短編

□不知火に名をつけて
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「可愛いでやんす!」
「えへへ、そうかな」名字が回る。
「名前ちゃん、す、すごく、すごくいいよ……!」
「そう言ってもらえると嬉しいな」
 名字は大人しげな黒髪を揺らして、口元に手を当てて微笑む。そんな女性だった。しかし今はその影を潜めているじゃないか。おそらく、いや、間違いなく彼女が身に纏う衣装のせいだ。
 彼女はあまり肌を人目に出さないはずだが、胸から上だけ隠されて腹部がさらけ出されている。さらに短いスカート丈から伸びる足よ、お前はいつもジャージで隠されていたじゃないか。黒い瞳と対照的な肌色が毒々しい。いや、綺麗な肌だからこそなのだが。
 鮮やかな色の衣装はそれだけで存在感を放つ。いわゆるチアガールとなった彼女はこの場の主役である選手より目立っていいものだっただろうか。そんなことはないだろう。
「名字さん、あれで応援するつもりなのかな」
「そんなわけないだろ」
「冗談だよ」
「……フン」
 名字から離れて遠巻きの一員を成す俺と来栖ですら、視線は彼女に釘付けだ。笑いながらつつく来栖のおちゃらけた冗談を流す余裕もないと彼の肘を受け取る。
 もともと、無名かつ初戦敗退を誰もが想像していたパワフェスチャレンジャーズの快進撃には目を見張るものがあり、選手たちも満身創痍であることは明らかだった。日に日に続く強者への階段、その渦中に華が落とされれば群がるのが男の性というものかもしれない。しかし、いかがなものか。
 普段は「名前ちゃんに手を出すと友沢がライナー飛ばしてくるぞ」とどこの誰か、どこのキャプテンが言い出したのかわからない噂が彼女を守り、色目に晒されることはなかったというのに、その言い出しっぺがこれでどうする。矢部はともかく、お前まで締まりのない顔ではこのチームもお手上げだ。頭を抱えた。
「守ってやりなよ、みんなに見せたくないんだろ。あんな姿」
「そりゃあな」
「それに友沢、さっきからキャプテンと矢部ばかり見ているけれど、他のヤツらも大概だよ」
 来栖の助言に、俺はやっと彼女の同心円を広げる。そこには、近づきはしないものの名字に目を絡めとられた連中がいて、文字通り俺たちのような彼女の取り巻きとなっているのだ。
 アイドルを彷彿とさせる距離感に、俺はだんだんと憤慨を覚えていく。名字は決してアイドルのように愛想を振りまく必要はない。その有り余った分を俺にだけ振りまいていればいい。彼女のことであるはずだが、勝手に有限性を決めつけた。そうでもしなければ、俺はこの醜い想いに理由をつけられない。
「名字さんのこんな姿は珍しいからかな」
「そうだろうな」
「ふふ、早く行けよ。うかうかしていると、俺も人のことを言えなくなるかもね」
「……どういうことだ」
「そりゃあ、目に焼き付けたくもなるってことだよ。いいの? 可愛い彼女さんを他の男の心にしまわれても」
 誉められているのか、焚き付けているのかわからない来栖の言葉と腕が俺の背中を押す。ここまできて、なにもしないわけにはいかない。誰かに動機を投げてもらわなければ動きすらできない、自分のお堅くついてしまったイメージにため息をつきながら、俺はやっと彼女の前に足を運べたのだ。
 名字が俺を見上げる。大切な女だからか、どんな服を着ていても、どんな顔をしていても枯れることのない可憐で優しげな雰囲気が俺を包む。やはりというかなんというか、彼女はアイドルではない。俺にとって家族や野球と同じ存在なのだ。
 それを他のヤツの薄っぺらい感情と一緒にされては困る。というより、ただただ俺の方が名字を大切に想っていると声を大にして言いたいだけだ、だから俺のものだと自分勝手に騒ぎ立てたいだけだ。
 様々な理由を頭の中で練り込んで名字の腕を引く。名字の心配もできないほどに強く引いてしまったことには、素直に俺自身が驚いた。
「えっと、どうしたの」
「来い」
「えっ」
「いいから」
「……うん」
 とにかく、ふたりになりたいと思った。なぜだとか、考えるのももう面倒で俺は名字の覚束ない手を引いていく。これには、隠す気もなく牽制球を撒き散らす俺の意図が辺りを凍りつかせるとまではいかずとも、冷やしたくらいの効果はあったらしい。
 俺としてはこの手に触れられるのは自分だけだと今ここで叫んでいるも同然、情けない話だが純粋に愉快痛快の快感であった。

 連れてきたのはホテルの自室。俺と同室である男は先ほどの言動から見て、しばらく帰ってこないだろう。野球を取ったらなにも残らないような男、どうせ練習場に籠ってしまうのが九分九厘だと、俺は名字をベッドに座らせる。もちろん、俺と付き合いの長い彼女は怯えたりすることもなく俺を隣に招いた。
 しかし、彼女を抱え込んで誰の目にも映したくはないと、甚だ子供のような感情が俺を彼女の背後に動かす。
「もう、びっくりしちゃった」
「……お前、自分の格好わかって言ってるのか」
「うん、可愛いでしょ。ホーミング娘が着てそうだなって思ったの」
 名字は現状を把握しているのか否かどちらとも言えないが、ホーミング娘という彼女にとって俺の代名詞が出てきたあたり、俺のためにこの露出の高い服を纏っているのだと解釈した。答え合わせなどはどうでもいい。
 後ろから名字の背に指を擦りなぞると、俺の思いのままシャンと伸び上がった。それがまた。
「ああ、可愛いよ」
 そう、可愛いのだ。俺の指に応える名字が。だから、そうだな。
「そんな姿、俺以外に見せるな」
 むき出しの腹や太腿にも同じくして指を通してやる。さっきまでは誰の目にもこの肌色が見えていたくせに、ちょっと触れただけでこれだ。
 見せたくないんだ、俺だけが知っていればいい。名字のことを可愛いと思うこと、見たいと思うこと、触れたいと思うこと、すべて俺だけで十分だろう。他のヤツなど付け入る隙がないほどに、俺が強くそう思っていればいいじゃないか。
「……もう」
 名字が身体を反転させて俺の胸に預けた。頬は赤く染まっている。ほら、これが答えだろ。そういうことなんだろ。名字の体温が混ざり合うのは俺しかいないということだ。彼女の背が俺の固い胸板では可哀想だと、柔らかいベッドに横たわらせる。言うまでもなく、俺は善良な判断などしていない。
 名字に這わせた手を滑らせれば、段々と彼女が俺色に染まっていくような気がして、先ほどまでの煩わしい想いに風通しができた。どこの誰もが感じられない温度、感触を味わえるのは、世界中探したところでただひとり。そうだろ、と茹だつ彼女に手を伸ばすのだ。

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