0と100
□好意の矢印
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寒さが身に染みてくる11月下旬。コートを着るにはまだ少し早いが、それなりに厚着しないと風邪を引きそうという微妙な時期だ。
父におつかいを頼まれ近くのコンビニに来たところ、なんとばったり千尋ちゃんに会った。紺色のジャージに黒いロンTを着ているところを見れば、部活帰りだろうか。それだけで外を歩くには寒そうだ。
「部活帰り?」
「おう。お前は暇潰しか」
「お父さんにおつかい頼まれたんだよ」
千尋ちゃんはわたしが持つ買い物カゴをちらっと見た。そして代わりに持ってくれた。え、紳士。
「買うものこれで全部か」
「うん、今レジ行くとこだった」
「行くぞ」
千尋ちゃんはレジに向かってすたすた歩き出した。いきなりの行動に少し驚いたが、寡黙な彼がこういう急なことをするのは以前にもあったので、すぐに状況をのみこみ、後ろをついていった。
レジでお金を払い、じゃあねと言って外に出ようとしたら肩をつかまれた。
「いや行くなよ」
「えっなんでさ」
「会計一緒に済ませてやっただろ、1人で帰るとか馬鹿じゃねえの」
「馬鹿じゃないし!じゃあ待ってればいいの?」
「すぐ終わるから俺についてろ」
言われるがままに千尋ちゃんの後ろをついていった。それもそうか、一緒に会計して1人で帰るのもアレか。それにしても目線が上から過ぎやしませんか千尋さん。
千尋ちゃんは栄養ドリンクを1本だけ買った。部活キツいんだろうな、そりゃリポDもいるよね。
「帰るぞ」
「お、おう」
2人で並んで外に出た。夜が深まったせいか、さっきより空気が冷たい。
「寒くない?それだけじゃ」
「...多少な」
緩やかな時間が流れる。居心地の良いぬるさは、わたしの黒い感情や劣情をすべて忘れさせてくれた。
「こういうの久しぶりじゃね」
「あー、そだね」
「前は結構こんな感じだったのにな」
「そだね...」
すっかり暗くなった空に星が光っているのが見える。夜空は静寂を強める。
しばらく続いた無言の時間を破いたのは、彼の方だった。
「俺は、つかさとこうするのが1番好きだ」
どくりと胸が高鳴った。これは彼の何気ない、なんともない言葉なのだと言い聞かせても、思い込みだけが先走りする。星のきらめきが強まった。
「えへ、わたしも、好き、だよ」
途切れ途切れな言葉にこめた好意を重く捉えられていないだろうか。いや、もうそれが伝わってもいいんだろうか。
思わず彼の服の裾を軽くつまんだ。ずっとここにいて。ずっとわたしの傍にいて。
すると千尋ちゃんは頭を撫でてくれた。ぽんぽんじゃなくて、しっとりとなだらかに、わたしの存在を確かめてくれるように。その手が、俺はここにいると答えてくれた気がした。
「...あったかい」
「さっき寒いっつってたくね」
「それでも、あったかいよ」
そこで言葉は途切れた。居心地の良い沈黙が続いた。
そこから少し歩いて、わたしたちの住むマンションに着いた。エレベーターに乗り込んだと同時に、彼は言葉を発した。沈黙は破られた。
「赤司ってお前のこと名前で呼んでたっけ」
彼のその言葉に少し棘がある気がした。でも気のせいだろう。
「最初は名字にさん付けだったけど、しゃべってくうちに名前呼びになったよ」
赤司君とは結構仲良くなった。廊下ですれ違えば挨拶だけでなく、少しの雑談まで交わすくらいだ。
「実渕と茶飲んだのか」
夏休みの終わり頃、実渕さんがお茶を奢ってくれたのを思い出した。ガールズトークはとても楽しかった。
「うん、楽しかった」
素直な感想を言った。すると次の彼の言葉はさらに鋭く感じられた。
「葉山と根武谷と3ケツして楽しかったか」
隣にいる彼の意図が見えてきたと同時に、期待と後ろめたさが波のように押し寄せてきた。まさか、いやでも。
「...楽しかったよ」
エレベーターは止まって、扉が開いた。すぐさま千尋ちゃんがここから出た。こんなとこ耐えられない、とその背中が嘆いている気がした。
「あんまり男に媚び売るな」
ギッと睨まれた。なにそれ。
あたたかな空間はすでに凍りついていた。
「わたしは媚びてるつもりないし、そもそも千尋ちゃんにそういうこと言われる筋合いない」
棘には棘で返した。言ってから少し後悔した。でもすっきりした。
千尋ちゃんは嫉妬してくれてるの?じゃあわたしのことを好きなの?ならもっとはっきり形にしてよ。そうじゃないなら、こんな煮え切らない態度やめて。思い込みの妄想しかしなくなるから。そうじゃないなら、いっそ潔く切り捨てて。好きだって気持ちがどうしようもなくなってしまうから。
「俺は」
それぞれの部屋の前で固まった。互いの目を離さなかった。
千尋ちゃんは悲しい顔をしていた。
「...お前が心配なだけだ」
そう言い彼はわたしから目をそらした。
「...あっそ」
部屋の鍵をポッケから取り出した。
煮え切らない。どうしようもない。やり場のないぐちゃぐちゃな気持ち。
何秒の差で響く、2つのがちゃりという音。鍵を動かせばそこは開く。
横目でフェードアウトする彼を見た。この人の気持ちを知りたい。