SHORT

□催涙雨
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七夕。本来の読みは「しちせき」。日本では、機織り姫の伝説とあいまって、「たなばた」と読む。

短冊に願いを書いて、行事の食事をして。夜になれば空を見上げて、ああ彦星様と織姫様は出会えたかな、なんて。
特に数字が赤い日でもなく、毎年ほぼほぼ平日に迎える逢瀬を、一体天空の二人はどんな思いで迎えるのだろうか。
私といえば、もちろん今日も朝から仕事で、家を出る前にテレビの中の気象予報士の美人のお姉さんが
「今年は二人は会えそうにないかもしれません…。お出かけの皆さん、傘のご用意を!」
なんて言っていた。
家を出たときはすでに灰色の分厚い雲が空にかかっていた。


職場のお昼休み。なかなか資料作成が終わらずに、いつもより一時間遅くなってしまった。社食の人はまばらで、さみしく活気もなかった。壁に掛けられたテレビは、お昼の天気予報を垂れ流していた。
夜も晴れそうにない、と。今年の逢瀬は、また、かなわなそうだ。


どうにかこうにか仕事を終えてビルから抜ければ、ぽつりぽつり、と雨が降っていた。
「催涙雨」
織姫と彦星が、会えなかったことに悲しみ流す涙であると。
私だったらきっと、泣いてる暇があったら泳いででも増水した川を渡って会いに行くだろう。

…嘘だ。
本当に自分の身に降りかかったら、きっと何もできないだろう。現に、今も何もできず、ぼんやりと涙を流して待っているだけなのだから。
自分の想像の中の自分は、現実の自分とは違って、どこまでも自信とやる気と行動力に満ち溢れていて、本当に今の自分とは正反対だ。なりたかった私の姿だ。

いい気分がしないままぼうっと歩き、電車に乗り、降りてまた歩き、帰宅を果たした。
今日も精市は家にいなかった。

精市は遠くにいるのだ。仕事の都合だ。かれこれもう会わずに半年になるのではないか。
永遠の愛を誓い合った仲なのに。
「会いたい」の一言が彼の夢を追う道にとって障害になることぐらいわかる。精市と出会った頃のような、子供では、もうないのだ。



私と精市は、七夕伝説のようなカップルではない。精市は彦星のように、好きな女にうつつを抜かして仕事がおろそかになるような人間でもないし、私だって織姫とは違うのだ。

会えなかった日々、寂しさを仕事の動力源に変えてきたが、さすがに今日だけは、同情してしまいそうだ。
あ、涙出てきた。





いつからだろう、ソファに埋もれて寝てしまったのは。雨に濡れた髪がクーラーの風に当たって寒く、あまりよくない気分の中目を覚ました。

途端、ガチャガチャと煩くドアノブが回る音がした。怖い、なんだ。新手のストーカー被害なのか。いろいろなことが頭をよぎった。ああこんな時、精市がいたらなあ…。

ドアが開いた。え。なに。



「はあ、ただいまなつめ。」
『え、え、』
「え、じゃないでしょほら。言うことは?」
『お、おかえり…?』
「うん、ただいま。」
『え、なんで精市いるの』
「帰ってきたんだよ、いいだろ我が家なんだから。」
『ええ〜』
「はいはい、泣くなら俺の膝の上ね」


無理やり腕を引っ張られ、ソファに座った精市の膝の上に向かい合って座らされる。
久しぶりに見た顔は、疲れからか少しやつれて見えた。
ちゃんと食事とってたかな、睡眠は?…寂しくなかったかな…
いろんな感情がわぁっと溢れてきては、涙として零れ落ちた。

精市の肩口に顔を寄せて泣いた。精市のスーツは外の湿気を吸っていて、まだ雨が降っていたんだなぁ、なんて至極どうでもいいことを考えていた。



「催涙雨」
海の向こうの国では、二人が会えたことに喜び涙した雨らしい。

こっちのほうが幾分も幸せじゃないか。

私の「仕事のできる」彦星は、こんな悪天候の中でも帰ってきてくれた。
織姫、きっとまだ待ってれば、彦星は川を泳いででも会いに来てくれると思うんだ。

次は、あなたたちだね。

誰あてでもなく、ただ天空の二人だけに向けて、そっとつぶやいた。

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