠片もない笑顔に赤面するのはこっちの方。なんだか、照れくさくなってしまって咄嗟に目を逸らしました。

「そ、そんな、美代子ちゃんに比べたら……」

「ふふ、比べる相手が間違ってますねー」

しかし、美代子ちゃんはどうも私を逃してくれる気はなさそうです。なおも私の頬を染めた顔をやめてくれません。

「茶来くんに恋する名前ちゃんは、とっても可愛いのです。ずうっと前からですよー」

「……恋、する」

「ミヨちゃん、それを茶来くんに気付いてほしいって思っていましたー。……これで、きっと気付いてもらえますよー」

これ、とはこの額の髪。いつもの豪快な美代子ちゃんとは少しだけ人の違う彼女、茶来くんを見ている時とはまた違った心地に、自然と私の手は前髪へと動かされていました。

「そう、かな」

「ふふ、気づかなければミヨちゃんが茶来くんにツボ挙法をやっちゃいますう」

「……あはは、ありがとう」

胸を春風に撫でられて。ふと、茶来くんを再び目に映した時、なんだかその背中は少しだけ近くに感じました。しかし、途端に守備練習を終えてクルリと背中を片付けてしまった彼に、水に流されてしまったようでした。……近くに感じた、なんて、気のせいでしょうか。

しかし、私と目が合った彼は、ひとつだけ瞬きをして。

「あれっ、名字さん何か変わった? ちょっとイイカンジじゃねー?」

私もひとつだけ瞬きを返すと、気のせいじゃないのかも、なあんて笑ってしまいました。
 

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