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□浚叡の鸞
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 私には昔、姉同然に親しかった人がいた。その人は変わり者で、いつも一人だった。しかし何が変わっているのか私には分からず、ただ物静かで優しい人という印象だった。見た目は普通だし、村の人々も普通に接していた。一度私は聞いてみた。

 「何故一人になりたがるの?」
 そうするといつも「待っているの」と言った。
 「何を?」
 返事はない。彼女はいつものようにただ、優しく微笑むだけだった。
 あるとき村の長に聞いてみた。

 「なぜ何も悪いことしてないのに関わろうとしないの?」
 長に幼心に思った事を伝えると、とても悲しげな声で言われた。
 「あの子はもう、あやかしに目を付けられたんだよ。あの子の心も村から離れておる」
 「じいちゃん、あやかしって?」
 「さあね。ただ、抗えないのは人だからさ。そして二度とは戻ってこない」
 溜め息を吐く長は、悲しげな視線を彼女に向けていた。
 私はその深い落胆の様子を一生忘れることは無いだろうと思った。

 しばらくして姉さんに縁談がきた。彼女は16歳だった。そしてその相手は隣村の領主の子息だった。何も知らない彼女の親はとても喜んでいた。もちろん私も。
しかし、当の本人は無表情で、始終うつむいていた。

 「姉さん、よかったね」
 「そうね」
 「羨ましいよ。だって偉い人の奥方になるんだろう」
 「うん。うれしいわ」

 彼女はやはり笑っていた。けれども、その表情は悲しそうだった。

 ある日のことだった。村に旅人を名乗る者がきた。男だった。
精悍な顔付きで、筋骨隆々という体つき。話をしても楽しい。数日もしないうちに村の者は彼を受け入れた。
誰もが話をして笑顔になる。ただ、姉さんは何も言わなかった。

 「姉さん、あの人とっても素敵だね」
 「椿はあの人が好き?」
 「あんな人が旦那さんならいいなぁって思ったよ。あ、でも姉さんには許嫁がいるもんね」
 「…そうね。私にはもう旦那様になる人がいるから好きにはなれないわね」

 はぁ、と小さく溜め息を吐く。姉さんの気持ちなんか微塵も理解できない幼い私に、その意味は分からない。お金持ちと結婚できる姉さんはすごい、という単純な思考しかなかった。
 だから、あんなことが起こるなんて考えもつかなかった。
 
 ある夜の事だ。姉さんにとっては、もうすぐ祝言が間近に迫っていた日。月が綺麗に顔を出していた。
彼女は家を抜け出し、そしてそんな彼女を私は見つけた。
声を掛けようと思って止めた。何故なら彼女はいつもののんびりとした雰囲気を消して、ひどく険しい顔をしていたから。
代わりに私は姉さんを追いかけた。気付かれないように忍び足で。
何度も後ろを振り返る姉さんに気を付け、隠れながら私は追いかけた。
森の奥だ。
いつもいる場所から少し離れた社の中だ。話し声がするがうまくは聞こえなかった。代わりに段々と静かになり、やがて呻き声とも泣き声ともつかぬ声が聞こえた。
恐ろしくなった私はその場から動けず、姉さんが出てくるのをただ待っていた。
しかし、代わりに出てきたのは例の旅人の男で、姉さんはその腕に気を失って抱かれていた。
驚いた私は思わず息を飲んだ。そして不思議なことに、男は人間ではない別の生き物のような姿に見えた。
まるで獣のようだった。犬のような、蛇のような…。
私には分からない。
ただ、何か私たちとは違う。

 「化け物だ…」

 思わず呟いた言葉を、男は拾った。

 「ほう、子供か。誰だ」
 「ひっ…何で、そんな遠くなのに…」
 「俺は耳が良いんだ。鼻も利く。化け物とかいったろう。名前は?」
 「…椿」
 「椿か。お前さんに伝言がある。この女は貰っていくと村の者に言ってくれ」
 「何を言っているの? 姉さんはもうすぐ結婚するんだよ!」
 「……」

 止めようと大声を出す。しかしすでに気配も無く、社の踊り場に立っていたはずの男はそこにはもういなかった。

 「そんな…」

 私は走った。ただ、恐ろしかった。私は何よりもまず村長の家の戸を叩いた。
夜半に関わらずドンドンドン、とうるさいくらいだったから長も最初怒り顔だったが、顔を真っ赤にして涙でぐしゃぐしゃになった私を見て驚いていた。

 「姉さんが…連れていかれた」
 「なんじゃと?」
 「あの男に…化け物に!」
 

 *
 

 「姉さん…いかないで」
 

 起きたと思って彼女を盗み見ると、ただの寝言だったようだ。無理矢理連れてきてしまったが、気を失っているし見ないふりをしよう。
付かず離れずの距離で仕事しつつ、様子を見ていると灯戸の棟梁が手を振りながら遊びに来た。

 「まだ目を覚まさないのか?」
 「良いんですよ。目覚められても困りますしね」
 「それもそうだな」

 にかっと笑う棟梁に私も「えぇ」と頷く。
今は仕事中で、彼女が言う帝の薬を調合している。何種類もつくり、それを一月ずつ試させるのだ。
病が一瞬で治るなど有り得ないのだから当然期間が長引けば、材料も必要になる。
上薬を探すのは人界では一手間だろうが生憎、この芦屋ではそこら中に転がっている。
  たかが名前ごときで受けたくもない仕事をするなど(それも人間の依頼など…受けた時点で私はきっと疲れていたんだと思う)私の気持ちに反するが、約束は破らない主義だ。

 「それにしても日ノ本の帝も図々しいな。本来なら頭を垂れて、「お願い」するのが主義ってもんだろう。それが刺客を放つなんて信じられねぇな」
 「まぁ、一応日ノ本の長だからしょうがないんでしょう。それに私たちとは違って早々に年老いて行きますし。足腰立たないってのは辛いですよ」
 「うちの親父なんか五百を超えて、まだぴんぴんしてるけどな」
 「それはお前さんの親父だけだよ」

 背後から声がして、ぬっと現れたのは白もじゃ頭の旦那。こちらも様子を見に来たらしい。

 「この人もなかなか目覚めませんね。銀之丞、術以外になんかしたんじゃないのかい」
 「さぁね。どうも私は不器用ですから」
 「そうか? 言った側から起きたみたいだぞ」

 灯戸の棟梁が腕組みし、顎でそちらを指した。
 
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