夢小説 短編

□I need you
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コワルスキーは走り出していた。歩行者が疎らになった夜更けは人が行き交う広場でさへいたのは彼女だけで、その場には風すらもいなかった。広場を円形に囲むように設置されたLEDライトは、中央のオブジェに腰を下ろし泣いている彼女を色とりどりに照らし、沢山の感情が渦巻く中である一点の曇り無き意思を持ち彼女の名を呼ぶ。
「名前」
「こ、わるすき……なんで、此処に」
「……隊長が、去って行くのを見た」
彼女を隠そうともしない空は腹が立つ程澄んでいて、三日月が輝いている。就寝時間を大幅に過ぎてから物音が聞こえ、寝室から隊長の姿がない事に気付いたコワルスキーは彼の後を追った。気付かれずに追跡を続けていた筈が一瞬目を離した隙に姿を見失い、もう一度発見した時には酷く苦しそうな顔で広場から去って行く最中だったのだ。コワルスキーにはそれが何を意味していたのか分からなかったが、来た方角へ腹這いで滑走すればそこにいたが彼女。
去って行く隊長、泣いている名前。このザマを見て結び付く結論は一つとして他はない。
「隊長に、振られたんだな」
端的に言えば名前は瞳孔を狭めた。彼女とペンギンズ、主に隊長は種族の違いを感じさせぬ程仲睦まじくなんの不安も見えなかった。しかし隊長には彼女と共に生涯を共にする覚悟はなかったのだ。哺乳類と鳥類ではあまりにも形が違い過ぎただけでなく、お互いの不幸を厳選してそちらを選択し生きていくようなもの。そんな酷い人生にしてまで彼女を引き止めておける資格は自分にはないとした。
当然そんな事で首を縦に振る名前ではないのは誰でも分かる。コワルスキーはその一部始終を見ておらずとも、泣く彼女の様子で無理矢理別れを告げたのだと悟った。
「隊長は、なんと」
「……私を幸せにしたいから、もう会わないって。何も言わないで、分かってくれって」
意気消沈した彼女から零れる言葉は隊長らしい自分を犠牲にした選択であり、その犠牲によって彼女が苦しめられていた。
別れの瞬間を思い出してしまったのか、再び瞳から幾筋もの涙を零し出した名前は自分の心臓部に手を置き服が皺になる程きつく掴み膝から崩れ落ちる。苦しい事を全身で訴えていた。
「分からないよ、どうしてなの……愛してるって言ってくれた。キスもその先もしてくれた。なのに私は彼に置いていかれてしまった……。愛していたのに孤独になって、この胸の痛みが治まらないのは、今日までが夢だったからなの……?」
名前は嘆き蹲るようにしてコワルスキーの前にへたり込む。何がいけなかったなど、残酷に言ってしまえば産まれたその時から、接触してしまったあの瞬間から間違っていたのだ。交わる事のない生物が愛し合ってしまった、その事実を現世で生んでしまった事自体が罪。
反対に言えばそう、誰も悪くなかった。名前が泣いてしまう事も、隊長が去ってしまった事も、コワルスキーが彼女と同じ否それ以上に胸を痛めている事も全て、誰が悪いとすら言えず何処にもぶつけられないのだ。
「……名前」
「コワルスキー……こんなに好きなの。自分でも馬鹿みたいなのに、それなのにこんなにも、こんなになってしまう程彼が好きだった、好き過ぎてしまった……私と彼の天秤が、きっと、私に傾き過ぎて壊しちゃったんだ……私が、人間だったばっかりに、終わりが来たんだ……こんな事なら始めから恋なんて、しなきゃ良かったのに……!」
酷く震える声はコワルスキーの涙腺を煽り彼からも涙が伝う。何故コワルスキーが泣くのだろう。彼等を一番に応援していた当事者だからだろうか、人の気持ちを汲み取り同情出来るからだろうか、否それとも。
「名前……!」
「っ……」
顔を伏せて泣いていた彼女の頬を掴み上げさせると、不意をついて彼女の唇を奪った。驚く暇もなかった名前は今の状況の理解が出来ず体が凍り、この接吻に全てを捧げるように目を閉じているコワルスキーは長い交わりの後嘴を離す。
涙が止まった彼女の涙跡を拭い、自分も息を呑むコワルスキーはこの行為に後悔を感じてはいなかった。同情などでは起こせない行動はこれまでのコワルスキーを全て否定し、そして正直にさせる。
「泣かないでくれ、どうか、もう」
「……コワルスキー……どうして」
