うたわれるもの
□タイトル未定
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◆其の壱・白い始まり◆
いつから其処に居たのか。
何のために居たのか。
本当に何も分からず、『自分』はただ、其処に居た。
ボンヤリとした意識は外的刺激によって覚醒させられ、夢と現の境界線が消えた時、目の前に広がっていたのは――……一面の『白』だった。
「――……何だ!?『これ』は!?」
肌を突き刺すような寒さ。
髪を乱す、強い『空気の流れ』。
嗅いだことのない匂い。
それなのに――……感じる懐かしさ。身体の奥から湧き上がる喜びは何なのか?
わけも分からず、その場に膝を着けば、サクッという感触とともに目の前の『白』に沈み込む身体。
「――……冷、たい?」
触れた箇所から体温を奪い、僅かに形を崩し、透明な液状になって行く『白』。
自分は『これ』を知っている。
直接触れたことはなかったけれど……。
「――……これは、『雪』?」
ずっと、触れてみたかった。
作り物じゃない、本物の『雪』に。
「本当に冷たいんだな」
よく見れば、雪は頭上高くから、舞い散るように振り続けていた。
「……綺麗だな」
吐き出す息が『白』い。
見上げた『空』が『白』い。
足元も、周囲の景色も、見渡す限りどこもかしこも真っ白だった。
どのくらいそうしていたのか。
自分はただ一心に、『それ』らを見つめていた。
ほんの数分だったのか、数十分――はたまた数時間だったのかは分からないが、ただ見つめていた。
すると不意に、背後から影が掛かり、視界に白以外の色が写り込んだ。
「今度は何だ?」
反射的に振り返ると、見たこともない大きな蟲のような生き物に見下されていた。
怖いと感じたのに、直ぐには動けなかった。
まだ何も分からないままだったが、いまはとにかくこの場から離れなければと思った。
右も左も、どこへ行けば良いのか分からぬまま、ただ闇雲に自分は走り回った。足元に広がる『雪』を蹴散らせながら。
呆けている間に低下した体温のせいなのか、思うように動かぬ身体を動かして、とにかく逃げた。
けれど狙いを自分へと定めたその巨大な蟲らしき生き物は、逃げても逃げても自分を追いかけてきて、諦めてはくれなかった。
『もう駄目だ!!』
そう思った瞬間。急に足元が崩れ、強い浮遊感に襲われた自分は、そのまま白い世界から暗い所へと突き落とされるように落下した。
「うわぁあぁぁー……!?」
痛みに呻き、急に暗くなった視界に目を細めると、今度は真っ赤なスライム状の半透明な生物らしき物が目の前に居た。
不気味なことに、その生物らしきものの表面には、『人の顔』らしきものが浮かび上がっていて、言葉にならない『声』を発していた。
何を言っているのかは分からないのに、心に感じるものがあった。
自分に対して何かを訴えるように、縋るように語りかけてくるその『声』に、引き止められるように意識は奪われ、ただ聞き入っていた。
その後数分遅れで落ちてきた、巨大な蟲らしき生き物を、そのスライム状の生き物は受け止め、包み込むように溶かし吸収してしまった。
まるで自分を、『守る』ように。
不思議な光景を前に感じる切なさと悲しみと、ほんの少しの懐かしさは、なぜなのか?鳴き止まないその『声』に、泣きたいほど胸が苦しくなった。
感情のままに手を伸ばし、指先が触れかけた時。目の前のその生物は、強い光に呑まれて遠ざかってしまった。否、自分がその生物から引き離された。首元を強い力で引っ張られ、手首を捕まれ、強制的に走らされた。
殆ど引きずられるようにして再び白い場所に連れ戻された自分は、雪の上に寝転びながら、悲鳴を上げる心臓を押さえ付けながら、何やら怒っているらしい目の前の人物を見上げた。
