うたわれるもの
□タイトル未定
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◆其の肆・帝都◆
帝都はとにかく大きくて栄えていて、途中立ち寄ったどの街や村よりも綺羅びやかで物とヒトで賑わっていた。
「これはまた……凄いなぁ」
「だろう?これもみんな帝のおかげなんだぜ?」
まるで自分のことのように胸を張り、帝都と帝の素晴らしさを語るウコンは、実に誇らしげだった。
その様子から、いかにウコンが帝を慕い敬っているのかが伺えて、一体帝とはどんな人物なのだろうかと思った。
ココポの背を降り、自分の横に立っていたクオンは、帝都と自國の違いに悔しさを滲ませながらも、物珍しさから興奮を抑えきれず、終始機嫌良さ気に尻尾をブンブンと振り回していた。
そのまま一行はウコンの先導で、一軒の豪華な旅籠屋――『白楼閣』へとやって来た。
「とりあえず今夜は無事帝都に帰還した事を祝って宴会だ!ルルティエ様だけじゃなくて、アンちゃん達の部屋もちゃんと取ってあるから、遠慮せずやってくんねぇ」
「え!?自分とクオンもか!?こんな高そうなところ、一体一泊幾らするんだよ!?」
「まぁまぁ、ハク。きっとウコンの奢りなんだから気にすることないかな」
自分の保護者で諸々の費用も負担しているクオンがそれで良いのならと、若干嫌な予感を感じつつ、諦めたように用意されていた宴会の会場へと足を運んだ。
短くない道中寝食を共にしていただけあって、宴会は開始早々飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎだった。
自分の左側にクオンが座っているのは、まぁ良いだろう。何せ自称保護者様なのだから。
だが、自分の右側にウコンが座っているのは、いまだ消えぬ不信感という名の警戒心の現れだろう。
いま口にしている膳が最後の晩餐で、寝て起きたら監禁生活――……には流石にならないだろうとは思うが、明日からの自分はどうなるのだろうかと、軽く首を捻ったりもしたが、明日のことは明日考えよう。いまはとりあえず、この美味しい酒と料理に舌鼓を打って、一時の幸せを堪能しよう。そうしようと、ニコニコとしながら注がれる杯を口に運んでいると、突然部屋の襖を開け放つ小さな人影。
「兄様何をやっているです!?」
動きに合わせてサラリと緩れる、柔らかな岩井茶色の髪。
鮮やかな茜色の目に右目の下の泣き黒子。
そして何より、特徴的な二股の眉。
『あぁ、この子はウコンの身内なのか』と、一目で分かった。
開口一番兄を詰り、兄の隣に座っていた自分と、更にその隣と隣に並んで座っていたクオンとルルティエを嫉妬の篭った赤い目で睨み付けた少女の名は『ネコネ』。
それはそれは優秀な頭を持った、ウコンの自慢の実妹なのだそうだ。
「あー、なんだ?幾ら仕事とはいえ、長いこと放っとかれてやっと帰ってきたと思ったら自分そっちのけでどんちゃん騒ぎしてりゃー、普通怒るよな?うん。だから多分、ウコンが悪い」
「ひでぇなアンちゃん!」
「兄様は悪くないのです!貴方こそ誰なのですかぁ!?わたしの兄様の隣に当たり前のように腰を下ろしていて、そこは貴方なんかが腰を下ろして良い場所じゃないのですよ!!」
「すまんすまん。いまどくからちょっと待っててくれ。クオン、ルルティエ、ちょっと詰めてもらって良いか?」
「いやいやいやいやいや、アンちゃんはそのままここに座っててくれ。せっかく一緒に飲んでるんだからよぉ〜!ほらネコネも膨れてねぇーで機嫌直せって!なっ?」
「わたしは誤魔化されないのですよ!!兄様」
ネコネを理由にウコンの隣から移動しようとしたら、肩を捕まれウコン本人にそれを阻止されてしまった。
右手にネコネ。左手に自分。
どちらも離す気のないウコンは、その両方を抱え込んでガハハハと笑い出した。
(あ、コイツ笑って誤魔化す気だな。質悪ぃー……)
どうやらウコンとネコネの言い争いは、ウコンが仕事で帝都を留守にした時の恒例行事のようなもので、以前からウコンと仕事を共にしている男衆の間では有名なやり取りらしい。
その後ネコネが満足するまでウコンが膝の上でネコネの事を撫でくり回してやると、ネコネはクオンとルルティエの元に移動し、大好きな兄様に近付く女性の品定めと称して、楽しげに話し込んでいた。
「お前にあんなに可愛い妹がいたとは、驚いたなぁ」
「少々潔癖のきらいがあるんだが、そこがまた可愛くてな」
「にしても歳が離れてるから、お前の子供でも通用するんじゃないのか?」
「えぇー俺ってばそんなに老けて見るのかよ、アンちゃん。ひでぇなぁ」
