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□サトラレの恋 一章 【好きになってもいい?】
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「双葉さん!これ、順番逆になってるよ?」
津田の不機嫌な声が飛んだ。
「はい!すいません!すぐ直します!」
《あ〜また!なんで私、こんなしょーもないミスしちゃうんだろ。早く外出たいなぁ。》
「外回りだけが営業じゃないぞ!細かい事務仕事もきっちりやれ!河野をちっとは見習え?完璧な書類作ってくれるぞ?」
《そりゃあ、絵美っちは神経が細やかだからね!ふんだ!津田さんの怒りんぼ!》
コピー機に向かいながらかんなは拗ねている。
本人はただ真顔で黙々と作業しているのだが、周りは自分の仕事をしつつも、ニヤリと笑って津田を見る。
営業二課の社員達もずいぶん慣れてきていた。
特に、主任に昇格してやる気満々の津田と、かんなの心の声の交戦は二課の皆にとって、密かな楽しみになっていた。
当たり障りのない会話しかしない他の社員とは違い、津田はかんなの心の声にはめげなかった。
辛く当たるという訳ではないが、何かとかんなを構いたがる。
かんなも、津田を嫌いと言うわけではなかったが、従順な部下でありつつも、心では反発してしまう。
ある二課の女性社員達は周囲に人が、特にかんなが居ないことを入念に確かめてから、給湯室でこんな会話を交わしていた。
「これでさぁ、主任の声も聞こえたらもっと面白いのにね。」
「ちょっとしたドラマより絶対受けるよ!」
「まぁ、双葉さんが大して悪気のない事しか言ってないから笑えるんだろうけど。」
「そうそう、双葉さんって服装とかは歳より大人っぽく見せてるけど、中身は子供だよねぇ。」
「だよね!」
「先輩方、外に聞こえてますよ?」
周作が給湯室のドアから笑顔を覗かせると、二人はそそくさと出ていった。
周作は女性社員に飲み物を入れてもらう二課の慣習に染まらず、自分の飲みたい物は自分で給湯室に出向いて入れる。
給湯室という場所は、こんな風に、噂話から上司の裏話まで、あらゆる情報が耳に入ってくる利点もあった。
「双葉さんか・・・。」
コーヒーを入れながら周作は呟いた。
可愛らしいお嬢さん。
これが周作の双葉かんなへの印象である。
確かに、ハイヒールをコツコツと鳴らして歩く姿は一見して新入社員とは思えないほど大人びている。
しかし、心で呟く言葉も、皆が密かに彼女を注目している事に気づかない無頓着さも、誉められた時などに見せる無邪気な笑顔も、純粋培養の少女めいている。
親に保護され、国に保護され、かんなは大切に育てられてきたのだ。
なぜ、営業課に配属されながら営業にでられないのか、かんなは知らない。
今、保護観察機関は、彼女が担当する事になる営業区域の医師達に根回しをしている最中だ。
サトラレが社会に出るというのは大変な事だ。
周作もその根回しが完了するまでの間、かんなと同じようにデスクワークに縛りつけられている。
「さぁ、これからどうなるかな。」
周作は入れたてのコーヒーを一口飲むと、一人笑みを溢した。