ものがたり
□しのぶれど
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――“カルマ”、という男の人が居た。
楽士様だそうな。
この楽士様、時折主様のお屋敷を訪ねる方々のうち一人。
真面目で実直そうでありながら、それでいて洒落のわかる堅いばかりではないお方だなぁ、というのが私の見解だ。
フィーネ君もよく懐いている。
今宵も主様の元に押し掛け…自覚はあるのですよ。
でもちらりと覗くのはなんだか…
それで、でもそれならとこうしてどろりんぱするわけですけれどもね、えぇ。
「…?」
今宵も、そのお方は徒歩にて酒を携え主様を訪ね、只今濡れ縁にて主様と杯を酌み交わしておられました。
「どうした、お狐殿。」
「…“うす様”、ですか?」
お二人の会話の中、聞こえたお名前になんとなく聞き覚えはありました。
聞き覚えがあっただけで一体何のお話かはわかりませぬが。
「“烏枢沙摩明王-ウスサマミョウオウ-”だ。知らぬか?」
「お恥ずかしながら、存じませぬ。」
ちょっと恥ずかしい。
長く生きているのになんて思いつつ、主様を窺えば、しかし莫迦にする様子もなく。
今宵はご機嫌麗しいようで何よりで御座いまする。
「烏枢沙摩明王というのはな、炎にて不浄を焼き払う明王のことだ。」
「厠の神でもあるそうだ。あぁ、陰陽師殿の前で下手なことは申しますまい。ささ、どうぞ。」
くすりと笑うカルマ殿は、瓶子片手に主様に酒を勧める。
「何を申される。俺などそんな大層なものではない。何分世間は広い故、俺などより知っておる者など山ほど居よう。」
「あぁ、そういうこともありましょう。俺より優れた楽士が居ることと同じように。」
「はは、世の中そういうものでしょうな。されど貴殿よりも、となると数は限られましょう。」
「だと良いのですが…、して、烏枢沙摩明王の話でしたな。お狐殿、リゾルート殿の話は為になることばかり故、その大きな耳でよくお聴きになると良い。俺も、話の続きが聴きとう御座います。」
姿勢を正し、親しみやすい笑みを浮かべたカルマ殿。
主様はふっと笑って、では…と続きを話し始めました。
のだ、けれど。
何だろう…こう、不思議と今“何か”あった気がしたの。
それが何なのか、どこなのか、細かいことはわからないのだけど…
今のは一体、何だったのだろう…?
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