0と100

□回顧と決意
1ページ/1ページ

わたしが小学校に上がる直前、両親は離婚した。母が真っ赤なキャリーバッグを持って家から出て行った光景は今も鮮明に覚えている。目に突き刺さる色だった。父、母、わたしの3人で住んでいた一軒家は、母がいなくなるだけで随分がらんどうになった。そこで父は「2人でマンションに暮らそう」と提案した。わたしはその時の状況をよく分かっていないまま、いいよと言った。後から聞いた話だが、あの家は借家だったらしい。そして当時の父はその家賃を払う財政的な余裕を持っていなくて、せめてもう少し家賃の安いところに引っ越そうと思いマンション暮らしを決定したそうだ。
わたしが小学校に上がると同時に、今のマンションに引っ越した。築3年の新しくて綺麗なところだった。ぴかぴかのランドセルを背負って、ぴかぴかなマンションから小学校に通った。
小学校に通って暫らくした頃、父がお隣さんの存在を知った。ちなみにわたしはまったく知らなかった。父は「となりの部屋につかさと同じ小学校に通ってる子がいるらしい」と言った。わたしはそれを聞いてとてもわくわくした。家の近い友達があまりいなかったので、一緒に遊べたらいいなとか、女の子だったらうれしいなとか、いろいろ思考を巡らせた。
初めて千尋ちゃんに会ったのは、マンションの駐車場でだった。休日に父と買い物に行った帰り、駐車場でシャボン玉で遊ぶ子を見つけた。すぐ近くにその子の両親らしき男女もいた。「車にシャボン玉つくとアレだな、やめてくんねえかな」と愚痴を言う父をよそ目に、わたしはその子に釘付けになった。
色素の薄い髪がサラサラと風が吹くたびに揺れていた。まっさらな白い肌は、外で遊んで日焼けをしているわたしから見ると、羨ましいとしか思えなかった。お姫様みたい、というのが正直な感想だった。すぐさま車から降りて、その親子のもとへ向かった。父の「こらつかさ!」というお咎めの声は無視した。
その子を目の前にして、幼いわたしは感動した。本当にお姫様みたいだった。近くで見るとその子は随分華奢で儚げで、シャボン玉の七色の光はその子の美しさを引き立てていた。
「すいませんウチのが!」と言いながら走ってくる父に、その子のお母さんと思しき人が「全然です」と言った。そして父は「最近引っ越してきた者でして」と言い、「あら、お子さんいらしたんですね」「はい、そちらの子はおいくつですか?」と会話は続いた。その子のお父さんらしき人は始終無言だった。
お母さんは「ほら千尋、何歳かって聞かれてるよ」とその子に話題をふりかけた。名前、ちひろって言うのか、かわいいな、と思った。するとその子、もとい千尋ちゃんはわたしと至近距離で目が合っても黙々と続けていたシャボン玉をやめて、小さな声で「...8さい」と言った。女の子にしては低い声だと思った。「じゃあ小学校2年生かな?」「...3」父の質問に必要最低限の口数で千尋ちゃんは返答した。父はわたしにも自己紹介を催促した。なのでわたしはいつも通り、あらん限りの元気を押し出してこう言った。「橘つかさ!6さいです!小学校1年生です!」千尋ちゃんのお母さんは驚いた顔で「1年生?おっきいわね〜、千尋男の子なのに負けちゃったわ〜」と言った。それを聞いてわたしは、男の子!?この子男の子なの!??と戦慄した。身長はわたしより若干低いし、なにより色白で華奢だし。わたしなんかより断然女の子っぽい。しかも3年生って、わたしの2つ上って。わずかながらも存在していた、わたしの女としてのプライドは傷ついた。でもそれ以上に衝撃を受けていたのは千尋ちゃんだったろう。シャボン液の入った容器を持つ手が微妙に震えていた。
とにかくわたしはこの子と仲良くしたかった。近所の同年代の子なんてそうそういないから。そしてわたしは千尋ちゃんに手を伸ばして、「よろしくね、ちひろちゃん!」と口角をめいっぱい上げて言った。千尋ちゃんは何も言わなかったが、わたしの手を力強くきゅっと握ってくれた。その手はやはりわたしの手よりも小さかったのに、どこからそんな力が出てくるんだというほど、握る力は強かった。

「つかさ!ちょっと!ぼーっとしすぎ!!」

優香にデコピンされた。いたい。彼女はわたしの名前を何回か呼んでいたという。

「ごめん、考え事してた」

昼休み、教室で2人でお弁当を食べていた。がやがやという喧騒が立て続けに耳をすり抜ける。

「つかさ最近へんよね」
「そうかな」
「心ここにあらずを体現してる感じ」
「...そうだね」

すると優香は驚いた顔をした。そして顔を近付けて、小声でこう言った。

「なんかあったんでしょ」

千尋ちゃんを好きだということは、まだ優香に言ってない。でも多分知ってる、男バスの人たちが知ってるくらいだし。

「わたしの幼なじみ知ってるよね」
「そりゃ」
「好きなの」
「でしょうね」
「あの人のことが好き」
「まあ見てればわかる」

この人、こっちは結構恥をしのんで言ってるというのにそんなあっけらかんと...!

「告れば?」
「ほお!??!?」
「てかまだ告ってないの?」
「そりゃな!!!」
「はたから見たら早くくっつけ焦れったい、て感じ」

この人、何を根拠にこんなずけずけと...!
でもこの無遠慮さが、今のうだうだしたわたしにはちょうどよく感じられる。

「なんて言えばいいのでしょう」
「心から溢れてくる気持ちをストレートに」
「ひっ、余計なことばっか言いそう」

そうねー、と優香は携帯を見ながら言った。友達と話してる途中で携帯見るんじゃねえ!

「でもしばらく会えないわよね」
「えっなんで?」
「だってバスケ部、今大会じゃん」
「は!?何それ何それ知らない知らない」
「聞いてなかったんだ」

優香の話によると、今はウィンターカップというめちゃくちゃ大きな大会の最中らしい。開催場所は東京のため、洛山バスケ部1軍はしばらく京都にはいないと。

「1週間後くらいじゃない?終わるの」
「うえええ長い...」
「恋愛は我慢よ!ファイト!」

1週間て!1週間て!!その間に告る気なくなっちゃいそうだよ!!!
でも千尋ちゃんもいろいろ頑張ってんだ、わたしも頑張らないでどうする。釣り合わないぞ、ダメ女になるぞ、よしなんとか頑張るんだ!もう終わらせてやる、こんなもやもや!!
自分を鼓舞するつもりで弁当の残りをかきこんだ。優香に「女子力ないわね」と言われた。うるせえ!!

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