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□たかだかふたつの影がゆく
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 くろがね商業高校の秘密兵器として学籍を置いたものの、野球部に所属することもできずに消化する日々は僅かながら虚しいものではあった。ひとり野山を一定のペースで駆け回り、自身の筋肉にムチを打つ。悲鳴をあげながらも堪え忍ぶ身体を眺めては、汗混じりに牛方の気分を彷彿とさせた。我ながら大層他人事な話である。
 いつしか、そう感じてしまうようになったのは紛れもなく野球がチームで行うものだからであろう。高校の授業を終える度にグラウンドへ駆け出す彼らを心底羨ましいと思ったものだ。もちろん、俺の努力がどんな小さな形であれ結晶となって返ってくることは確信していたが。
 そんな孤独極まりない俺だったが、ここ最近練習中に訪れる影がある。髪を靡かせ、古びた自転車のくぐもった鈴音と共にやって来るのは、見ての通り女性であった。
「パピヨンさん!」
「また来たのだな」
「フフ、来たくなるんだもん」
 微笑む名字との出会いはどんなものであったか、もう覚えてすらない。おそらく、ひどくくだらない出会いだったのだろう。彼女はランニングをしようと自分が走りもしないというのに俺を急かす。時々、俺の練習に付き合う彼女はキャッチボールの相手にもならないが、俺は彼女がいることに不服を感じたことはなかった。
 彼女が自転車で俺の後ろを着いてくる。ひとりの影がふたりになる。それは俺がこれまで忘れていた望むという選択肢だ。ひとりに慣れていた俺は、誰かと共にあることなど想像もできなかったのだ。
「パピヨンさんー」
「なんだ?」
「疲れたら休んでくださいねえ」
「ああ、わかっているさ」
 進み続ける足と同じテンポの息づかいが頭で反響する中、後ろから聞こえる老人のような自転車の金音。それだけはと躍起になって耳をすませてしまう俺は、少なからず彼女を杖にここまで走ってきた。
 ひとりがふたりになっただけだ、それなのに偉大だと開いた口が塞がらないほどに変化はあるもので。彼女が来てから、駆けるアスファルト、草木はより鮮明になった。街行く人々の顔はより見映えた。今もすれ違った男性に連れられた子犬も微笑んでいるような気がした。
 彼女のおかげなのだ。いつかチームに加われること、私の周りに仲間ができることを心服して疑わないのは。その時のために、己を磨き抜いて認めてもらおうと盲従して止まないのは。

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