オリジナル

□卒業します1
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「この子に触れるのは止めてください」

人前で声を発するのには慣れている。わざと、授業をしている時のように通る声で痴漢に注意した。

「は、……え?な、何かの間違いだ!」

お決まりのように狼狽える痴漢に、車内は既に大注目で視線の全てがここに集まる。
しかしただ一人、彼女は恥ずかしいのか俯いたままだった。

「君、どうする?警察につきだすなら目撃者として強力するけど……」

紳士な俺は一応彼女に聞いてみた。
心の中では遅刻しかねないから断ってくれ!と叫びながら。

「……」

黙ったままフルフルと頭を横にふり否定した彼女に感謝したい。そして自分に惚れろと念を送る。いや、彼女がダメならそこのOLさんでもいいのだ。俺の勇姿見ていただろ?だったら惚れて下さい。

最後まで俯き加減だった彼女は注目を浴びながら自分が降りる一本手前の駅で恥ずかしそうに降りて行く。
痴漢も慌てて降り、すぐに姿を消したようだ。


せめて安心した彼女の顔が見れたら良かったのに。と残念そうに車窓から駅のホームにいる彼女を見つめた。



駅員が笛を鳴らし乗車口のドアが閉まると、
長い髪を掻き上げながら彼女がこちらに顔を向けた。



『せんせい……』


彼女の口許は確かにそう言っていた。


「東雲……彩世」


教師生活も7年目だ。膨大な量の顔と名前は、新たなものを優先として、用要らずになったものは記憶から消し去っていたが。
しかし彼女の名前と顔は鮮明に記憶していた。




何故なら今朝見たばかりの夢の中の生徒だからだ。








県単位で採用してもらった俺のような公務員教諭は、赴任先の学校が変わることが多い。一応断ったり、希望も出せるみたいだがサラリーマン教師なもので上からの要望には従う他ない。

前年度までいたところではたった二年の任期だった。
評価は移動と関係ないよと先輩から慰められたが、どうも腑に落ちない。

腑に落ちないが、それがやる気の原動力になることはない。


「せんせーおはようございます」

「おはよー」

昨夜学校に停めたままにしていた愛車を確認していると、朝練中の生徒が名前も知らないであろう俺に向かって挨拶をする。
学校内にいる大人は皆先生だと思っているのだろう。


この中学校は生徒数も教員数も前校より倍以上の、所謂マンモス校。
生徒全員の名前を覚える気は端から無い。
しかし、自分が担任するクラスと授業を受け持つ生徒くらいは最低限として覚えなければならない。
面倒なクラスはごめんだと、朝からの会議が始まる前に祈った。




「───、その副担として海潮司先生。よろしくお願いします」

教頭から新年度のクラス担任や役割分担等を聞いた。
希望通り、俺は2学年のAクラス副担。新入生でも受験生でもない2学年という位置にもほっとした。

「よろしくお願いします」
「はぁ、こちらこそ」

担任は俺よりずっと若い25歳の木田玻瑠先生。名前からしてジェネレーションギャップを感じてしまう。俺らの頃はまだ『〜子』という名前が多かった。

「初めて担任を受け持ちますので、海潮先生どうかご指導のほどよろしくお願いします!」

おー、意気込んじゃって初々しいねぇ。俺も25歳の時に初めて担任を持ったな、と懐かしく思い出した。

「プライベートでは司でいいっすよ」
しかし指導する気は更々ないので肯定も否定もせずハルちゃんに愛想笑いを作った。

「……あの、でも職員室はプライベートじゃないですから……」


ハルちゃんは真面目ちゃんのようだ。

「いや、自分も赴任して早々ですんで教えて欲しいことたくさんあるんすよ?」

「あ、そうでしたね。何でも聞いて下さい!」


見た目は可もなく不可もなく。
しかしあの日の自分を見ているようで、この空回り熱血教師と組む事は嬉しくもなんともなかった。

今日から新学期が始まるまで怒涛の準備期間がスタートなのだが、俺は定時には上がった。


「お先に失礼しまーす」

勿論学年主任と教頭がいない間を見計らってだ。
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