TOA 3

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グランコクマ宮殿。絢爛豪華なその建物は国の栄華を誇示するために造られマルクト帝国の中で一番巨大な建築物でもある。しかしその中で長く過ごす者にとっては広さなど麻痺してしまうのだろう。


「カーティス大佐が帰還されたようだな」
「やけに遅かったな。まさかまた負傷したのか?」

兵士らの噂話が自然に耳に入るたびにユナの身体は強張った。特に「負傷」など不穏なワードがあればつい全神経がそちらへ向かう。持っていた箒の柄をギリリと握り締めると兵士らの噂に耳をそばだてた。

「違う、ダアトヘ抗議に行っていたらしい」
「そうか。それは苦労だったろう」



「……っ、はぁ」

負傷ではないと聞こえれば我慢していた吐息が漏れた。ユナの心臓が酸素を送り出そうと脈を打つ。この時やっと気付くのだ、自分は『答え』を聞くまで息をついつい止めてしまっていたことを。

(……こんなままじゃあ身が持たない)

頭を小さくふって雑念を追払い、再び箒を動かす。
そうやって集中力を失うならば耳に入れなきゃいいのに。そんなことは自分でも承知だ。

長い長い宮殿の廊下。視界に入る兵士ら。
その後ろには貴族の集団、働く者達。皆歩きながら何かを喋り、噂する。その何かとはジェイドの悪い噂ではないかと意思とは逆に耳がアンテナのように働くのだ。

あぁ、ここがもっと広くてもっと人がいない寂しい宮殿だったらと嘆いても仕方ない事を心の中で呟いた。


「ユナ?そこの掃除が終わったら、増員したメイド達に今日のスケジュールを教えてあげて……って、大丈夫?熱?」

仲良くしてくれる先輩メイドのアンネが声をかける。虚ろな顔をしていたユナを案じて怪訝な表情だ。

「あ、はい!わかりました。大丈夫です、ぼーっとしちゃってすみません」

「そ?なら良かった。……掃除代わろうか?スケジュール確認してくる?」

アンネは箒を受け取ろうと空いた右手をユナに向かって差し出した。

「ありがとうございます」

「ん。なんか知んないけど元気出して!」

箒を渡すその一瞬にアンネは隠し持っていた飴玉をユナのポケットに入れた。
アンネはこんな時、必要以上に探らない。それが最善だと年の功で理解していた。ユナにとって理想の上司だ。

色々あってアンネの元から離れ、皇帝の側で働いていたユナが一部の貴族らに嫉妬され苛めを受けていた事から、再び目立たない仕事場に配属されたことはアンネも知っているだろう。

「気楽にやろう、気楽に!」

アンネは呑気に箒を振りながら悪戯顔で舌を出す。その舌先には小さくなった飴玉。いつから舐めていたのだろうか、真面目すぎるのも良くないとアンネらしい励ましにユナは笑みがこぼれた。

「ふふ、ありがとうございます」


小さく礼をして目的地へと向かうユナ。飴玉を舐めながら勤務するなんて度胸は自分に持ち合わせてはいないが、ポケットの中の飴玉から感じるエールで心は前向きになれた。途中誰かと何度かすれ違ったが、耳を傾けることはなかった。




──「で、この時間までには全ての作業を終えるつもりです。
何か質問がございましたらいつでも聞いて下さい」

宮殿内で働く者達だけでは仕事が回りきらないそんな行事には日雇いでメイドを募集することもある。
日雇いで来た者達は年齢や身分など様々で、厳しい審査もない。ユナは説明をしながら
申込んで来た者達を見回した。

「私らは大広間には出入りできるのかい?」

一人中年の女性が質問をした。おそらく華やかな式典を覗き見たくて申込んだのだろう。中に入れるのは貴族や軍人など限られた人間だ。

「あ、…残念ながら私達は食器の片付けや洗浄が仕事なので」

自分も宮殿とは遠い立場にいたから理解できる。肩を落とす女性に同情の気持ちを持たずにはいられなかった。

「残念ねぇ一度で良いから中の華やかな様子を見てみたかったねぇ」
「馬鹿、あたしらの格好を見なよ。
仮に入れたとしても恥ずかしいだけだよ」
「あたしゃ笑われても良いから一度は入ってみたいよ」


愉快に話すその会話がユナの胸にチクりと刺さる。

目を背けていたが、やはり内心は自分も表舞台である大広間で立派にメイドとして役に立ちたかった。
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