「だってお前髭面だし、ネコネは可愛いし、しょうがないだろう」
「髭面ねぇ……」
妹は可愛いが、子有りと思われるのは心外だったようで、ウコンは顎鬚に手をやり、眉を下げながら薄く笑った。
「そういやネェちゃん。ネェちゃんは確か風呂好きだったよな?」
「えぇ、それがどうかしたかな?ウコン」
「いやね。ここ白楼閣の風呂は、帝都でも珍しい源泉掛け流しの温泉で、浴槽も広くて立派なのが売りなんだよ。良かったらいまの内に入ってきたらどうだい?」
「それ本当かなぁあ!?ウコン」
「あぁ、いまの時間帯なら使ってる客も少ないだろうから、貸し切りにできるんじゃねーかな?(ニヤリ)」
思い掛けないウコンの提案に、風呂好きのクオンの眼の色が変わった。
が、はたと思い出したかのように自分に視線を向けてきた。
相変わらず、自分に気を使っているのだろう。
結局自分は、一度もまともに風呂に入っていなかったから。
正直いい加減、自分も風呂に入りたい。こそこそと人目を避けて身体を拭くのも疲れた。
道中気温は高くなかったが、それでも毎日それなりに汗をかいていた。身体はともかく、髪は一度も洗えなかったのでかなり気持ち悪い。
けれどここで、クオンと共に風呂に向かうわけにはいかない。が、それもあと少しの我慢だろう。
「自分も後で入るから、気にせずクオンは先に入って来いよ。風呂、好きだろう?」
だからそう、風呂を前にウズウズとしているクオンの背を押してやった。
するとクオンは自分の事を気にしつつも、ルルティエとネコネを引き連れて風呂に向かった。
「なぁ、ウコン」
「んー?どうしたアンちゃん」
「ここの風呂は大浴場だけなのか?」
「いんや。他にも小さいが家族風呂と露天風呂があったと思うが、それがどうかしたのかい?」
「いや、風呂が自慢だと言っていたからな、一種類だけなのかと思ってな。そうか、家族風呂があるのか……」
ウコン達がそれなりに酔い潰れたら、こっそりと抜け出し家族風呂を使わせて貰うかと算段を付け、自分は少しだけ杯を口に運ぶペースを落とした。
ところが、いつまで経ってもウコンが酔い潰れない。
他の男衆はそれなりに潰れてきているのに……。
「――……お前、酒強かったんだなぁ」
「あぁ。まあな。けど、そーゆーアンちゃんも強いだろう?天幕ではクオンのネェちゃんの言いつけもあったから控えてただけで」
「まぁ、極端に弱くはないが、自分はそれほど強くはないぞ。ただペース配分を調整しているだけで」
「ペース……???まぁ、いいや。さてと、周りも大分潰れてきたから、そろそろ俺達も風呂にでも行くかぁ」
「いや。自分はもう少し飲んでたいから遠慮する」
「つれねぇなぁ、アンちゃん。そんなに酒が飲みてぇなら風呂に入りながら飲むってのはどうでぇ?」
それは悪魔の囁きの如く甘い誘惑だった。
だが、いまの自分は頷くわけにはいかない。
が、相手は酔っぱらいである。無駄にしつこくて敵わない。
こうなったら風呂場まで案内させて、さっさとウコンを大浴場なり露天風呂にぶち込んで、自分は家族風呂に逃げるしかないだろう。
ある程度相手の要求を満たしてやれば、酔っぱらいはおとなしくなる。得てしてそういうものなのだから。
心の中で大きな溜息を吐いた自分は、ウコンに腕を引かれ、肩を抱くようにして、誘わるがままに板の間の廊下をペッタンペッタン引きずられるようにして風呂場へと向かった。
「ここが大浴場だ。隣が女湯でこっちが男湯な。アンちゃん」
「露天風呂と家族風呂はどこなんだ?」
「露天風呂は少し離れて、家族風呂はその途中だ」
「へぇー……(チラリ)」
「うんじゃあ俺は頼んでおいた酒を取ってくるから、先に入っててくれやぁ!」
「おう、分かった。うんじゃー先に行ってるな」
隙を窺うまでもなく、ウコンの方からその場を一時退場してくれたので凄くホッとした。
視界からウコンの薄浅葱色の羽織が消えたのを再度確認すると、自分は小走りで教えられた家族風呂へと向かった。動いたことで多少酔が強くなったが、それも風呂に入れば落ち着くだろう。
引き戸に手をかけ中を確認すると、幸いな事に家族風呂の使用者は居なかった。
(やっと風呂に入れるな)
逸る気持ちを押さえながら、内鍵を掛け、素早く衣類を脱いでいく。
脱衣所に常備されていた洗濯されたばかりの手拭いを手に湯殿に飛び込めば、クオンではないが歓喜に思わず奇声を上げそうになった。
先ずは頭から思いっきり湯を被り、これでもかと石鹸を泡立て頭から順に洗っていく。ただの石鹸で髪を洗えば軋むし毛先が絡んでしまうが、そんなことはいまはどうでも良かった。
とにかく汚れを落としてサッパリしたかった。
