0と100

□鑿空で困窮
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今回の試験は金曜から始まり、土日を挟んで水曜まである。計4日間だ。そして今日は挟まれた日曜日。とにかく分からない問題がたまってきた。
先週はここで諦め息抜きをしてあの満員電車密着事件が起こった。結果、その日は勉強はそれきりとなり、あの駅周辺をふらふら歩いたりなんなりしながら千尋ちゃんへの恋心をどうしようかと悩みまくって、家に帰って早寝した。ちなみにこの気持ちは隠し通すことにした。できる限り見ないフリもしようと決めた。だって今の関係が崩れるのは絶対に嫌だ。これからも普通に仲良くしていたい。
ということで、千尋ちゃんに勉強を聞きに行こう!
こないだの1件があったからって何が問題なんだ。気まずくなることなんて今まで何回もあったじゃないか。いつも通り、いつも通りに話せばいい。
携帯を手に取り電話をかけた。ラインでもよかったが、それだとすぐに見てくれないかもと思って直接電話することにした。

『なんか用か』
「勉強おしえて」
『...赤司に聞きゃいいだろ』

赤司君の名前が出てきてびっくりした。彼とは初めて話した時以来、たびたび勉強を聞いている。いつのまにそのことを知ってたんだろう。

「学校ないから赤司君には聞けないよ」
『デートしながら聞けばいいじゃねえか』

デート?何を言ってるんだこの人は。いつもの皮肉だろうけど、棘が普段の皮肉の5割増しだ。何か勘違いしてるのかな。

「デートなんてしないよ。とにかく暇でしょ、そっち行く」
『いや今部活』
「嘘だ!さっき練習着で帰ってくるとこ見たもん!午前練だったんでしょ!」
『チッ』

舌打ちしてんじゃねーし!
わたしの部屋の窓からうまいぐあいに外が見えるのだが、さっき疲れた顔で帰ってくる千尋ちゃんを見た。しれっと嘘つきやがってこの朴念仁...!

「じゃあ行くからね!」

あっちが何か言い出す前に電話を切った。何が彼を厭わせているんだろうか。単純に迷惑だから?それは違うと思う。千尋ちゃんは本当に人と関わりたくないとき、携帯の電源を切っている。たまにメッセージを送っても丸々1日返信が来ない時がある。
じゃあ、今日の不機嫌はなんでだろう。
考えても分からないので、聞きたい問題が載ってる教材をもって部屋着のまま隣の彼の元へ向かった。こういう時、マンションで隣同士というのは便利だ。

お隣さんのインターホンを鳴らすと、おばさんがいらっしゃい、と静かに微笑んで出迎えてくれた。千尋ちゃんはお母さん似だと思う、性格はそんな似てないけど。

「たのもー!!」
「ドアは静かに開けろ」
「はい」

迫力を出そうと思ってバアアアン!と激しい音を立てて千尋ちゃんの部屋のドアを開けたら普通に怒られた。くそう!

「これの付箋ついてるとこ全部教えて」
「めんどくせえな...お前はアホ以外の何者でもない」
「アホじゃねーし!春の実テ学年で23位だったし!」
「俺の1年の春の実テは学年8位だった」
「千尋ちゃん神!すごい!神!そしてそんな神様にお願いがあります、どうか勉強教えてください」
「教えるから静かにしろ」
「はい」

千尋ちゃんが部屋のテーブルに座りわたしの問題集を開いた。わたしは彼の隣に座って、考え込むその横顔をちらっと盗み見た。かっこいい。
赤司君だって綺麗系ですごくかっこいいけど、やっぱ千尋ちゃんの方がかっこいい。
久しぶりに弾んだ会話と、真横から見た端正な横顔に対してにやにやしていたら「キモいな、お前」と言われた。ひどくね?

