短編

□どろぼうは、おまえだ!
1ページ/1ページ

 私の名は名字名前。泣く子も黙る名探偵。この虫眼鏡さんを相棒に、璃寛茶色の服で今日もあなたを追い詰めにいく。そう、まさに完膚なきまでに余裕面を叩きのめす証拠を手にするため。なんの証拠かって? フフ、情報を洩らすようなマネ、するはずがないでしょう? そう言いたいところだけど、今日は特別。教えてあげるね。
 私がこうして闇に紛れるのには理由があった。私は名探偵でありながら、あのプロ野球界からも注目を浴びる蛇島桐人さんの彼女なのです。でも、でもねえ、その蛇島先輩が近年は友沢……なんとかの後輩さんのことばっかりなの! 以前、先輩が探してきてくれたオシャレなカフェでのデートだって、帝王実業高校に逸材がやって来ただかなんだかから話し始めて……結局、その友沢さんという私にとっては隣町の天気予報の次にどうでもいいことこの上ない話題に、コーヒーカップが溢れ出しそうになってしまったの。信じられない! だって、私が彼女なのに……これじゃあまるで友沢さんって人が彼女みたいじゃない! えっ、友沢さんは男の子ですって? ふんっ、蛇島さんと私の仲を邪魔する人は男の子でも女の子でも許さないの! べーっ! ……こ、こほん。話が逸れちゃったね。とにかく、私はこの虫眼鏡さんと一緒に蛇島さんの浮気を追跡しているの。−−友沢さんの家にでも上がりこむ写真があれば、今人気のドラマ、逆襲裁判の主人公ナリホドさんみたいなカッコいいシーンが主演、名字名前で披露できるの。あっ、ナリホドさんに憧れてるからってわけじゃないよ。どちらかといえば、名探偵コタンくんに憧れ……って、違う違う! ただ、絶対、絶対に先輩の黒を暴いてやるってだけなんだ。そして、彼を私のもとに引き戻すのです!
 鬱陶しい学校が終われば蛇島先輩がいる帝王実業高校に駆け出す私にとって、今日しかチャンスはない。用事があると曖昧に漂わせた芳香に先輩は「名前が用事だなんて珍しいね」と嗅覚を尖らせていた。そうよ、先輩はどんなに小さな疑問も逃さず感じ取れるすっごい人なんだから! えっへん、彼女の私はお目が高い! ついでに鼻も高い! じゃなかった。とにかく、蛇島先輩は鋭い人。これを気づかせてはいけないということ。帝王実業高校の物陰に隠れて様子を窺う私は、キリリと顰められた眉根に瞳、まるで特別捜査官のようだ。そういえば、回る大捜査線のアカシマさんも好きなんだよねえっ。私ってば、女優さんになれるかも!
 そんな現実主義な頭で未来予想図を繰り広げていれば、蛇島先輩がいた。隣に歩くのは別の男の人だ。−−あれが噂の友沢さん、なの? 金髪にサングラスをかけた人が? 確証の持てない疑問に私は息を殺す。ここから見えるということは、相手からも見えるということ。必要最小限の視界からふたりを覗く。あの人がそうであるのかどうかは知らないけれど、友沢さんとやらはかなり顔のよろしい方だ。クラスの女の子たちなら放っておかないでしょう。
 というより、こんな時間にどこに行くというの。辺りはもう影が長くなり、いや、影が消えそうな時間だ。良い子の高校球児は温かな自宅に帰る時間ですよ! 蛇島さんとのデートは私のものなんだからあ! 握っていた虫眼鏡がミシミシと音を立てそうなほど腹が立つ。もう、誰なのあの金髪さん! ふたりともカッコいいから、並ぶと絵になるのがまた無性に悔しくなるの。……いえ、しかしここはガマンガマン。両手で口を塞いで止めたぞ。自分で自分の頭を撫でてあげたい。あっ、でも手が塞がっているんだった。
 しかし、お前にくれてやる頭の余力などないぞと友沢さんとやらの高笑いする顔が浮かんだ。なんと、ふたりはこの後も練習するというのだ。物陰を背に虫の鳴く声で聞こえた単語は途切れ途切れだったけれど、しっかり聞こえたぞ。練習がどうだかって。……それも、大好きな低い声だったの。まさに私から見て金髪の彼は、泥棒猫そのまま。蛇島先輩をたぶらかしてえ……! 白いハンカチがあれば噛みちぎってしまいそうだ。このままではいけない、負けるものか。そちらはお忍びの恋かもしれないけれどこちらは正真正銘本物の彼氏彼女、偽物なんかに潰されたりしないんだから! コソコソと気づかれないようにふたりの後を着いて行かなくては。