「全く危なかったかな!ちょっと目を離したら居なくなってる上に『タタリ』に襲われてるとか、ビックリしたかな」
「……『タタリ』?」
「そうタタリ!タタリは日光が届かない洞窟や地下などに生息していて大きな音と光が苦手なんだけど、生き物はなんでも捕食しちゃうからとっても危険かな。しかも殺す手段がないから凄く厄介かな」
「そ、そうなのか(それはつまり、『死なない』という事か?)」
豊かで艶やかな黒髪と琥珀色の大きな目が綺麗な、少々(?)気の強そうな少女は、少し偉そうに腰に手をおきながら、そう説明してくれた。
少女の名は『クオン』。
トゥスクルという名の小國の者らしく、物見遊山の旅をしている途中で、たまたま通りかかった『ここ』クジュウリ國の山中で倒れている自分を発見し、保護し介抱してくれていたらしい。
「それは迷惑掛けたな。すまん」
「それは別に良いかな。わたくしが拾いたくて拾ったのだから」
「……」
「それよりも気がついたのなら、貴方のことを色々と聞かせて欲しいかな。どこの誰で、何という名前なのかとか……」
クオンは微かに警戒心を見せながら、それでいて興味津々といった感じでそう尋ねてきた。
しかし自分の姿を上から下まで視線を一巡させると、何かを誤魔化すように話題を変えた。
「でもその前に、天幕に戻って着替えが先かな」
「天幕?」
「そう。わたくしが貴方を寝かせて置いた天幕。そのままのカッコだと、貴方直ぐにでも凍死しちゃいそうだから」
言われてみれば、自分は検査着のような薄布一枚しか身に纏っておらず、ほぼ裸のような状態だった。しかも裸足。
確かにこれでは寒いわけだ。
自覚した途端ガクガクと震えだした身体を擦りながら、クオンの道案内で元居たという天幕に戻ると、間に合わせの服を手渡された。が、なぜだか自分には着方がサッパリ分からなかった。
仕方がないのでクオンが着つけてくれたその服は、クオンの故郷の民族衣装のようなもので、クオンが着ている服と同じような模様が描かれていた。
「お!暖かい。それに動きやすそうだな、これ」
「なら良かったかな。あー、髪も結った方がいいかな?中途半端な長さでボサボサになりやすいから」
「あー……そうだな」
流石に髪は自分で結えたが、なぜだかクオンに駄目出しをされてしまった。
「何でこれじゃ駄目なんだ?」
「んー……それだと耳が見えちゃうから」
「耳?」
「貴方の耳は少し変わっているから、隠しておいた方が良いかな」
耳が変わっていると言われ、クオンの耳と自分の耳を見比べてみると、クオン耳元には人間の耳とは違い、犬猫のような獣の耳らしきものがあった。
「もしかして、耳当てじゃなくて、これがクオンの『耳』なのか?」
好奇心のままに手を伸ばし、クオンの耳らしきものを掴むと、クオンが奇声を上げて飛び退いた。顔が真っ赤だった。
「ななななな何するのかなぁ!?」
「何って、気になったから触ってみただけなのだが、駄目だったか?」
「普通は他人の耳は触らないかなぁあ!!」
「そうなのか。それはすまなかった…………なぁ、クオン」
「な、何かなぁ!?」
「もしかして、その尻尾みたいな奴も触っちゃ駄目なのか?凄く気になっているのだが……」
「尻尾はもぉっと駄目かなぁあ!!」
どうやらクオンの耳と尻尾は弱点のようなものらしく、無闇矢鱈に他人が触ってはいけないものらしい。だったら見えないようにしまっておいて欲しい。視界に入るとどうしても触りたくなってしまうので。
というか、そもそもどうしてそんなフサフサした獣みたいな耳と尻尾があるのだろうか?『人間』に。
だがクオンが言うには、獣のような耳と尻尾があるのが普通で、そうじゃない自分が普通じゃないらしい。
