一日一アプリ

□境界線を破るには
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「おはよ、小筆ちゃん」
「先輩、おはようございます」
 朝練習が始まる前のことです。私は普段ノートが占めている手を空けてなるたけ早めに来ているはずですが、毎度一つ歳上の名字先輩には先を越されてしまいます。
 長い髪が特徴的で見た目が派手な先輩は、私が来る時にはいつも部室を掃除しています。部員の誰もが知らないでしょう、それほどの時間から彼女はいつもいつもここにいるのです。
「私も、手伝います……」
「いつもありがとねえ」
 先輩のピアスが窓から差し込む朝日に輝いて光りました。その光の点に誘われるように眺めていましたが、腰を折る先輩はスカート丈が短すぎて、いそいそと掃除道具へと目を逸らします。
 出会った当初、私はこの先輩が苦手でした。流行と一緒に歩く彼女は私とは違う世界の人です。私のような人間が話せやなにかするはずがない。そう思っていました。しかし、先輩は私に友好的で、なんでも歳上らしい優しさで聞いてくれて。私はようやく自分にかかっている色眼鏡を外すことができたのです。
 今はまだ、このメガネを外せる相手は名字先輩しかいません。私が同じ部活の彼を好きなこと、変わりたいと願っていること、ノートに秘密がたくさん詰まっていること、先輩はなんでも知っています。先輩には知っていてほしいと願っているからです。
「小筆ちゃん、私ねえ」おもむろに先輩が呟きます。
「はい、なんですか」
「小筆ちゃんに会えてよかったって思ってるよ」
「……えっ」
 それなのに、先輩は今しがた私が思っていたことをそのまま配役だけ入れ替えて口にしたのです。それはこっちのセリフ、私こそ。そう頂いた感謝を包み込んで返そうと思っていたのですが、先輩はいつも私の先を歩きます。
「私さあ、こんな身なりだから……今まで色んな人に敬遠されちゃって」
「そんなこと……」
「あるんだなあ、それが。まあ、人に合わせてバカやって、抜け出せなくなって、自業自得なんだけどね」彼女は俯きました。
 上手なお化粧に彩られた先輩は綺麗で、凛としていました。だからそんな引け目を抱えているなど知る由もありませんでした。長い睫毛の影が彼女の本当の姿とでもいうのでしょうか。
「私は、先輩のこと……そんな風に思ったことはありません」
 それなら、力になりたいと思いました。先輩は、瞳丸々として私を見ています。きっと、後輩だから、地味な私だから。そんな色があるからでしょう。
 ずっとずっと考えていました。臆病でメガネ越しですら話すこともままならない、自分自身を守るようにノートを抱え込んで立っている私の殻を、いつか思いっきり破ってみたいと。今、ようやくその一歩が踏み出せるかもしれません。 

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