Dream

□イチゴジャムを如何
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まるで床にイチゴジャムをぶちまけたような光景だった。と書くと、その悲惨さが幾分和らぐだろうか。
その表現のままに説明を続けると、彼が手にしたバターナイフはそれはもうジャムでベトベトで酷いことになっており、既に『出来上がった』トーストへとあらん限りの力を込めて包丁を突き立て、それを切り分けていたのである。ああ、やだやだ、猟奇殺人だ。切り分けたそれはどうするのだろう。やはり闇市にでも売り飛ばしてしまうのだろう。
知りたくもないが、恐らく原因は私だ。私のような気がする。しかし残念ながら思い当たる節は全くない。
どうしてこんなことになるのか、そもそもこんなことをして外へバレやしないのか。様々な思うところはあるものの、なかなかどうして彼は立ち回りが上手い。そして弁も立ち財力もある。
むせ返りそうなイチゴの香りの中で、一つの事件を揉み消すなんて彼の手にかかれば朝飯前だという結論に至った。

「お言葉ですがガノン様。」

そのトーストはお得意先の花屋の若い店主ではありませんか。
このような綺麗な花をこれから私は何処で買えばいいのですか。

そう問うと、パンの耳どころか足までも切り落とすおぞましく陰惨な音が漸くし、止んだ。彼が振り返ると顔やら服やらにイチゴジャムがベットベト。それはもう目を背けたくなるくらいであった。
物的欲求の強い子供の癇癪を酷くするとこんなことになるのだろうか。だとしたらツインローバ様はどうやって彼を育てたというのか。どう育てたにせよ決定的なのは完全に育て方を失敗していることだ。それも大失敗だ。どうせ甘やかしたからこうなったに違いない。少しは反省をしてほしい。
彼はトーストを一瞥すると、私の手の内に収まった花束を見た。トーストが、否、花屋の店主が魂込めて愛情注いで咲かせた花である。美しいその花に向けられている視線は、明らかに憎悪だ。

「この花が?綺麗?」

一歩、彼が歩み寄るので、思わず一歩退がる。どうやら相当怒っているらしい。目が本気だ。反語で「綺麗なわけがない」と言いたいのだろう。もっと言うなら「今すぐ捨てろ」と言いたげだ。
それにしても、この人はこんなにも花が嫌いだったのだろうか。私が「花瓶に生ける花があったらいいのに」と呟いたときは、まるで花畑が作れるような量を部下に買ってこさせたというのに。
顔を伺うと瞳孔が細められた。答えを促されているような気がする。

「まだ分からないと?」

分かるわけがないでしょう。と、喉を出かかった言葉を飲み込 む。
前回はパン屋さん。その前は街ですれ違った青年、その前は足にすり寄ってきた犬…その前は、もう思い出したくない。無差別だ。殺人現場に遭遇して、なぜどうしてと問いただす私に彼は決まってこう言うのだ。「まだ分からないのか」と。今回も例に漏れることはなかった。
一体何が分からないというのか、こっちの方が分からないことだらけだというのに。不満げに見上げると、相手は手詰まりだということを悟ったようだ。

「もういい。」

言うと、床に凶器を放り投げる。再びこちらを見下ろして、溜息を吐いて部屋を後にした。

……お片付けは?
もういい、という言葉が引っかかったまま、しかし今はこの散らかしっぷりをどうにかする為に、私は掃除をするしかないのであった。

「子供じゃないんだから、後片付けくらいしてほしいんですけど……。」

私は溜息をついて、ちり取で取った店主だったものを持ってきたゴミ箱へ全て流し入れる。この花は花瓶に生けたらきっと、もっと綺麗に見える筈なのに。名残惜しそうに店主の上に置き入れてゴミ箱の蓋を閉める。手向けの花になってしまった。
それから、バケツいっぱいの水を床に流してブラシで擦る。この赤い色はイチゴジャムの色で、彼の色だ。
……私はたまに、この色が嫌いになりそうになる。そんなことを言ったら、私もイチゴジャムになってしまいそうだから、独り言でも口に出すのはやめた。
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