短編

□押してダメなら引いてみろ
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 朝、勉の様子がヘンだったの。
「よっ名前、今日もええ天気やな」
「……は?」
 勉は起きたての私の肩を叩いた。そして部屋から去っていった。「朝メシ作っとくわあ」という言葉を残して。
 私は起きたての目をゴシゴシグリグリとこすり、我が目を疑った。一見、普通の朝の会話のようだけど、勉にとってこんなものは普通じゃない。勉にとっての普通ってのは、「あー、名前は今日もかわええなあ! さっすが俺の彼女!」って抱きついてきて……じゃないわ、なに言わせんのよ!
 とにかく、こんな勉はおかしいの。これにはなにかヒミツがあるはずだわ。私は再度、起きたての目をゴシゴシグリグリとこすり、彼の部屋を飛び出していった。
 さて、まずは情報収集よ。勉の身辺調査から。勉のことを調べておけば、きっとこの不可解な彼の正体もわかるはず。
 キッチンには、鼻歌をうたいながら朝食を作る勉。ただし、鼻歌は音痴だったのでそっと耳を塞いだ。
 それも上機嫌な彼には伝わらない。そのうえ、朝から炒飯を作っているのか、歌に合わせて楽しそうにフライパンを振っている。指揮でも振っているように見えた。
 私の小腹が鳴ったけれど、聞こえないフリ。ここで炒飯につられてしまえば、彼のことを探れない。
「勉」
「ん、どうしたん?」
「ええと、昨日なにか食べた?」
「昨日……」
「ほら、なんか変なものとか口にしてないかなって」
「昨日はハンバーグやったとちゃうか?」
「え? あ、うん、そうねえ、ハンバーグ……うん」
 勉は首を傾げながら答えると、再びフライパンを指揮することに打ち込んだ。
 私は固まった。
 だって、いつもの勉なら「なに食ったか? せやなあ……あ、名前を食ったな!」とか、バカみたいなことを言ってるのよ。その度に私が一発を見舞ってやるのは常。
 それなのに、こんな勉……やっぱりおかしいわ! なにがどうなってるの? あの勉が私にベタベタしてこないなんて! いえ、別にベタベタしてほしいわけじゃないんだけどね。そういうわけじゃないんだからね! そこのところ、間違えるんじゃないわよ!
 そうして、私はこの偽物のような勉に固まったまま炒飯を作る後ろ姿を眺めていた。



 結局のところ、朝から晩まで勉の様子は変わったままだった。隙あらば私に抱きつこうとすることも、「かわええなあ! あー、かわええわあ」と私をほめにほめて甘やかすこともなかった。一度たりとも。
 まるで別人のように変わってしまった勉に、いよいよ私も違和感を隠しきれずにいた。手をこすり合わせ、握りしめた。
 この人は誰? もしかして、勉じゃなくて別の人? でも、そんなはずが……。
「勉」
「なんや?」
「勉って、どこの球団にいるんだっけ?」
「はあ? なんや、変な名前やなあ」
 変なあんたに言われたくないわ! その気持ちを押し殺し、「おねがあい」と珍しく猫なで声で甘えてみた。
「頑張パワフルズやろ?」
「あっ、そうそう。そうだったわね」
 さらに、私の渾身の猫なで声に言及もなく、彼はさらりと回答してきたの。我ながら、穴があったら入りたくなるほどに恥ずかしい。自分の猫なで声を呪った。もう、しばらく声なんて出したくない。
 というか、もうそろそろ戻りなさいよ!
 私は限界だった。なにが限界って……だって、一応、その、毎日触れてくるヤツに触れられなくなったら、気になるじゃない。私は勉の背中にもたれた。彼の背中に触れたことは、今日初めてだ。
 今日、初めて触れた彼の背中は、いつもより大きく感じた。ついでに、彼の温もりに頬が染まった。
「勉……」
「どうしたん? 名前」
「なんか今日、あまり触れてくれなかったじゃない」
 上手な言い回しはできなかった。けれど、そんな自分が恥ずかしくて、彼の匂いを吸い込み、気をまぎらわそうとした。しかし、恥ずかしさは特にまぎれなかった。
 勉は不思議そうな顔で私を見ていた。
「せやろか?」
「……そうよ」
「そう思わんけどなあ」
 もう、我慢はできなくなってしまった。
「ばか」
 勉に抱きついた。
「……もっと私に、触れてよ」
 顔から火が出るほどの気持ちだった。心の隅からかあっと赤くなる気分。精一杯のわがままを言った代償は、思いのほか大きく、私は勉の背中に顔をうずめた。
 そうよ、もっと触れなさいよ。いつもは嫌ってほど愛してくれるのに……今日だけこんなの、おかしいじゃない。言えない代わりに頭をこすりつけた。
 私のこと好きって言いなさいよ。私しか見えないって顔しなさいよ。
 そう願って顔を上げた瞬間だった。
「……言うたな?」
 勉がニンマリと笑っていた。
「……は?」
「触れてって言うたな?」
「な、なに言ってんのよ」
「なにって……名前が言うたことやでえ」
 勉はいつもの常に戻っていた。気づけば、私の体は彼の背中ではなく、腕の中にいる。いつのまに……? 魔法にかかったようだ。私はくらくらした。
「だ、だましたの……?」
「ちゃうちゃう! いたずらや、イタズラ」
 彼は上機嫌だった。私は思わず耳を塞ぐ。
「なにそれ!」
「なにって、イタズラやって! ちゅうか、どないして耳塞いでんのや?」
「バカ! アホ! 音痴! バカ勉」
「わかった、わかったわ! ほんなら名前、いただきまーす!」
「なに言ってんのよぉ!」

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