一日一アプリ

□彼は一人だけではないらしい
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 僕は、初めて球場とやら、知らない場所に足を踏み入れた。その時に思ったんだ。彼が投げるところなんて、見たことがなかったなあって。
 僕と同じ教室で、僕と同じ歳とは思えない雰囲気を醸しながら、僕と同じ授業を受ける一ノ瀬くんは、今までもこれからも、狭い狭い世界でのトモダチだと思っていた。野球なんて、やの字もきゅうの意味も知らなかったし、知ろうともしなかった僕。初めて見たんだ、一ノ瀬選手を。球場に微笑む陽気は、まだ春だぞ。夏というには、気が早すぎないかい。僕はそう言ってやりたかったのに、時間を急かす風が熱く身体に降りかかったから、何も言えやしない。頬に当たったら、火傷でもしてしまいそう。ましてや、まだ春だなんて騒ぎ立てでもしたら、その逆鱗に触れて真っ黒焦げにされるのだろう。でも、その熱風吹き荒れる中心には、僕のトモダチがいる。誰よりも目立つ場所にいるんだ。そのくせ、僕の声や姿は彼に届いていない。まるで、リアルなテレビ画面だ。そんな普段じゃありえない距離が、不思議な化学反応を起こして、僕の目の色を変えた。一ノ瀬くんって、あんなにすごい人だったんだ。
 僕の知らない人が、太陽に照らされた左腕を掲げた。見ていたすべての人が、ワァッと震えた。それくらいに、彼と、彼の手の中のボールは大きいのだと思う。空と、土と、草と、そして君。ぜんぶぜんぶ巻き込んで、主人公は君なんだ。
 初めて見る舞台からはずうっと遠い客席に転がってるだけの僕も力を貸したい。でも、僕は力の貸し方を知らない。一ノ瀬くんにどうしたら届くだろう。考えたら頭に知恵熱がのぼった。ええい、もうわからないならどうにでもなってしまえ。僕はテレビ画面を叩き割って、熱のこもった空気を身体が膨れるほど吸い込んだのだ。
「一ノ瀬くん、いけえ!」
 木の役でもいい。衣装係でも照明係でも、なんでもいい。僕の気持ちがその舞台に飛んでいけ。いつもの教室じゃない、ここに飛んでいけ。一ノ瀬くんから見れば、米粒にしかならない僕、もちろん脇目ももらえない。でも、彼は空から注がれた炎を背負ってギラギラに焼けた左腕を振り抜いた。その時に飛び火したこの胸は、友達という世界を広く広くのばしてみせたんだ。

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