短編

□Dark night magic !!
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 冷たい風に吹かれながら、私とみずきは電光掲示板に見下ろされたデパート街にいた。
 季節は秋冷。
 地平線上にハロウィンという祭典がちらつきだし、妖怪妖魔、魔女と吸血鬼の夫妻、顔縫いの科学者にゴーストまでが行列を連ねる暗黒の季節の到来に、私は百鬼夜行絵巻の中に吸い込まれたような気分になる。権威も規模も体の大きさも問わない人を脅かす象徴が一切合切集められ、死神の鎌や包丁を片手に慄く人々へ血を血で洗う挨拶をして回るという奇妙なお祭りに、胸の高鳴りが止まりません。ああ、私もぜひ混ざりたいもの! できることなら、先の曲がった段ボール製の刃物と握手を交わすことくらいさせていただけないかな。奇々怪々の行列に人間めがついていけないものかしらと列を眺めた。
 そこには見知った顔があった。朝方の決まった時刻に、スーツを纏い爽やかな笑顔で挨拶をしてくれる男性に、美しい声で慈愛に満ちた挨拶をくださる近所のスーパーの店員さんだ。お二方も破壊衝動を露わに地獄から取り出したような赤黒い鎌をもっており、私に血を血で洗う挨拶をくださいました。
「名前、こんなところに知り合いがいたの?」
「ご近所さんだよ」
「ふうん」
 彼女はその鎌で一閃をした冷ややかな瞳をしながら腕を組んだ。
「ハロウィンねえ」
「こんなお祭りだったんだ」
「あんた、ハロウィンのことをなんだと思ってたのよ」
「カボチャを食べる日じゃないの?」
「……あ、そ」
 ハロウィンたる百鬼夜行は混沌を極め、血や金切り声、叫喚が飛び交っていたけれど、彼女はそれを意に介さずひとり毅然としていた。渦中に身を置きながらも、みずきに興味がないことは明白だった。
 私はあの行列に紛れる手段を鵜の目鷹の目で探しているものの、路上には落ちていなかった。代わりに誰かが投げ捨て踏みつけたであろう新しさの見えるタバコがぺしゃんこになり、それをまた行列の中の化けもの様が踏んで行った。
 タバコを見ながら、私は悪の怪人と化けた自分を想像する。おそらく、逃げまどう人々をぺしゃんこにし高笑いをする諸悪の根源のような女狐でしょうか。狂人走れば不狂人も走るように、この場を借りずしていつ女狐となるのでしょう。今や、私は人間を恐怖の底に突き落としさらにはぺしゃんこにしてやろうと笑うのです。
「私もやりたい」
「……はあ?」
「だって、都会のハロウィンって人々を怖がらせるお祭りなんでしょう」
「まあ、間違ってはないわね」
「ということは、今日くらい人を怖がらせてもバチは当たらないよね」
「怖がらせるってアンタ……ん、待てよ」みずきが頷いた。「それなら手伝うわ」そういえば彼女は女狐であった。



 トリックオアトリート。これは異界に伝わる悪魔の呪文らしいので、私はメモをして何度も唱えた。トリックオアトリート! 人々に災いを、妖を!
 夜闇を吸い込んだような黒い服に身を包む彼女と私、二人だけの夜行行脚。
 片方は若く愛らしい魔女であり、箒も帽子も服装も異界人のようだった。なおかつ、その娘自体が可愛らしいときたのだから、本日より魔女の定義を彼女だとして間違いないと橘みずきの可愛らしさ世界的権威である私は大きく頷いた。
 もう片方はただの女子高生であった。ただの女子高生が普段よりスカートを短くし、胸元を開いていた。夜の官能が映っただけの女子高生だった。
 しかし、私はこれほどなくやる気に満ちている。悪魔の呪文は死神の鎌よりも死の匂いを漂わせるのですから、これを手にした私の極悪非道な佇まいなど綴らずとも滲み出ていることでしょう。
 デパート街とは比べものにならないほど閑静だけれど、それすら奇妙だった。この時ほど夜が暗いと感じたことはない。
 私とみずきはこうして街を練り歩き、「ターゲットは男よ!」という彼女の監修のもと、知る男知らぬ男に悪魔の呪文をかける諸悪の根源と成り果てた。トリックオアトリート! すると、人々は震撼し怯えきった手でみずきにお菓子をくれた。ついでに私にもくれた。なんと、都会のハロウィンはただカボチャを食卓に並べるだけではないのです。甘味のカツアゲが警官のお兄さんたちにも咎められないなんて、都会のハロウィンはすばらしい! トリックオアトリート!
「なかなかの収穫ね」
「ハロウィンって楽しいねえ」
「そうねえ。ふふん、魔女っ子みずきちゃんもカワイイって評判だし」
「うんうん、魔女がよく似合うね。みずきは」
「ところで名前はなんなのよ」
 彼女が私のセーターを引っ張った。
「これ?」
「そうよ。仮装もなにもないじゃない」
「えっ、悪の心さえあればいいんじゃないの?」
「……まあ、それでいいわ。エイリアンとかテキトーにつけておきましょ。いい? 名前はエイリアン。エイリアンなんだからね」
「エイリアン……」
 そうして、彼女は私に悪の異名をつけてくれました。エイリアン、私はエイリアン。異界人としての誇りを胸に、必ずや人間たちを怖がらせてみせると街灯もまばらな路上で意気込んだのです。
 すると、悪しきものの願いが夜闇に通じたのか、向こう側から人影が見えた。私とみずきは顔を見合わせ、悪しきものの微笑みをひとつ交わす。
 徐々に近づいた人影は、私の意中の相手である友沢くんだった。彼はこの百鬼夜行に沸く夜にも関わらず、ランニングの最中らしくジャージを着て汗だくになっていた。
 思わぬ人の登場に私は有頂天になっていた諸悪の数々が途端に恥ずかしくなってしまう。意中の人の幸福を食らう妖怪などいかに罪深く極悪非道なのでしょう。ホロリと黒い涙を胸中で流した。
 しかし、悪しきものの道はこんなことで断たれはしない。私はエイリアンに身体を売り、ニンゲンを見据える。
 彼は訝しげに私とみずきを見た。
「……何をしている。橘だけならまだしも名字まで」
「ちょっと、私だけならってどういうことよ!」
 みずきが友沢くんに掴みかかる。
「言葉通りだ」
「カワイイの一言くらい言えないワケ!?」
「思ってもないことは言わない主義だからな」
「アンタねえ……!」
 そうして、エイリアンとなった私は悪魔の呪文を口にした。
「友沢くん」
「なんだ」
「と、トリックオアトリート!」
 彼はおし黙る。きっと恐怖のせいでしょう。
「そうよそうよ、お菓子をくれなきゃ名前がイタズラしちゃうんだから。早くちょうだい」
 みずきがケケケと笑う。まるで月の裏側に住む妖怪だった。
 悪魔の呪文とは素晴らしくも恐ろしいものです。だって、あの友沢くんが瞬きひとつ忘れてしまうほどに固まってしまうのだから。私はその感服たる悪の禍々しさを感じて身体の奥底がぶるりと震えた。「ううん」と渾身の色気を絡め、異界人に身体を蝕まれてゆく心地よさに頬が上気した。
 耐えられない。身体の地底深くがビリリと痺れ、私はくったりと悪の虜となった。最後にひとつだけ言わせてください、悪の道ばんざい。



