短編

□君よ燃え上がれ
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 クラスメイトでただひとり、苦手な人がいた。大西くんだ。これでも吹奏楽部長を務める私が彼に「応援歌のリクエストはありますか」と声をかけた時、顔色ひとつ乱れることもなく静かに首を振った。そして、答えたの。「ワタシは機械だ。応援などいらない」と。
 結局大西くんの応援歌は吹奏楽部側で勝手に決めることとなったけれど、私はいつまでも彼の言葉が気になっていた。機械ということもよくはわからない。しかし、一番私の頭を捕らえて離さないのは応援などいらないという私たちの存在意義の可否を疑われるものだった。
 別に、野球部のために吹奏楽部がいるわけではないけれど、私たちにとって夏の野球大会は大きなイベントのひとつ。部員の中には野球部に所属している友人を応援したいからと楽器を奏でる人もいる。
 大西くんに自分勝手な苛立ちが生じてしまうことも、きっと無理ないことだと思うの。私だって偉くはないとはいえ部長だ。プロ野球界からの信頼も厚い野球部と比べればちっぽけだけれど、捨てきれないプライドってものがある。どこか釈然としない彼の言動に、勝手ながら腹を立てていた。
 そんな心持ちで楽器が応援歌を奏でてくれるはずもない。結果、部長としてもパートリーダーとしても足を引っ張ることとなった情けない私、大西くんめと唇を噛み締めて部室を出た。グラウンドにはまだ野球部が練習している。この季節になると学校を背負う存在となる彼らは、日が傾き暗くなっていく今でも一心不乱にボールへ食らいついていた。言うまでもなく、大西くんもそこにいた。
 大西くんはキャッチャーへとボールを投げ込み、振り下ろした腕で汗を拭う。息は上がっていない。顔色ひとつ変えない彼は、気まぐれで流れてくる額の滴を仕方なく払っているようにさえ見えた。その様は確かに機械をそのまま人にしている。彼が言っていた「機械」とはこういうことなのかな。
 考えはまとまらないまま、彼の相方である男の人がマスクを外して立ち上がるのを見ていた。私の足はすでに動こうとしていない。
「そろそろ休憩するぞ、大西」
「イヤ、まだ大丈夫ダ」
「それでも、かなり投げてるだろ?」
「これくらいで壊れるほど脆くはなイ」
「壊れるって……」
 キャッチャーマスクの下は困り顔で微笑む男の子、大西くんの心配をしているのは明らかだった。しかし、彼はそれを受け取ろうとせずに男の子のマスクを装着しろと言うのだから、やっぱり彼はひどい人だと憤りが湧いてくる。
 それでも、男の子は嫌な顔をしない。笑いながら大西くんへボールを返した。
「はは、大西は練習熱心だな」
 練習熱心? なにをどう見たらそう見えるの? 大西くんをよしとしない私は眉を寄せて頑なだ。仕方ないよ、だって彼には踏み潰されたことがあるんだもの。
 しかし、大西くんはボールと一緒に言葉を受けとると、キャッチャーさんに何も返事をせずに振りかぶる。力強い球だ、驚いたキャッチャーさんが「おおっ」と声をあげながら受けた。それは私が大西くんからの与えられた苛立ちを楽器にぶつけた姿とよく似ていた。そう、まるで機械とは対を成す言葉に、ぐうの音もでないようで。機械とはほど遠い人間らしい反応だった。
 私はハッとした。彼が練習熱心である証明を目の当たりにしたから。キャッチャーミットへもう何球も投げ込んでいるとは思えない球威が音となって響く。私の今日の演奏より遥かに熱意溢れる応援歌らしくて、それもまた悔しい。そんな私をますます惨めにさせたのは、口数少なくしてまっすぐ叩き込む彼の姿だった。
 彼は自分を機械だと言った。機械に心はない。機械に成長はない。しかし、大西くんは立派に心を持っている。練習熱心なのは勝ちたいから、強くなりたいから。本当に機械なら練習なんて意味を持たないし、無意味なことを大西くんがするとは思えない。もっとも、私が彼の何を知ってるのかという話だけど。
 大西くんが私たちを踏み潰したのは確か。でもその下で私は彼に負けまいと両腕を突っ張っていたの。じゃあ、今度は彼を驚かせたい。舌を巻かせてやりたい。そう思うものだよね。
 彼を応援したい、必要ないだなんて言われたけれど、必要ないのは本当に機械だけ。彼には必要だと決めつけてしまえ。私が強引に押し退けたのは彼の足、このまま潰されてたまるかっていうの。グラウンドの前で立ち止まっていた手がやっと動いて、肩にかけていた楽器ケースを取り出す。開ければ顔を出す大切なこの子に、今日はごめんね。あんな気持ちで吹いたらキミにも失礼だね。そっと呟いてから、償いとばかりに手をかけた。
 演奏練習の私とは見た目以外を全取っ替えした私。もう寂しい音なんて聞かせない。自称機械だろうがなんだろうが、アツくなってもらおうじゃないの。彼に向けて、妊婦さんになりそうなくらいに息を吸い込む。ようし、と相棒が応えて本日一の快感が身体中を駆け回った。そんな名コンビが野球部のバッテリーに負けるもんか。ボールがミットに届く音を掻き消した私たちは、辺り一面をグラウンドに変えてやった。こちらを向く二人の目、それだけじゃない、他の面々、耳を傾ける木、暗く染まりかけの空、すべてがすべて、私たちの演奏を聞いていた。
 やがて、彼の応援歌のワンフレーズを吹き終えた私は大西くんに視線を戻す。彼はしっかりとこちらを見ていた。目を見開く彼は、やっぱり機械なんかじゃない。頑張れって、そう応援されたのなら勇気をもらえる人だ。
「大西くん、私、応援してるから!」
「名字……?」
「私たちも精一杯吹くよ、だからそれを聞いて頑張って!」
 彼は私をじっと見つめたと思えば静かに帽子のつばに触れ、練習へと戻っていった。バッテリーを組む男の子が突然飛んで来たボールをあわてて受けている。
 ねえ、返事をしないってことは、ぐうの音も出ないって思っていいんだよね。そういうこと、だよね。振りかぶった彼から放たれた高々な音は、さっきまで聞いていたものよりも強かった。

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