短編

□何度だって繰り返す
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 オレの後ろをヒョコヒョコと着いてくる名前とは付き合ってしばらく経つ。もうデートも何度か回数を重ねたもので、前を歩くオレに今日はどこに連れていってくれるのかと呑気な声で度々訪ねてくる様子だ。それをヒミツにしたまま、彼女を連れてきたのはバッティングセンターだった。
 もちろん、オレは日頃イヤイヤ首を振りたくなるほどバットを振っている。こんなところに来なくとも、いづれバッターボックスに立つ機会は自ずとやってくるわけなのだけれど、今日は自分の快音衝動のためにここへ来たわけではなかった。
 バッティングセンターに彼女と足を踏み入れると、オレはアイツの姿を探す。今日ここへ来ると、昨日の練習中に教えてくれたオレの絶対的ライバル、三本松。アイツは身体が大きいせいか、辺りを見渡せばすぐに視界へ映り込んできた。ただ、オレへの挨拶とばかりに鳴らされる金属音の方が、あの威圧感溢れる図体よりずっとオレの耳や鼓動を征しようと手を伸ばしてくる。妙な寒気がした。士気だろうか、恐怖だろうか。
 名前は三本松に気付いたのか、オレの横をすり抜けて遠目で見てもデカい影へと駆けていった。オレも後を追う。
「三本松くん!」三本松はバットを止めた。
「名字さん? ということは七井も来ているのだな」
「そうだヨ」
 三本松と目が合うと、昨日のオレを思い出したのか岩石のような顔がゆっくり頷く。それは、オレたちの間じゃすでに合図のようなもの。
 三本松が来ていることを偶然だと喜ぶ名前を差し置き、オレは三本松が打っている隣のバッターボックスに立った。目をぱちくりする彼女は未だに何が始まるのか目星がついていないらしい。
 そうさ、今日は三本松と勝負をしにきたんだ。ああ、もちろん、三本松と勝負だなんて毎日のようにやっている。しかし、今日は名前がいるのだ。たまの休みくらい、彼女にいいところを見せたいっていうのが、男として当たり前の考え方さ。
 ふたつのバッターボックスから後方に離れた名前へ目を投げると、彼女もこっちを向いていた。すると、穏やかに微笑むものだからやる気が出てきちゃうよね。
「名前、見ていてヨ! 三本松との勝負をネ!」
「勝負!?」
 しかし、ここにきて笑顔が口をポッカリと開けた驚愕に変わるんだから彼女は面白い。
「七井! いくら名字さんを連れているとはいえ、ワシは容赦せんぞ!」
「当たり前だヨ! 本気でやってくれないと張り合いがないからナ!」
「えっ、と、とにかく頑張って!」
 三本松に背中を向け、目は同じ方へ。これは負けられない。静かにバットを構えて神経を研ぎ澄ます。
 この感覚がオレは好きだ、そうでもなければ野球なんて続けられないわけだけれど、直感を尖らせてようやく気づくんだ。ああ、好きだなって。
 そんな浮き足燃え盛る高揚感、暴れ出す全身の骨肉に待ったをかけてたった一球を今か今かと臨む冷ややかな血流、たまらないこの瞬間を、好きなコに見せてあげられる。好きなコが見てくれている。そんなの、やるしかないでしょ? 簡単に言えば、ここで負けたら男じゃないってヤツさ。
 普段の倍速で鳴る鼓動を抑えつける静脈、同じ身体の中でひしめき合っているとは考えられない卓越したオレでその獲物を待っていれば、ようやくだ。何の特徴もない白いボールが勢いよく飛び出てきた。
 さあ、見ていてよ。名前。前へ研ぎ磨ぎ鋭く向けたオレが持てるすべて、背後に分け与える余裕なんてないから、たったひとことを皮切りにオレは彼女の存在を消した。
 だから、ここから先は彼女自身に譲ろうかな。
 
 ◆
 
 私の毛たる毛やら鳥肌が立ち上がって止まることはありません、とでも言いましょうか。そうさせたのは、紛れもなく私の大切な人。アレフトとは長い時間を共にしてきたけれど、いいえ、だからこそ私は目が離せなくなってしまったのです。
 私の方など一切向くこともなく野球と全面からぶつかり合う彼は、しばらく寝そべっていた数少ない乙女しい箇所に刺激を与えました。かっこいいのです、本当に。そういえば、アレフトが野球をしている姿はずいぶんと見ていません。
 後ろ姿だけでわかります。彼のトレードマークともいえるサングラスを光らせて、投げ込まれるボールを迎え撃っているのでしょう。同じ音は三本松くんの方からも聞こえてくるのに、私の目は最初から最後までアレフトに釘付けでした。
 ボールが飛んで来る度に私を見る凛々しい背中は、彼がこんなに逞しかったかなと思わせます。アレフトは、ここ最近「オレ、国語なんてよくわからないヨォ」と定期試験へのカウントダウンを嘆く鼻垂小僧のような少年であった気がしますが、はたしてあの彼とこの人は同じ人物なのでしょうか。
 私の頬は赤く染まっていて、アレフトはやっぱりかっこいい。彼と付き合いたての私に聞かせたら、何を言っているのとげんこつを頂くかもしれませんが、今、私は再び恋に落ちた心地がしました。
 ただただ慕情を募らせるだけの脱け殻となった私を引き戻したのは、やがてバットの先を下ろした彼でした。振り返った顔には汗が流れていて、息も少々上がっています。
「名前、見てタ!?」
「もちろん! 見てたよ」見ていないはずがありません。
「フフ、結構調子よかったデショ」
「そうだね、すごかった!」
 汗を拭う腕はこんなに男らしかったでしょうか。微笑む顔はこんなに優しかったでしょうか。アレフトは、こんなに魅力的だったでしょうか。今や私の方こそ別の人間にすり変わってしまって、彼に骨抜きどころか血も肉も抜かれてしまっています。残ったのは、単純な恋心だけです。
 私へと歩いてきた彼がまるで王子様に見えました。こんな金髪にサングラス、白馬が嫌がって振り落としそうな王子様です。しかし、それはそれは私にとって取るに足らないものです。私は彼のお姫様になることを夢見るだけのしがない娘なのですから。
「これならオレの勝ちだネ! どれどれ三本松は……」
「残念だが、同じ得点だ」
「エエーッ!  絶対勝ったと思ったのニ!」
「ハハハ、今日はワシも絶好調だったからな!」
 三本松くんの言葉に落ち込むアレフトは、きっと私がこれまで手を焼いてきたアレフトです。しかし、ここで私はフタを開けてしまいました。彼へのありったけの想いが溢れ出て、包み込まれさえすれば、もう手遅れ。どんな彼だってかっこいいのだと自信を持ってしまいます。
 嬉しそうに振り返った顔も、悔しそうな顔も、真剣な顔も、どんな姿も見ていたい。長い時間がゆっくり中和させようと目論んでいた彼への想いは、またひとつ強く結合され生まれ変わったのです。
「アレフト」
「ウン?」
「本当にかっこよかったよ、惚れ直しちゃった!」
「……ほ、ホント!?」
 頷けば、彼が私を引きました。さっきまでバットしか目になかったくせに、もう、どうしてこういきなりなのでしょうか。私は簡単に彼のものとなってしまって。心だけでは物足りないというのでしょうか、この欲張りめ。
 しかし、私の身体なんてすでに所有権は放棄されているも同然です。背に回された力強い腕が「……ここはバッティングセンターだぞ」と呆れた声を払ってくれるような気がして、全部全部責任やら私やら彼に任せてしまおうと決め込みました。

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