一日一アプリ

□愛の芽生え括弧仮
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「いやあ、すみませんね。僕はこの子しか愛せないんですよ」
 私は耳を疑った。なんとまあ痛々しいセリフだと思ったから。声が聞こえてきたのは天空……とにかくそんな名前の高校だ、私の家から近所の高校。帰り道を歩いていた私の足を見事に止めた。もはや縫い付けた。
 どんなキザ野郎だと鬼でも覗き込むようにおそるおそる天空ナントカ高校のフェンスに近づく。天高い金網から見えたのは眼鏡をかけた男。なかなかお顔はよろしいご様子だが、それがあのような耳を塞いで悶えたくなる文字の並びを言ったのなら非常に残念である。涙を飲む女子も少なくはないだろう。
 と、頭の中で説話を面白おかしく描いていた私は、まさかカサカに目を疑った。文字だけであった説話が今なおグラウンド撮影現場で実写化されていたから。女子が眼鏡の野郎に頬を染めながらも俯いている。あのセリフを言われたからだろうか。もしもそうであるなら大変だ。バラも枯れるラブストーリーが私の脳内で完成しそうである。なお出版の予定はない。
 ここまできたら原作者としてメガホンを握ってやる。私は肩にかけたバッグを胸甲冑に動向を見守った。彼女の手をそっと取ってやる眼鏡の主役の姿はどう見たところで両想いのそれだ。しかし、彼は大人びた微笑みの後に呟いた。
「……しかし、あなたの麗しい応援があれば、この子との絆もより強固なものとなるでしょう」
「えっ……」
 何を言ってやがるのでしょうか。素直な感想だ。だが、彼の目に茶化す様子はなく真剣であった。これを冗談でやってのけるのは俳優か天邪鬼である。前者は有り得なくもないが、野球をやっている時点でないと思っていいだろう。ただし後者、キミは言うまでもない。
 そのうえ、驚くべきはヒロイン女優がまるで愛の言葉を囁かれたような顔をしたことだった。いいえ、あなたは口説かれてなどおりませんよ。親切心を振りまこうとも恋は盲目。耳に入るはずもないのだ。
「ですから、あなたもエンジェルナインに」
「エンジェル……それって、東雲くんの……?」
「ええ。僕とこの子を結ぶ、僕のエンジェルです」
「……はいっ!」
 しまいにはこの様、彼らの業界用語を使われては映画監督兼原作者もお手上げだ。私は制服のスカートを翻して天空ウントカ高校に別れを告げる。メガホンも放り投げた。まったくなんのことだか、グウの音もパアもチョキすら出まい。
 私は頭を抱えた。ツッコミきれずして観客が立ち去ってもこのラブストーリーは続く。バラなど枯れ切って砂漠地帯になろうとも。その事実になんとまあ目眩を覚えるのだ。

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