「隊長を愛していた自分を否定してはいけない、隊長に恋していた君は誰よりも美しかったのだから。私が知っている、私が証人だ、隊長といる時の君は眩しいくらい笑っていた。傍にいた私が影ともならず霞んでしまうくらいに」
隊長が遠征に出てしまった時は、彼女の身の安全として監視を任され、常に中立に立ち双方の相談を受けていたのは、全てコワルスキーだ。二人を応援していた、誰よりも二人の傍にいて、そして誰よりも、隊長よりも彼女を見続けていた。いつか応援から恋に変わってしまうその瞬間もその後もその先も彼は心に鍵を掛け良き友人でありたかった。
「…………好きだ」
しかしそれももう崩れ去り、誰よりも大罪を犯したのは彼女を取り残した隊長でも別れを受け入れられない名前でもなくなったのだ。
コワルスキーは彼女の手を取ると指からイニシャルが彫られた隊長とのペアリングを外し路上に捨てる。その行先を反射的に目で追ってしまった名前に心臓を抉られるような感覚がしながらも、また顔を向き直させる。
「お願いコワルスキー、お願い……私は、どうしたらいいの……?嘘だと言ってよ……私から、隊長との思い出を奪わないで……っ」
「嘘なんて付く筈がない。君が好きなんだ、君を救いたい。聞いて、私は……私は何処にも行かないし、絶対に名前を一人にしない。もう二度と名前にこんな顔をさせない。隊長の注いだ愛よりも、君が隊長に注いだ愛よりも、私が君に捧ぐ愛の方が大きい事を教えてあげる。何故なら私は、人間の名前を、愛しているから」
名前の中の何かが揺らぐ音がする。捨てられたばかりの自分に真向から愛を送るコワルスキーから視線を外す事が出来ない。名前はこれまでの自分を思い出していた。そこには横に隊長がいたがフラッシュバックする記憶の殆どにはコワルスキーがいた事に気付く。それは決して比喩ではなく、彼女の支えには常に彼がいたのだ。隊長との思い出と、コワルスキーとの思い出が交互に積み重なっていく。目の前で自分と同じように苦しみを共有し涙を溜めているコワルスキーに、激痛だった胸が静かにゆっくりと緩和されていくのを感じ、直に心臓に熱が宿る。
「わ……私、私っ」
「名前。もう、私にしないか?」
「……でも」
「隊長との思い出を消せとは言わない。私が塗り替えてみせる。いつか隊長と言う存在すら忘れてしまうくらい、私が、君を幸せにしてみせる。」
「コワルスキー」
「名前、心から君を愛している」
体から火が出る程燃えるような接吻はもう彼女の可否を聞かなかった。公園の七色の小さなライトが全てを洗い流すようなライトブルーに変わり、口内に沈む舌は彼女を溶かすように上顎をなぞる。細胞一つ一つから許しを乞うように優しく舌と舌で愛撫すれば、最後の涙を流した名前はコワルスキーを受け入れ、もう拒む事はなかった。名前は幾度も角度を変え接吻を繰り返す度、一つ、また一つと隊長との思い出が彼によって塗り重ねられていくのを感じていても尚、弱い心を救ったコワルスキーに堕落していく。
どうかこのまま彼女が自分と生きてくれますように。そう切に願うコワルスキーは隊長の真意に勘付いていた。隊長は別れを告げても、何年の月日が経とうとも名前を愛している事実は変わらないと言う事。そして偶然また再会してしまった時までまだ自分への恋が冷めていなかったら、その時には自分の決意も固まり彼女を本当の番にしようと。だからもう一度互いが愛し合っていると、この不幸せな人生でも歩みたいと言ってくれた日には、これまで離れていた分、そして愛し合っていた過去の日以上に心から愛すると決めていた。一夜の夢が夢ではなくなった彼女を迎えに行こうとしていたのだ。
では、そう。コワルスキーがしてしまった大罪とは一体なんなのか。それはとある一組の深愛を壊してしまった事にあり、全てを知っていた事に他ならない。生涯たった一つの絶望を、あろう事か部下が拭ってしまったのだ。それも、隊長がもう数年彼女に会う事がないと決まった瞬間に。
「コワルスキー、ありがとう」
「いいんだ、君がまた笑ってくれるなら」
隊長はもう本部へ帰還している頃合だろう。コワルスキーは名前へ優しく笑い掛けながら、さてどう説明して絶縁させてしまおうかとブレインを働かせる。それとも、全て打ち明けて勝負を賭けようか。完全勝利がない事はもう、ペアリングを追ったあの酷く虚しそうな顔を見た瞬間から分かっていたのに。

END

  

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