「自分は逆だと思うんだがなぁ……良く分からん」
その後、名前が無いのは不便だからと、クオンが仮の名を付けてくれた。
――『ハク』。
短く覚えやすいその名は、クオンの故郷では特別な意味を持っていて、由緒正しい名前らしい。詳しくは教えて貰えなかったが。
「とりあえず麓の村で誰かハクの事を知らないか聞いて回って、その後の事はそれから考えようと思うのだけど……」
「あぁ」
「あのね、ハク。気分を害さないで聞いてほしいのだけれども……」
「何だ?クオン」
「ハクの事を知っている人が見つかるまで、ハクは男性のフリをしてもらいたいかな」
「男性のフリ?何でまた……理由を聞いても?」
「えっとね、普通のヒトにはわたくしのような耳や尻尾が在るのはさっき話したと思うけど、その耳は女性の方が大きくて男性の方が小さいの。だから、ヒトによっては髪で隠れていて見えないこともあるかな」
「なるほど」
「で、尻尾も感情が出やすいから、男性は服の中に隠しているヒトが殆どかな。中には切り落としてしまうヒトもいるらしいけれどそんなヒトは稀かな」
「つまり、自分の身体的特徴は女よりも男に近いということか?」
「うんそうなの。でも、ハクはちゃんと女性でしょう?」
「あぁ」
「だからね、物珍しさからそのぉ……最悪人攫いにあう可能性があるから、用心した方が良いと思うかな。ほら、ハクは体力も無くて力もないみたいだから、何か合っても抵抗できないでしょう?」
「それは……クオンが人並み以上に体力があって力持ちなだけじゃないのか?」
「いいえ、そんな事は無いかな。わたくしの見立てだと、ハクの体力と力は子供以下かな」
「まさか!?流石にそれはないだろう?」
「でも現に、普通なら遅くとも麓まで一日で辿り着ける距離なのに、それができてないでしょう?」
クオンの説明に、自分は反論できなかった。
「ハクの声は特別高くもないし女性としては背が高い方だから、サラシで胸を潰してしまえば多分、無理なく誤魔化せるかな」
着替えの際、やたらとサラシをキツく巻かれたり、腰回りに布を巻き付けられたのはそういう理由だったのか。ただたんに防寒と動きやすさの為かと思っていたが、クオンにはちゃんとした理由があったらしい。
「まぁ、それで面倒事に巻き込まれないのなら、別に構わんが、そうだな。うん。その方がクオンも安全だろうな」
「わたくしが?」
「あぁ。女の一人旅はそれだけで危険だろう?だが、見てくれだけでも男の連れが居ると分かれば、大抵の奴は手を出す前に踏み留まる」
「!」
「まぁ、見てくれだけなんで、実際に事が起きてしまったら意味は無いだろうが、少しでもクオンの安全が保てるのなら、それにこしたことはない。なんせクオンは自分の『恩人』なのだからな」
男装の件を了承すると、クオンは不安げに下げていた耳を上向かせ、ホッとしたようにパタパタとさせた。
(可愛いなぁ)
結局自分達は、普通なら一日で辿り着ける距離を二日かけ、麓の村に辿り着いた。クオンが自分のペースに合わせて休み休み歩いてくれたからなのだが、途中から自分の足は感覚を失い棒のようだった。
夜、旅籠屋でクオンに診てもらったら、見事に足裏の皮がずる剥けていた。
塗り薬が滲みたり汗が気持ち悪かったが、もう一歩も動けなかった自分は、そのまま朝まで死んだように意識を失っていた。
翌朝、宿泊客の目を盗んで風呂に入ろうとしたら、自分が知っている風呂とは違い蒸すタイプだったので、入り方が分からなくて断念した。
どうやら自分は、自分に関する記憶だけで、それ以外の事は覚えているらしい。ただし、クオンに言わせるとそれもどこか自分達の認識や常識とは違うらしく、細かいところでズレや食い違いがあるらしい。
ので、都度クオンに指摘され、教えてもらう事になった。