 それが、とんだ間違いだったのかもしれない。いえ、もはや追跡してよかった。そこは愛の巣よろしくヒミツの特訓場とやらだったのだから。家も人もないまるで更地、ポッカリと取り残された異世界のように水平線まで見渡せる黒土、そして照らすのは月明かりのみ。漫画のヒロインが「ふたりだけの世界みたいね」と恥じらいながら微笑むシーンが百本の薔薇の花束を渡したくなるほどにお似合いだ。人影絶えたその場所で彼らが何をしようっていうの? ま、まさか、女子禁制、ナイショの関係? そ、そんなのダメ! 蛇島先輩は私のものなんだから! あらぬ方向へ歩んで行く二人に、いよいよ隠れてても意味はないよと私のどこかが囁く。−−となれば、ここからは全面対決。修羅場ってことだ。私は一度も覗いていない虫眼鏡くんと一緒に彼らの前へ飛び出したのだ。
 ここからは探偵様名物、推理場面よ。相手が泥棒猫だろうと私の方が正しいの。「ちょっと待ったあ!」颯爽と登場した私に友沢さんは無表情、一方、先輩は相変わらず優しい表情を携えていた。
「あなたたちのことは見せてもらいました!」
「……アンタ誰」
「おや、名前。今日は予定があるんじゃなかったのかな」
「先輩の知り合いですか」
「うん、知り合いというより彼女だよ」
「はあ? この女が?」
 のが、まあ! なんと失礼な人なの! 私はカンカン、喑噁叱咤です。いや、でも叱曹キるのは堪えた。えらい、大人だぞと自分に等身大それ以上の賞賛を贈りつけるの。
「私は名字名前。蛇島先輩が言った通り、先輩の彼女ですカノジョ!」
「そうか、興味もないな」
「先輩は渡さないんだから!」
「……話が見えないぞ」
「渡さないったら渡さないの!」
「別に盗ろうとしていない」
「嘘だよ! だってだって、こんなところでふたりっきりの練習なんておかしいもん! 先輩は私のだもん!」
 友沢さんは面倒だと言わんばかりに顔を顰める。やっぱり、失礼な人だ。そういうことは他の人にすると自分に返ってくるって小さい頃に教わらなかったのですか!
 しかし、彼を守るように前に出たのは私の大好きな人だった。蛇島先輩は友沢さんを背中で抱え込んで、私と彼の間に割って入ってきたのだから、目を丸くするのはこちらの方。これで私だけが悪者のようになってしまったじゃないの。
 うそ、先輩、うそだよね。表情の読めない細い目を眺めていれば、瞳を拝むこともできずに先輩が私の頭を撫でた。大きな手で、大好きな手のはずだけど、私は泣きたくなった。だって、こんなのは私が邪魔になっているみたいだもの。この友沢さんとやらに何を言われても平気な心は彼に弱い。蛇島先輩まで敵に回してしまうのではと危惧したと同時に小さくなってしまう。
「まあ、待つんだ。名前」
 先輩の優しい声も、今ではよほど恐ろしい……そう、考えたくもない言葉を口走るのではと震える。私より、その人の方がいい、なんて。大好きな人からの戦力外通告をいただいてしまったら、私はどうすればいいの? もう、先輩の隣にいちゃいけないの? やだ、そんなのいやだよ! 蛇島先輩のことを世界で一番好きなのは私だもん。いきなり現れた泥棒さんなんかに盗られたくはない。顔が熱くなる。体温が上へ上へと集まって、私はその中心点を手で覆った。ほっぺたが焼けそうだ、きっと、先輩や友沢さんの目にも見えているだろう。こうして、私ばかり墓穴を掘って、動じない彼らと距離ができていくのだと嫌でも悪寒せざるを得ない。
 やだ、やだよう、先輩。先輩は私のだもん。他の人には、あげないもん。やがて、無言の二人から傷を突かれるように流れ出した涙。それをきっと何も写さない瞳で見ているだろう彼らから逃れるように手で払った。でも、思った以上に雫は重い。払えども払えども止まりはしないの。
「どうしたんだい、不満なことでもあるのかな」
「だって、先輩は、私の、で……友沢さんには、だめ、だもん……」
「アンタな……そんなことで泣いているのか、くだらない」
「まあ、そう言わないでくれ。これでも僕の大切な彼女なんだから」
「……理解できないな」
 握っていた虫眼鏡に涙が落ちる。璃寛茶色がそいつのせいで濃くなった。それは冷たいばかりの涙じゃない。だって、友沢さんはため息をついて付き合ってられないと身を引いたけれど、先輩は背中で守っていた友沢さんから私に目を向けてくれたから。そして、私がなによりも求めているものをくれたから。大切な、彼女だって。間違いなくそう言ってくれた、んだよね。
「名前」
「は、はい……っ」
「不快にさせてしまったらすまないね。僕にとって、大切にしたいと思える女の子は……そうだね。名前ひとりだよ」
 ジッと見つめられた細くも温かな視線に私は頬が染まった。ついさっきのことだ。あんなにも赤くなった頬は再び熱をもつ。友沢さんがどんな反応をしようが、今はどうだっていい。うん、かまうものですか。私は友沢さんに勝ったんだ。彼より先輩に愛されていた。それこそ、名前ひとり、だって。つまり、もしかして、ううん、確実に、先輩は誰よりも私のことを大切にしてくれているってことだ。
 込み上げる喜びやら幸せやらに任せて先輩に抱きつく。ふふん、やっぱり私しかいないの。先輩にとっての彼女は私だけなの。今もこれからも、ずっと、ずうっと、ね。友沢さんが冷めきった瞳を据わらせていることにも気づかず、私は先輩への想いの丈を抱きしめていた。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