「1回しか教えねえからちゃんと聞いてろ」
「はい!」

千尋ちゃんの解説が始まった。
ずっとこの人からこういうふうにしてもらってた。ずっとこの人の解説は分かりやすかった。今もそう。そのはずなのに、彼の発する声、大きくて骨ばった手、たびたび触れ合う肩に気が散ったのか、あんまり分からなかった。

「...お前、聞いてなかったろ」
「いや聞いてました」
「何考えてた」
「二次関数のことを」
「嘘こけ」

集中してなかったのがばれた。鋭すぎる。何この人、人間観察でもしてるの?

「どうせ赤司のことでも考えてたんだろ」
「は!?なんで赤司君が出てくるの!??」
「声がでかい、顔が赤い。図星だろ」
「違うから!だってわたしが好きなのは―――...」

口を両手で覆った。
やばい。千尋ちゃんも怪訝そうな顔をしてる。

「...誰だよ、それ」

その問いにはどうしても答えられない。今言ったら告白になってしまう。でも言ってしまいたい気持ちが湧き上がってくる。いや駄目だ。絶対駄目だ。終わっちゃう。今までの、ぜんぶ。

「...千尋ちゃんに関係なくない」
「まあ、そうだな」

ずきりと胸が痛んだ。俺には関係ない。お前が誰と恋愛しようと関係ない。そんな冷めた顔。わたしのことは興味無しなの?寂しい。少しくらいは関心持ってよ。

「青春楽しむのにあれこれ口出す訳じゃねえけど、ほどほどにしとけよ。アホしてると単位落とすぞ」
「落とすわけ、ないじゃん...」

なんかすごく、泣きたくなってきた。いくら見て見ぬふりしようって決めてもやっぱり好きだ。ああもう、視界が歪んできた。
泣いちゃ駄目だって歯を食いしばるほど涙は湧いてくる。引っ込め。出てくんな。

「泣いてんのか」
「泣い、てっ、ないっ」
「...ティッシュあるぞ」

ティッシュを目の前に置いて、背中をさすってくれた。いつもは嬉しい優しさが今は苦しい。背中触られたらノーブラなのばれちゃうし。だらしないって思われちゃう。
次の瞬間、ふわっと抱きしめられた。小さい頃から、わたしを慰めてくれる時はいつもこうする。わたしはいつもこの暖かさに助けられていた。

「...高校初の気合い入れたテストだろ、色々溜まって当然だ。泣いたっておかしかねえよ」

後頭部を軽く数回叩かれる。ぽんぽんぽん、と優しい衝撃がゆるやかな振動を作った。
甘やかされてるなあ。居心地いいなあ。なんで千尋ちゃんってこんなにあったかいんだろ。さっきまでの胸をえぐるような痛みがなくなっていく。ずっとここにいたい。ずっと一緒がいい。

「...ありがと、もう、いい」

だからこそこの気持ちは隠し通さなきゃいけない。この想いは絶対に言ってはいけない。
彼の肩を押して、あたたかな抱擁から離れた。少し目線を上げると、泣きそうな顔になっている想い人がいた。もらい泣きかな。それとも何か期待していいのかな。分かんないな、今は。

「次はちゃんと聞く。ちゃんと聞いて帰る。から教えて」
「...おう」

仮に告白をして上手くいったとしよう。そうなればこれ以上ないくらい幸せだと思う、確信する。でも1度付き合えたからって、必ずしもそのままであるとは限らない。いや確実にマンネリとかで別れる。それは人と付き合うのなら当然の付随品だ。でもわたしは臆病で、それがひどく怖くて。永遠に変わらないものなんて無いことは分かってるけど。でもそれでも、今までと同じように、これからの関係を築いていきたい。お互いのスペースを共有しつつ、そのぬるいぬくもりに浸かっていたい。ずっと、死ぬまでそうしていたい。

千尋ちゃんが懲りずに解説を始めてくれた。今度こそ真剣に聞かなきゃ。
聞き慣れたその声に耳を傾ける。普段よりも遠慮を含んだ彼の声は、わたしの不安を増大させた。

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