0と100

□蜃楼を玉砕
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最近、つかさは俺によそよそしい。この間の満員電車での1件があってからは尚更だ。
確かにあれはひとつの事件だ。けれど俺にとってはいまさらのことだった。
つかさは発育がよかった。俺とあいつの間には2歳の差があるにも関わらず、つかさの身長を越したのは俺が中2の頃だった。そしてそれと同じタイミングで、俺のつかさに対する目は変わった。そりゃ俺だっていくら根暗で影薄とは言ってもそういうことには普通に興味を持つ。
つかさの父はシングルファザーで、つかさを1人前にするためと言い常にやつれた頬で仕事に励んでいた。出張も少なくなかった。そしてその度につかさは俺の部屋に泊まりに来た。つかさの父が俺の両親に頼むのだ。俺の両親は快く受け入れる。しかし俺はと言うと、風呂上がりの濡れた髪と女特有の露出の多い家着姿で俺に話しかけてくるつかさが目の毒にしか思えなくて、あまり良い顔はできなかった。
一緒に寝ようと無邪気な笑顔で提案するつかさに渋い顔を見せると、いいじゃんいいじゃんと抱きついて来る。手足や首にひっつく柔肌の感触と背中に押し付けられる発育のいい胸の形は、俺の自身を無条件で焼き立てた。
けれど中学生だった俺が、幼い頃からずっと一緒だったつかさに手を出すはずもなく、一緒のベッドで眠る夜は悶々とし過ぎて寝れたもんじゃなかった。
そんなお盛んだった俺も高校に入ったら随分落ち着いた。つかさは見てくれは1級品だが、中身はとんでもなくガキである。つかさに欲情していた頃の俺を諭してやりたいほどそういう目では見なくなった。
そして色欲が減衰していくに連れて、保護欲が強くなった。
つかさは中2の頃、とんでもなくイケメンな同じ学年の男子と付き合っていた。本人いわく、告られたからとりあえず、とのことで。そいつに良からぬことをされるのでは、と気が気でなかった。しかしそいつは1ヶ月ほどでつかさを振った。自分で言うのもなんだが、俺の存在が原因だったのだろう。「わたし、千尋ちゃんの話し過ぎなんだって、無神経なんだって」2人の破局の直後、浮かない顔で俺に報告してきた。
正直安心した。マセたこともしてないようだった。キスはしたらしいが、初めては俺とだったということもあるためそこまで気にならなかった。
つかさは俺が守る。ファンタジーモノに出てくる熱血な主人公のようでいささか恥ずかしいが、つかさにとって俺は2個上でいわゆるお兄さんという立場だし、つかさは危なっかしいことばかりするから誰かそばにいなきゃダメだ。登校だって、もしあいつがラッシュ時に乗って痴漢に遭ったらと思うと無理にでも起こして一緒に行ってやりたい。
つかさは家族みたいなものなんだろうか。妹と言うには手間がかかりすぎて、娘と言うにはでかすぎる。とりあえず大切には想っている。
そしてその娘以上妹未満の俺の幼なじみは絶賛思春期中のようだ。
一緒に登校することの拒否。先日の電車密着事件での異常なほどの照れよう。そして今、目の前で進行中の謎極まりない光景。
つかさが赤司と談笑している。つかさの手には数学の問題集が握られているので、赤司に勉強を教わりに来たのだろう。しかし今赤司と会話しているつかさは、勉強を教わる時の真剣な顔をしていない。
やわらかに細める目、しとやかに微笑む口、極めつけはほのかに赤い頬。
こいつ、赤司のファンだったのか。いや、会話の雰囲気からするとリアルにいい感じということか。もしかしたらもう付き合ってんのか。
つかさが俺の知らない所で急成長を遂げていたことに驚愕し、そしてどこからか湧き上がるチリチリとした苛立ちのような感情はなんだろうかと疑問に思いつつ、2人に気付かれないよう影をひそめて体育館に向かおうとした。今日はテスト1日目だが6時まで部活だ。赤司もつかさと乳くりあってねえで早く準備しろよ。つくづく嫌な1年だ。


鬼のような、というか鬼そのものの練習がやっと終わり、制服に着替えていると赤司君がさりげなくこちらに来た。まだ練習着を着たままだった。

「調子はどうだい」
「まあ、悪かねえよ」
「人間観察も板についてきたようだね。それに意図的に人に気付かれないようにすることもできるようだが」

そう言うと赤司は、普段はない不敵さを交えた悪戯っぽい笑みを見せた。この顔につかさもやられたんだろうか。

「僕と橘さんが一緒にいたのを見てただろう。声くらいかけてくれてもいいじゃないか」

どくり、と心臓から大量の血液が一度に流れ出る音がした。そして原因不明の苛立ちも感じた。

「なんでイイ雰囲気の男女2人の仲を割って会話に入らなきゃならねえんだよ。邪魔になるだけだろ」
「おや、千尋からはそういう風に見えてたんだね」

勉強を聞かれただけだよ、と飄々と言葉を紡ぎ続ける赤司。苛立ちはさらに増した。

「...とても勉強してる顔には見えなかったが」
「話の内容を聞きたいか?」

喧嘩を売られたふうにも聞こえるその言葉は、この苛立ちを怒りに変えた。露骨に顔をしかめて赤司を見た。

「...そんな怖い顔をするな」

隣にいるハイスペック後輩は困った笑顔でそう言い、エナメルから制服を取り出し着替え始めた。俺の隣で着替えんのかよ。

「彼女は僕がなぜ千尋を選んだのか聞いてきた。気になっていたようだから、部活中のお前がどんな様子かも教えた。幼なじみなんだって?たいそう強い信頼関係を築いているようだね」

俺は何も言わずに赤司の言葉を聞いた。こいつは何を言いたい。ただの嫌味か、もしくはつかさは僕のものだという俺に対する牽制か?

「...焦るなとは言わないが、よく考えるべきだ。不都合なものを無視して現状維持を貫くだけではきっと後悔する」

ネクタイを緩く締め、その場を去った。

外は激しく雨が降っていた。自然と心持ちもじっとりとしてしまう。
赤司が最後に言った言葉。不都合なものを無視して現状維持を貫くだけでは後悔する。そんなの分かってる。
一緒にいて当然だと思ってるからこそ、離れられると焦る。今俺は焦っているのだろうか。
それでも、赤司の言葉が本当だとしても、俺は無視をし続けるつもりだ。
自分でも臆病者だと思う。気持ちの持ちようだけで大きく違うことに気づいたのは高校に入ってからだ。認めなければ事実にはならない。いまのかたちを壊すこともない。非日常はラノベだけでいい。部活も忙しいし受験勉強もある。余計なことを考える暇はない。
傘にぶつかる雨音が俺の思考を鈍らせる。早く梅雨が終わって欲しい。

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