短編

□呪いの眼は魔法の瞳
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「名字先輩!」
「あら、なあに」
「先輩を連れて行きたいところがあるんです!」
 可愛い後輩、勝からの発案から私の足は彼に引かれていった。いつもは野球にしか脳がないマジメな彼のこと、今日も他校の注目選手を見本に目でワザを盗むのでしょう。勉強熱心な泥棒さんですこと。でもまあ、赤髪を揺らす彼の後ろ姿は心底楽しそうで、水を差すのは躊躇われるのだから私も甘いわ。跳ねる足に着いて行く他なくなってしまう。
 そう思っていたはずなのだけれど、彼が立ち止まって私に満面の笑みで振り返ったのは、想像もし得ない場所だった。今しがたその場所から出て来たのはガタイのいい野球青年ではない。セーターを腰に巻いた制服姿の女の子たちだ。私は唖然とする。彼女たちのおかげで開いた自動扉からはなんとも騒がしい電子音やらが響いた。−−俗にいう、ゲームセンターである。勝がこんなところへ? あの、野球のことしか考えていなさそうな勝が? しかし、笑顔の彼が差し示す指先は、行き先の間違いはありませんよと教えてくれている。
「ここです!」
「ゲームセンター……勝、こんなところに興味があったのね」
「はい! 以前、小波先輩に連れて来てもらったんです」なるほど。私は手を打った。
「そうだったんだ。小波くんに」
「ええ。先輩とも来たいなって思ってたんです!」
「フフ、それは嬉しいわ」
「さあ行きましょう!」
 野球をする時と変わらない笑顔で私を腕のリードで引く彼。ほら、こんなにも嬉しそうなの。それなら、乗らない手はないと私は大人しく腕の向くまま足を進める。彼がいなければまるでキョンシーのようです。
 自動扉をくぐると、耳を刺すような音が聞こえてくる。機械や人の声、流行のアーティストが歌う話題ドラマの曲、そのどれもが我先にと私の耳に向かって飛んでくるというのだからさあ大変。私の耳は聖徳太子様のものではないのよと一人分の席しか用意していなければ、互いにぶつかり合った波紋が混ざり合い、同じ譜面に存在し得ない不協和音となって椅子取りゲームの勝者となっていた。あまり長居をしていれば音波に頭がやられてしまいそうだ。人知れずこめかみに指を当てると、隣にいる勝が負けじと大きな声で私を呼んだ。
「あれです!」
「あれ?」
 指を差す彼のキラキラ輝く視線を浴びるのは、ガラス張りの機械だった。中にはクマの人形が助けて欲しそうにこちらを見ている。黒いボタンで出来た円らな瞳が不恰好ながら愛らしくて、私は目を合わせたが最後。ピタリと身体が止まってしまった。まさに、ギリシア神話に出てくるゴルゴーンのようで私は石にされてしまったのです。
 周りの大音量も、それに掻き消されないためと耳もとで「UFOキャッチャー、小波先輩と来た時にやったんですよ」と囁く勝の声も、何も頭までは登ってこれなかった。耳から耳へ、寄り道することもなく抜けていってしまったの。その原因はこの子、クマさんだ。だって……かわいい! かわいいんだもの! こんなにキュートなぬいぐるみが置いてあるなんて! 石になった目は動くはずもなく、茶色の柔らかそうな彼に刺さったままだった。ああ、喉から手が出るほど欲しい。
 しかしクマさんが幽閉されるのは鉄壁のガラスの城。難攻不落なのは言うまでもない。ううん、でも助けてあげなきゃ。悶々と考え込む私がようやくゴルゴーンの眼から解かれたのは、彼の手が肩に置かれた時でした。
「名字先輩、あのクマがどうかしました?」
「え、ええ。まあ、かわいいなって思っていたのよ」
「それ、欲しいってことですか?」
「ううん、そうかもねえ」
 後輩の手前だ。先輩らしくしなければと必死に取り繕うけれど、魔力を宿したクマさんの前に魔法使いでもなんでもない私が太刀打ちできるはずもなく、彼は素知らぬ顔で魅力を溢れんばかりに振り撒く。足元に散らばれば踏み場もなく、その毒に再び頭を抱えたくなるのだ。はあ、かわいいなあ。部屋に置いて、ずうっと眺めたくなっちゃう。彼に無償のハートマークを投げてしまうことは仕方のないことなのです。
 勝はそんな私をジッと凝視していたらしい。瞳の中までドロドロにピンク色を浮かべる情けない私を。そして、彼はそのクマさんに近づいていった。あの呪いやら毒やらには耐性があるのか、勝はどんな状態異常もないらしい。そして驚くべきは、そのキリリとした眉を引き締めて私を見たこと。ドキリと不謹慎な胸の高鳴りは解毒剤のようで、年下の彼にクマさんは負けてしまったのだ。
「それじゃあ、僕がとってみせますから」
 雑音だらけの中、いやにはっきりと聞こえたのはその言葉だ。私はこのかわいい後輩が好きだった。だから、すぐさま彼の声は私の耳の所有権を手にして、他の音をすべて覆い隠してしまう。あれほど心を握り取られようとしたぬいぐるみ、それを握り返してやるぞと私の手の形をしたアームの鳴き声ですら彼の前では口を閉ざしている。
 勝を見つめた。彼はもう後ろ姿で私にはなにもくれやしない。一方的なこの気持ちは持ち去る場所もなく燻っているだけ。アームがクマの耳を引っ掻いた。しかし彼は強力な魔力を操る強者、そう簡単には釣られんぞと無慈悲に微笑んでいた。綺麗な花には棘があるとはよく言ったものだ。それでも彼は諦めない。
 何事にも生真面目な彼のこと。きっと、いつもと同じように口にしたことを曲げないだけの話。−−それでも、今はどう? 彼の瞳の矢印が野球に向いてはいない。私に向いているの。その真っ直ぐすぎる純真な瞳が。彼はこうと決めたら聞けない性分だ。だから、今この瞬間だけは私のためだけを思ってくれているの。こんなことってあるかしら。私は心底野球さんという方が羨ましくなる。だって、こんなにも寵愛を受けているのよ。欲しかったクマのぬいぐるみは徐々に魔力を中和していく。頑なにアームの手には掴まらんと必死そうな顔だと思ったの。
 悔しそうな背中じゃ物足りなくなって、私は隣へ歩み出た。横顔には何色にもない勝だけがそこにいて。やっぱり彼はマジメなの。それをずっと眺めていたくなってしまう。それでも私は残された先輩のかけらを振り絞って声をかけた。「苦戦してるわね」って。そうしたらね、勝は私の方など目もくれずに顔半分で笑ったの。
「名字先輩のためですから!」
 まったく、ね。クマは彼の手に落ちようとはしなかった。それもそのはず。この布と綿の彼に人間の魔の手が忍び寄れるはずもないもの。ガラスの籠城は思ったよりも遥かに頑丈なの。穏やかに微笑むぬいぐるみは、勝を優しく貶し落としているように見えた。そんなクマさんが、まさか彼の手中に落ちるはずもない。そもそも、そこに用意された椅子はひとつしかないのだから。彼の手に落ちたのは、365日の皮を偉そうに被ったただの女なのかもしれない。彼と目を合わせたら、どうなってしまうのかしら。きっと、永遠の呪いにかかってしまう。私は彼の髪と同じ頬色で俯いたの。

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