二度三度と泡立てた泡を洗い流し、ようやくひと心地ついたところで、並々と張られた湯の中に身体を沈めると、長旅の疲れが一瞬で吹き飛んだような気がした。
「っぷはぁ〜!生き返るぅ〜!!」
まったりと湯の感触を楽しんでいると、軽く酔がぶり返してきて、このまま寝てしまいたい衝動に駆られたが流石にそれは不味いだろう。
「名残惜しいが、騒ぎになる前に戻るか」
だが、せっかく風呂に入りサッパリしたのに、また男装のためにサラシを撒いて腰に上げ底をしなければならないのかと思うと、少し憂鬱だった。
「っま、仕方ないか。クオンが心配するし、自分としても人攫いはごめんだからな」
髪は半乾きだが、それ以外は入浴前と同じカッコになると、使用済みの手拭いを手に内鍵を開け家族風呂を後にした。
このまま寝るにしても、部屋に行く前に一度宴会場の方に顔を出した方が良いだろうと思い、歩き出すと、廊下の暗がりから、自分を射抜くように睨みつけている視線とかち合った。
「ウ、ウコン!?お前何やってるんだ?こんな所で……」
「……それはアンちゃんの方だろう?俺が酒を取りに行ってる間にどこ行ってたんだい?」
「どこって、自分は風呂に入ってただけだが……」
「でも大浴場にも露天風呂にも姿が無かったが、まさか一人で家族風呂に入ってたわけじゃねぇだろうな?」
「えっと、駄目だったのか?一応誰も居なかったから使わせて貰ったんだが……」
「なら何で鍵かけてたんだい?鍵がかかってちゃ俺が入れねぇじゃねぇかい」
「それは、鍵が付いてたから……」
「一緒に風呂に入りながら酒を飲もうって言ってあったのに?」
話しかけるとすぐにウコンは口元に笑みを浮かべてきたが、纏う空気は険しいままだった。いわゆる、目が笑ってないという奴だ。
(これは怒っているというよりは、不信感がぶり返した感じだな。まいったなぁ……)
あれよあれよという間に、自分は手首を捕まれ、肩を抱かれ、ウコンによって廊下の隅へ隅へと追いやられた。
「それに、風呂に入ったってのに、何で浴衣じゃなくてまたその服をきてるんだ。脱衣所に浴衣があっただろう?」
「着慣れてるし、この服は暖かいからな!」
「ここはクジュウリじゃねぇし、風呂に入ったならそこまで寒くないだろうに。アンちゃんどんだけ寒がりなんだい?」
「そう言われてもなぁ……」
無駄にしつこいウコンからの追求に、どうしたものかと思案していると、まだ乾ききっていない半乾きの髪にウコンの指が絡められ――そのまま髪紐を解かれてしまった。
「!!」
不味いと思った瞬間。バサリとバラけた濡れ髪が、背中から肩へと流れ力なく広がった。
「あんだよ、アンちゃん。殆ど髪が乾いてねぇじゃねぇかよ。俺が乾かしてやろうか?」
「……止めろ!!自分の髪に触るなぁ!!」
解かれた髪の隙間から、ウコン達とは違う形の耳を見られたくなくて、思わず声を張り上げると、ウコンの腕を振り払いながらその場に両耳を塞ぐように自分は座り込んだ。
「ア、アンちゃん!?」
髪を解かれたにしては明らかに過剰ともいえる自分の反応に、ウコンが取り上げた髪紐を手にポカーンとしていた。
それもそうだろう。普通は髪を解かれたくらいでこんな反応はしない。
自分の反応が、余計にウコンの不信感を煽ると分かっていても、雪山の中を歩きながら、口酸っぱくクオンに教えられた『人攫い』や『見世物小屋』に売られたらどうなるかという恐怖で、頭の中がグルグルして思考が定まらない。冷静な対応ができない。
(どうしよう!?どうしよう!?助けてクオン!!)
半ばパニックになり、ひたすら心の中でクオンに助けを求めていると、その声がクオンに届いたのか、気が付くと目の前にクオンが立っていた。
ウコンの頭を、自前の尻尾で締め上げるように自分と引き離しながら。
「クオン!!」
「姿が見えないと思ったら、こんな所でわたくしのハクに一体なにしてくれてるのかなぁあ!?ウ・コ・ン!!」
「いででででででで、ネェちゃんちょっとたんま!たんま!!」
クオンは自分の髪が解けているのと、自分が使っていた髪紐がウコンの手にあるのを見て、一瞬青い顔をした。が、すぐに気を取り直し、ウコンを締め上げている尻尾の圧を強めた。
「うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ー……!!」
結果、高級と言われる楼閣の風呂場前の廊下から、男の野太い叫び声が各方面に響き渡り、他の面々も駆けつける騒動になり、ウコンからの追求は有耶無耶になった。
そんな事があったので、翌日の帝都観光は朝から警戒してビクビクしていたのだが……仕事の都合でウコンは不参加。代わりにネコネが自分達に帝都を色々と案内してくれることになった。