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□浚叡の鸞
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[美人な追っ手なら歓迎します]
私と椿が出会ったのは、私が薬を商いに日ノ本を行脚していた時だった。
当時、私は戦によって疲弊した村村を渡り歩いていた。自分で言うのも何だが、神農のような華陀のような、そんな役割を自分の中に感じていたのだろう。回りの妖怪たちは「人間のために働き回る変わり者」と笑うものが多かったが。ただ、昔からの付き合いが有る漣の旦那と、灯戸の棟梁だけは私を後押ししてくれた。
そんな折り、私は一人の女性に会った。それが今の妻なのだが、これがなかなかに厄介なじゃじゃ馬だったのだ。
「銀先生、わざわざすまんね」
「いいえ、そだい(そんなに)気にせず」
「んだが。あんがとなぁ」
今日もいつも通り患者を見て薬を与える。人間の病など妖怪の私たちから見たら些細なものである。少し医術と道術をかじっただけの私でさえ「気」という流れが見えるゆえか簡単に治ってしまう。ーーこれは多分私の家の血のせいだろうねーーしかし妖怪なら「まぁまぁ、当たり前の域」というのも、人間にとっては「神仙が現れた」とでも思うのだろう。気がつけば、私はいつの間にか風の噂により追われる身になっていた。日ノ本の権力者が必死に私を追っているというのだ。
「銀先生、あんたは儂らなんかほっといて王様を治さなくて良いんだが?」
「命有るものは必ず終わりが来ます。残念ながら私は全員を治す気概は無いし治す気も無い」
「よく分からんよ」
「追っ手を差し向けて来るような人を治したくなんかないので」
「はぁ…儂ら百姓には分からんずね。媚びるのが仕事みたいなもんだっけず」
「私が変わり者なんです」
二人してハハハ、と笑う。すると遠くで私を呼ぶ声がした。声が焦り慌てる様子から早速逃げる準備をした。
「先生! なんか沢山人が来たよ!」
「では、ばあさん。ほいな」
「先生は忙しいっけずね。また頼みます」
患者にいつものように手を振り家を出る。目の前には輿を担いだ大層な行列が迫り来ていた。私は家の裏手に回り、そのまま気配を消した。呪を唱え、陰に潜み私はその場をあとにした。
ある程度、人を巻いた後でホッと一息付く。私は自分の力を過信していたのだろうね。妖怪は人間より優れているから、簡単に逃げ切れる。まぁ、地力では負けないだろうが世の中には研鑽という言葉もある。悪さをした鬼を退治した人間もいると言うのをスッカリ忘れてしまっていた。私が悪さをしていた訳じゃないけど。首筋にひんやりとした嫌な感じに思わず呟いた。
「参ったな」と。
「神妙にしろ、帝がお待ちだ」
声の主に思わず驚いた。なんと女性だったのだから。しかも追っ手というのは日ノ本で一番偉い人らしい。恐る恐る振り返る。これまた驚いたよ。なぜならその女性というのがなかなかに美人だったものでね。ボケッと見とれていると美人が言った。どこでばれたのか分からないが「ばけものめ」と私を罵っていた。
「申し訳ないが人違いではないかな」
しれっと返してみると、美人は言った。
「あいにく証拠は取れている。なかなか捕まらない獲物のために帝が間者を使わぬはずが有るまい」
「困ったね。私は違うと思うよ」
「銀先生、とあの者らは呼んでいたな。お前が投降せぬなら私はあの村を焼き払う所存だ」
「……おやおや。随分苛烈だね」
美人が怖いことを言うと洒落にならないけど本当だよ。所詮私は人とは違う故、いつでも逃げる算段は出来ている。種族も違えば、考え方も違う。だから他人が焼き討ちの被害に遭うくらい別に屁でも無いわけだ。しかし、私にもちょっとした独占欲が有るため自分の関わったものを取られることは少しだけ癪に障るのだ。
「取り合えず、その業物をしまってはくれないかい。そんな風に脅されては話し合いも出来ないよ」
「そうやって隙をついて逃げるつもりだろう」
「逃げたら君は村を焼くつもりだろう? そんな訳無いじゃないか」
説得を試みると、案外あっさり光るものをしまってくれた。「そうだな」と納得したのだろう。
「さて、私は銀之丞。君のことはなんとお呼びすれば良いのかな?」
「私は御座所の親衛隊、華神楽(はなかぐら)が二番隊、隊長だ」
「…名前を聞いたんだけど」
「化け物に名乗る名前はない」
彼女はそう言うと舌打ちをして私を捕らえんと縄を取った。が、私とて簡単に捕まってやるほど間抜けではない。烏は頭が良いというところを見せてやろうかな。
「さぁて、では隊長さん。君の名前を聞かせて貰えないかな。そしたら帝の望みを叶えてあげようか」
「ゲスめ! 不意打ちとは卑怯だ」
「無抵抗の女子供、はたまた老人相手に虐殺宣言する君よりましじゃない?」
「くっ…」
彼女は少しばかり恥じ入ったように顔を背けた。今彼女の置かれている状況は実に面白い。相手を縛るはずだった縄は自分に縛され、なおかつ逆さ吊りという屈辱的な格好。女性に対して少々やり過ぎかと思ったが、どうやら的確だった様子だ。さんざんなほど、心にグサグサ刺さる棘の有る言葉を投げつけられた後、ようやく大人しくなって呟いた。
「椿だ…」
「椿ちゃんね。生まれは? 後、年は?」
「浜の東…谷あいの村だ。年齢は十九」
「谷あい…あの村には行ったことが有るよ。去年の夏に病人も何人か看たよ」
「それがどうした…」
「ん? 君がさっきの村を焼かないとも限らないだろう? だから人質だよ」
君の親類縁者ことごとく調べあげて、綺麗にこの世から消してあげる。と、する気もない癖にそんな台詞を言ってのけると御座所の親衛隊長も女だと認識した。
「やめてくれ」「何でも言うことをきく」と有りがちな台詞。何も言わないでいるとホロホロと泣き出してしまい、私は「冗談だ」と白状した。
「ま、これで分かったろ。若さに任せて大きな事言うとしっぺ返しがくるんだって」
縄をといて彼女に言うと、睨みつけて来た。さっきの涙は嘘だったのか? 得物はないが体術も達者な様で、私との間合いを瞬時に取った。私は感心したのと同じく呆れた。私だって妖怪の端くれ。人間ごときに遅れは取れない。お嬢さん相手に卑怯だと思うけど、初歩的な傀儡の術を使わせてもらった。
「あいにく、残念だけどちょっと大人しくしてほしいんだよ」
「なにっ!? 体が! ばけものめが…」
この状況でまだ闘おうとするから私は溜め息を吐く。
「君って頭が悪いのかい? 私は君が名乗りさえすれば言うことを聞くと言ったんだ。帝の病なんか知ったことではないけど、君は仕事に私情を挟むほど愚かなのかい?」
「妖怪め…女を拐かす悪しき者に私は屈したりしない!」
「なんか今重大な話を聞いた気がするけど…君って何が誤解してる?」
再び大きく頭を抱える。どうやら彼女も興奮して話をする気はないらしい。取り合えず、私は彼女を術で眠らせて芦屋に戻ろうかと思った。
「あ、これじゃ彼女が言った通り本当に誘拐犯だ」
今さら後悔しても遅いが仕方がない。私は風に乗って予想以上に早く帰省した。
出迎えてくれた漣の旦那と灯戸の棟梁に「嫁か?」と言われたが笑って誤魔化した。