短編
□ごめんなさい
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「悲しそうな顔してるね」
小さな少年の声にびくっと身体を震わせた、一人の青年。
背中に剣を背負ったその青年の姿はまさに「勇者」だった。いや、一目見ればそう思うかもしれないが、実際彼は本当に勇者である。
「トランクス」
「どうしたの、こんな時間に外になんか出てさ」
トランクスと呼ばれた少年は、その青年をまるで自分の兄かというように接している。
勿論青年もトランクスのことを一人の弟のように見ていた。
青年には、弟が居た。けれど、その弟は、もういない。殺されてしまったのだ。
己の身に封印していた幻魔人に。
「いや……少し考え事をしていたんだ」
「ふーん、そっかあ」
トランクスは青年の隣に座った。
「トランクス、お前には……大事な人がいるか?」
「え?……うん、勿論いるよ!たくさん」
「そうか」
青年はふっと微笑し、しかしその笑みも一瞬で消え、顔を下に向ける。
「どうしたの?」
「……俺にも、大事な人が居る。けれど、もう居ないんだ、この世には」
「……死んじゃったの?」
「……ああ。もうずっと前にだ」
青年が言う大事な人とは、勿論大事である自分の弟のことではなく、自分が好きだった一人の男性のことであった。
1000年前―――――
コナッツ星の悪の気を吸い取った魔人像の霊体が、魔導師たちに邪悪なエネルギーを注ぎ込まれて変身した幻魔人が現れた。
その幻魔人の名を、ヒルデガーンという。
『タピオンさん!』
『名無し……まだこんな所に居たのか……』
『名無しさん、逃げてよ、もう皆避難してるよ、逃げてないのは名無しさんだけだよ!』
笛を手に持ったタピオンと呼ばれた青年と、彼の弟であるミノシアが眉を力なく下げた男性を見据えていた。
兄弟二人が持っている笛は、コナッツ星の神から与えられたものだ。
ヒルデガーンが現れた為に、コナッツ星の住人たちはもう既に避難を開始していた。なので今避難できていないのは名無しだけなのである。
『殺されちゃうかもしれないんですよ!二人も一緒に避難しましょう!』
必死に訴える名無しに、二人は首を振る。
『二度と蘇らないように封印するだけだ、大丈夫だ』
『すぐに終わるよ』
『でも!』
ヒルデガーンが動きだした。
その巨大な足が地を踏むたび、大地は激しく上下に揺れる。
ヒルデガーンは3人のほうへ向かっている。しかしその幻魔人の標的は、名無し、一人だけだ。
『名無し、お前は早く避難するんだ!』
『僕も戦います!』
タピオンは驚愕する。
『何を言っているんだ!そうすればお前が殺されるに決まっている!』
『二人が殺されるよりはずっとマシです!』
ヒルデガーンが3人に近づく中、彼らとは大分距離が離れた、ヒビが入った不安定な石の上に立っている神官が叫んだ。彼も剣を持っている。
『タピオン!ミノシア!早く笛を吹くんだ!やつの動きを止めろ!』
しかしその叫びは聞こえない。
タピオンは名無しの肩を揺さぶる。
『僕は貴方達を心配しているだけです!』
『いい加減にしろ!』
『!お兄ちゃん!』
ズン、とまた地が激しく揺れた。その巨大な足は動きを止める。
ヒルデガーンがタピオンと名無しの目の前で止まり、彼らを見下ろす。
そしてヒルデガーンの足が浮き、二人を潰そうと再び足が下へ――――
『っく!』
タピオンは名無しを抱きかかえると危うく攻撃を避けて、
既にヒルデガーンの攻撃の所為でばらばらになった、元は神殿だった瓦礫の上に立つ。
ミノシアはさっと笛を口の前まで持ってくると素早く吹き始めた。
『僕が、ヒルデガーンを、倒して、みせます。そうすれば、笛を吹いて封印する必要もなくなります』
『お前は……死にたいのか!?』
『死ぬ覚悟は出来てます!だから戦うって言ったんです!』
名無しはタピオンが背中に背負っている剣をさっと抜くと、両手で強く剣の柄を握った。
そしてタピオンを庇うように彼の目の前に立つ。
『絶対、絶対倒してやる――――!!』
耳を劈くほど大きな叫び声を上げて、
タピオンとミノシアの制止も聞かずに名無しは重い剣を持ちながら突進した。
そして、
潰された。
『あ……』
ミノシアが笛を落とす。
タピオンが絶句する。
剣が回転しながら落下し、タピオンの前に、地面に突き刺さる。
ヒルデガーンの足が浮いた。其処に残ったのは、踏み潰された名無しの死体ではなかった。血だけだった。
『名無し―――――――――ッ!!』
「……ちゃん、タピオンお兄ちゃん?」
「はっ……」
やっとそこで我に返ったタピオンは、顔が汗だらけになっているのに気がついた。
まるで悪夢から目が覚めたときのように。
「ずっとぼーっとしてたよ、大丈夫?」
トランクスは心配そうにタピオンの肩を叩いた。
「だ、大丈夫だ、悪い」
「汗だらけだし、風呂でも入ったら?」
「……そう、だな」
すっくと立ち上がると、タピオンはトランクスを置いてカプセルコーポレーションの中に入っていく。
そして数歩歩いて、立ち止まった。
『タピオンさん、大好きですよ!』
微笑む名無しの顔が浮かんだ。
しかし次の瞬間、踏み潰された瞬間の光景が脳裏に浮かび上がる。
「!!」
ぷっつりと彼のあげた叫び声が消えた。
彼は跡形もなく死んでしまった。彼の流した血だけが残った。
タピオンは吐き気を覚えた。うっとうめき声を上げると地面に両手をついた。
「……名無し……!」
1000年前。
大事な人を目の前で失ってしまった。どうしてしがみついてでも止められなかったのだろう。
次に脳裏に浮かんだのは、泣いている名無しの姿であった。