TOA 1

□10
1ページ/8ページ

宮殿を後にしたマグカヴァンの乗る馬車は今夜泊まる息子の街屋敷ではなく、グランコクマの端にある孤児院へ向かっていた。

宮殿からのこの道は昔何度も通ってきた、懐かしい景色を確かめながら車窓を見つめた。

目をつむって思い出す姿は若き夫人の、目映い花嫁姿。当時まだ独身であった自身はウィルハイムに内緒で夫人の美しい姿に胸をときめかせていた事まで思い出した。

(目元はウィルハイム元帥にそっくりじゃったが、やはりリタ夫人の雰囲気を残していたのう)
続いて、昼間に会った少女、ユナの顔立ちが頭に浮かんだ。

ウィルハイム、娘のシンシア、孫のユナ。三世代続いて漆黒の髪に同じ色の瞳を持つことは普通なら称賛してもいい美しい遺伝だ。
しかし、ルボルト・メイジャーのせいで悔やまれる、残したくなかった遺伝になってしまった。





子供達のいない孤児院の中庭に、車椅子に座って静かに佇むリタ。
遠い昔の友人の気配を察し、重い腰を持ち上げた。

「リタ様はこちらにおられますよ」
パタパタと来客を誘導するスザンヌが近付く音が聞こえてきた。

「リタ様、お客様ですよー。……って、一人でお立ちになられたの!?
大丈夫ですか?」

最近は車椅子から立ち上がるのも苦労していた老婦が杖で支えてはいるが凛と立っていた。


マグカヴァンは深々とお辞儀をした。

「リタ夫人お元気で何より…。お懐かしゅうございます」


「マグカヴァン。
ウィルの葬儀以来になるな…あのときは世話になったな」


いつもより背筋を伸ばして立ち、会話も難なくこなすリタを久しぶりに見たスザンヌは驚いた。
「さ、さぁ、屋敷へどうぞ。お茶をご用意しますね」



二人を客間に案内し、お茶を準備し終えるとスザンヌは席を外した。
今のリタなら自分がついてなくとも、客を困らせる事なく会話できると判断したからだった。


「シンシアは元気にしていますか?同じく葬儀以来会っておりませんなぁ」

「残念ながら行方は私もわからない。奴から逃れる為にケセドニアに行かせたきりじゃ…」

「おや?お孫さんと一緒に暮らしているのにシンシアは別でしたか!」

「……マグカヴァン、何が聞きたい。私が隠し事を嫌いなのを忘れたか?」

マグカヴァンはニコリと笑んだ。迫力のある美人であった夫人に睨みを入れられるのも久しぶりで、懐かしく嬉しくもあった。
「失敬。宮殿でちょうどユナに会ったんです。
しかし、夫人に拾われたと言うておりましたが、何故に血縁を隠されるのです?」


「……メイジャーに利用されるのは私やウィルの代で十分。もうすぐ奴も私も死を迎えるだけじゃ。
……私が気付くのが早ければシンシアに苦労をかけなかったかもしれんが。
どうか、ユナはシンシアのように隠れながら生きる事なく自由に生きてほしい」

リタは初めてこの事を話した。夫であるウィルがいない今一番に信用できるかつての弟分に。


「その気持ちはお察ししますが……ユナをここで育てると些か危険ではありませんか?」

(鼻がよく利く三男のエドガーが狙ってると言うじゃないか。)
マグカヴァンはジェイドに聞いた事情を思い出した。



「……そうだな。私の失態だ。
何度も手放そうとしたあの赤子。
……やはり、放すことができなかったんだ。
偽ってでも側におきたかった、私の我が儘じゃ。

もう、何歳になるかな。そろそろ巣立つ時が来たのぅ」


そこまで言い終えるとリタの目尻から一筋だけ涙が頬を伝った。

彼女の泣く姿を見るのはこの歳になって初めてだった。夫の葬儀ですら気丈に
振る舞っていたのだから。

「いや、失礼な事をお聞きした。むざむざ娘を手放した貴女に、孫だけでも側におきたい気持ちがわからずとは……お許しください」


「そんなの言い訳にもならん。……全て私が悪い。
なぁ、ユナは幸せか?
いつもいつも聞きたいが、歳のせいで思うように脳が働かん」


リタは額に手をあて苦しそうに顔を歪ませた。

マグカヴァンも込み上げる思いに言葉を詰まらせ、やっと出せた言葉は苦しそうだった。


「何故に……何故に私を頼っては下さらんかったのか」

(一人で抱えて強くあろうとされる。貴女の長所でもあり、短所でもありますよ)
次へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