短編

□短命な願いが膨らむ
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 三本松くんって女の子に興味なさそうだねえ。そんなことを呟いた彼女は私の友達。ただの友達ではなく、彼とよく一緒にいる七井くんの彼女さんでした。
 彼女はつい最近、七井くんとバッティングセンターに行ったらしくその時に三本松くんを見たんだって。でも彼はまあ、野球しか目に入ってなさそうな雰囲気だったとか。私の気持ちを知る彼女が、七井くんの隣という三本松くんからもまた近い場所から眺める景色を教えてくれるのはとても嬉しいけれど、どうもこうも彼は収穫が少ないタイプの人だ。今までもこれからも、数少ない情報の露を煮詰めて女を磨く日々が変わらないことは目に見えている。
 そんな休み時間、彼女にもたれる私は最初から五里霧中。重いよと笑うあなたにはわからないでしょうねえ。あなたと七井くんのような関係にこっちだってなりたいの。そう頬を膨らませていれば、彼女を七井くんが呼ぶ。
 七井くんの傍には言うまでもなく三本松くんもいる。何事かと私も席を立つあたり、私は小賢しい女かもしれない。これも言うまでもないけれど、呼ばれたのは彼女の名前だけだ。……七井くんだって彼女にとっての私が彼にとっての三本松くんのような存在だと知っているからいいでしょう。
 彼の提案は机同士をくっつけた戦場で腕相撲をしようという突飛なものだった。いや、この人は奇天烈で風変わりだから、日常茶飯事なのかもしれない。
「ヨシ、勝負だヨ!」
「ええ、私がやるの?」
「そうだって、ホラ早ク! 三本松は審判ネ」
 セットされたリングへ強引に立たされたのは彼女。この人の彼女さんというのも大変そうだなと、私は観客席へ移動した。ちなみに、観客席とは審判の隣だ。注釈だけど私が今決めた。
 マイペースな七井くんと彼女の腕は並べてみるとバットと木の棒。これで勝負をするのはあまりにも彼女が可哀想だろう。三本松くんが手を上げる前に、私はサングラス越しの顔を呼び止めた。
「七井くん、両手使わせてあげなよ」
「エッ」
「じゃなきゃ、フェアじゃないでしょ」
「ハハハ、それもそうだ!」
 三本松くんの豪快な加勢もあってか、七井くんは投げやりに彼女の手を取って重ねさせた。三つになった指の塊は、まるで七井くんに彼女が願いをかけているようにも見えて。これから敵対するというのに幸せそうな二人へ、私は無意識のうちに自分の携帯を取り出していた。
 あ、と思ったときにはもう遅い。カシャリと無機質な音がした。ただ、リングに立ったままの当事者たちには聞こえていないようだった。となれば、聞こえたのは隣にいる人だけ。
「……写真か?」優しげな細目が見下ろす。
「うん、そう」
 その瞳が穏やかで、風に立つ大きな松の木を彷彿とさせた。見上げて笑いかければ、少しでも七井くんたちに近しい心地を堪能できるかな。彼は同じく微笑んでいた。おおかた、友人の幸福を目の当たりにして嬉しいのだろう。私の知る三本松くんはそういう人だ。
 三本松くんと私の境遇はよく似ている。お互いの大切な友達が、またお互いの大切な友達のおかげで笑っている。彼女のことは大好きだけれど、七井くんにはきっと敵わない。最後に彼女の笑顔に花を添えるのは結局彼。三本松くんだって、この越えられない性別の壁はわかっているだろうし、私と同じように清々しくふたりを眺めている。
 彼の視線のように私も二人に目を戻せば、なんと試合は破綻していた。七井くんが彼女の腕を動物でも愛でるように指で弄んでいる。私が三本松くんに現を抜かしている間に終戦だなんて束の間の痴話喧嘩だ。やっぱりふたりの仲は良好のご様子。
「ちょっと、何するの!」
「ヘエ、意外と女の子だネ」
「アレフトが固すぎるんだよ」
 七井くんはハーフだからかこちらの目も忘れて彼女の腕に夢中だ。彼女はほんのりと頬を赤らめて抗議の声をあげていたが、特に助太刀もなく私は彼女の言葉を噛み締めていた。