 自分の心技体すべて、精進の道には終わりがないと信じている。また、自身の精進の道には余念もないと信じている。そうして、今日も日課であるランニングに精を出していた。
 しかし、どこからこうなったのか。
 自分の胸には意中の乙女がいる。これだけでもはや明日はないのかと問いたくなるほどの人生の余暇と幸福を今この瞬間に味わっているというのに、俺の不埒な腕次第で抱きしめることも可能かと思える距離で彼女は頬を赤らめ、はあ、と甘ぬるい吐息を漏らしていた。もはや明日はないのかもしれない。
 お菓子をくれなきゃ、イタズラするぞ。
 魔法の呪文のような口ぶりで彼女はそう言った。すると、男たちはイタズラなどという背徳的な響きに心を掻き毟られ丸禿げた無毛地帯に不純なタネを蒔き、桃色の欲紛れた汚い恋心を実らせてしまうのだ。そうして恋嵐と意中の女に手を震わせながら菓子を渡すのであろう。
 ああ、名字は何人もの男にこの様を見せたのか。おそらく、男心の献上品を竜巻のごとく巻き上げる橘がいるのだから大半の男は隣の魔女に釘付けなのだろうが、もしも、名字に対して桃色の欲を抱き若気の至りに薄汚れた恋心をもつ男がいたとしたら。それは寸分狂いなく俺自身だ。彼女への欲であれば甘酸っぱい方も桃色の方も精進しきっているとここで豪語してやろう!
 この魔法の呪文、菓子をあげたら彼女はどうなるのか。彼女は赤い舌で俺の手を離れた菓子を蹂躙するのか。はたまた菓子はないと言えばどうなるのか。俺自身が蹂躙されるのか。そうであれば是非とも後者を願いたい。
 妖怪と相対する夜のこと、いらぬ正義感はかなぐり捨てた。精進したのは自身のいらぬ正義感である。
「名字」
「なあに」
「菓子は、ない」
「……そっか」
 彼女が顔を上げた。ぴたりと密着した身体から見上げられる瞳、その瞳がどうも普段の穏やかなものより熱情が隠れているような気がした。なぜなら、ほのかではあるが赤色に光っていたからだ。
「よし、名前。やっちゃえ」
「ふふ、イタズラだね」
 彼女がつま先を伸ばし、俺に顔を寄せた。はあ、と高めの吐息が頬にあたりあわや身体中の毛たる毛が逆立ち、俺自身も仰け反るかと思われた。
 しかし、そうさせなかったのは彼女の腕だ。俺の首に生きた蛇のように冷たく絡みつき、彼女との距離はまたしても縮まった。彼女との仲をどう実らせるか日々頭を悩ませていた俺に好機が巡ってきたのだ。初めて間近で見た意中の乙女は清らかであった。
「友沢くん」
 息も吸われるような距離で彼女は微笑んだ。
「私、エイリアンですから」
 頬に唇を落とされた。
 赤く輝く眼光が見えると、俺はその感服たる彼女の愛らしさと致死量を凌駕する幸福に堪えかねて身体の奥底がぶるりと震えた。「ううん」と渾身の感嘆を絡め、彼女に頬から身体すべてを蝕まれてゆく心地よさに頬が上気した。この時ほど夜が熱いと感じたことはない。
「名前、やりすぎよ!」橘がふくれる。「今日くらい許して」
 そう言って、彼女は赤い瞳で俺にウインクをした。言うまでもなく、俺の彼女への恋心などという可愛らしい正義感はかなぐり捨てられ、残された桃色煩悩のみがふよふよと漂っている。
 精進の道には終わりがない。また、自身の精進の道には余念もない。いつもより暗い夜の下、この道をひた走る煩悩だらけの俺自身を咎める菩薩はいないのだ。最後にひとつだけ言わせてくれ、精進の道ばんざい。

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