 確かに、野球部は体つきが普通ではない。世間離れした腕っぷし、その言葉は私の隣にいる人にもまっすぐに向けられていた。ついでに私の目も、だ。私はむしろ、七井くんよりも三本松くんの方が、と思ってしまうのは惚れたなんとかとやらだろうか。逞しい腕を引っ提げた彼と、もしも腕相撲をしたとすれば両腕を使っても一瞬で塵にされるだろう。
 そう思うと、ひどく男らしさに磨きがかかった。ご都合の宜しい話だろうか。
「ねえ」
「なんだ?」
「三本松くんもすごい筋肉だよね。かっこいいなあ」
「ワシの自慢だからなあ」
「だろうね」
 不謹慎だ、さっきまで審判として蚊帳の外にいたはずなのに、三本松くんは審判の役割をも投げ捨てて自身の制服を捲り上げた。その力こぶをいくつも無作為につけたようなデコボコの腕は、彼に筋肉のない部位などないのではと錯覚させる。
 私は、ふとその凹凸を感じてみたくなった。七井くんが彼女にしていたように、指で彼の男らしさに触れたくなったの。まるで魔法にでもかかったように指が引かれて彼へと伸びていく。
 流れる日常の空気を一本の指で真っ二つにしながら、そっとそしてゆっくり私の指は三本松くんの腕にたどり着く。いや、たどり着く一歩手前で躊躇った。ゾクリと身の毛がよだつ。悪寒か快感かはたまた別の感情か、よくはわからないけれど、好きな人の腕に触れる。そのことに緊張を覚えているとでもいうのかな。私らしくもない。
 小さな戸惑いを踏み潰して、私は三本松くんに触れた。彼の身体が見た目に合わず揺れようが、もう迷いを粉々にしたのだからと繋がった彼のざらざらした厚い皮の輪郭を撫でる。
「名字、さん?」
「なあに」
「いや、それはこちらの言い分であってだな……」
「うん、かっこいいなって」
 素直に漏らせば、三本松くんは覇気のない声で練習しているから、と当たり前のことを返してきた。そうじゃないんだけどなあと私は彼を見上げる 。日に焼けた顔が眩しい。このまま、ずっと眺めていたくなってしまった。
「三本松よりオレの方が上だヨ!」
「ああ、はいはい」
 と、いうのにこの人は。七井くんのせいで現実に戻された私は、彼女に筋肉を見せつける彼に非難の目を送るけれど、本人には届いていない。一方的にだけれど甘い時間を邪魔されてしまって。私は彼女に悪いがこのかわいいカップルが少しだけ憎らしく思えた。
「名字さん」
 そのカップルさんたちに助けられたはずなのに、三本松くんは私の肩を太い指で静かに叩く。彼らしい柔らかな力加減にすら、私は胸を鳴らしてしまった。
 でも、隠すことは得意。私はなんてこともなく彼に耳を寄せる。顔だけは狐のように嘘吐きで、赤くも染まらない。
「なに、三本松くん」
「あまりおなごがそういうことをしない方がいい」
「私は女の子らしくないからいいの」
「そうではないぞ」
 しかし、三本松くんはそんな私を剥がそうかとばかりに真っ直ぐと見透かしてくる。
「こういうことをすれば、勘違いをする男もいるんだ」
「……えっ」
「名字さんは、おなごなのだからな」
 それが……ずるい、本当にずるい。私はポーカーフェイスを貫くことが苦ではないはずだけれど、下心もなにもない、ただ純粋に心配する三本松くんが私の厚い顔の皮をベリベリと引っ張るものだから、驚いて狐は逃げてしまった。
 いいよ、勘違いしても。そう言ってやりたい。しかし、彼が私の気持ちを鵜呑みにしたところで、私はなにも変われない。あなたも私を勘違いさせてくれればいいのに。いよいよ赤く染まった私の頬はなんとも無謀なことを考えたものだ、もう情けなく自惚れているようなものなのに。だが、無理もない。この人は私の好きな人なのだから。
 ああ、もう。屈強なくせして、どうして私にはその一面を忍ばせた紳士になるの。一見裏表なそれに再び一方通行な甘い心地に身を任せていれば、たった数分の休み時間が永遠に続くような気がした。そう願いたいだけかもしれないけれど。
 そんな私たちを彼女と七井くんは締まりなく笑って見ていたことに気づいたのは、また別のお話です。

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