LOST

□LOST
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雨でぬかるんだ地面に這いつくばったまま、必死に手を伸ばした。

爪の先で何度も引っ掻くが、泥ばかりであと僅か届かない。





『それなに?』


『これか?エボニーについていたオマケだ』


『小さいエボニー、可愛いね』


『いるか?』


『いいの?』


『こんな物でよければ』


『ありがとう!大切にするね』


『主人公が付けるなら、オレも何かに付けよう』


『お揃いだね』





身体を起こす力はない。

千切れんばかりに懸命に伸ばした指先が、ようやくそれを掴んだ。

愛おしそうにそれを胸元に引き寄せて握り締める。




冷たい雨は、容赦なく体温を奪っていく。






LOST







王都城を出てすぐのいつもの場所で待っていると、見慣れた車がハザードをあげてゆっくりと路肩に停車した。

植え込みのコンクリート壁に半分腰掛けたまま見ていると、窓が開いて運転手が顔を出す。





「待たせたな」





その言葉に微笑みながら首を横に振って返事をしてから、助手席に乗り込む。

運転手は助手席のシートベルトを確認してからゆっくりと発車させる。





「今日もお疲れ様」


「ああ。今日オレたち警護隊は、慣れない訓練が続いて結構疲れたな」




イグニスは既にドリンクホルダーに収まっていたエボニーを手に取ると、クイッと一口飲んだ。

仄かにコーヒーの香りが車内に漂う。




「そっちはどうだったんだ?」




イグニスは進行方向を見たまま、隣の主人公に話しかけた。




「こっちは…王の剣は、相変わらず。帝国からのお客様のオモテナシ」


「全く、迷惑な客だ」



イグニスは皮肉に皮肉で返すと、苦笑する。





「だが、主人公。くれぐれも気を付けるんだぞ。本音を言えば、オレは主人公に王の剣を今すぐにでも、」


「分かってるよ。いつも心配ありがとうね。でも大丈夫だからさ」



毎度口にする心配を途中で遮るように、主人公は返した。


イグニスはそれ以上は何も言わず、右手をハンドルから離すと助手席の主人公の左手をそっと握った。




「心配なんだ」




主人公は視線を落とし、重なった手を見つめる。

イグニスの手は、主人公がこれまでに触れてきた中で、一番あたたかい肌だ。

それは、ただ体温だけの問題ではなくて。

ただこうして手を重ね合うだけで、充足感に満たされる自分がいる。


ああ、自分はこの人を途方もなく愛しているのだと。




「イグニス、」


「どうした?」



名前を呼べば、優しい声で応えてくれる。




「お腹減った」



拍子抜けの予想外、と言いたいところだがイグニスの中では想定内のこの言葉に、口元が綻ぶ。




「じゃあ、今日はどこかで食べよう」



イグニスはアクセルを軽く踏み込んだ。






***






「主人公」


「お呼びですか、ドラットー将軍」



上司に呼ばれ駆けつけると、こちらに背を向けて窓際に立っていたドラットーがチラリと振り返った。



「用があるのは俺ではない」


「…と、言いますと?」



ドラットーはこちらに向き直り、ゆっくりと歩み寄ると、後ろ手を組んだまま話を続ける。



「ある高官からの伝言なんだが」


「高官、ですか」



そんな人が、王の剣の末端の自分に何の用なのだろうかと考える。



「お前は警護隊のイグニスと親しい仲だそうだな」


「……仮にそうだとして、それが何か」



ドラットーが何を言いたいのか測れず、主人公は不審そうに聞き返した。



「警護隊とは言え、イグニスは王子の側近だ」


「はい」


「お前は知っているのだろうな?」


「何をですか?」



真横に並んだドラットーが視線を合わせずに強い口調で尋ねる。



「イグニスには幼いころに決められた許嫁がいると」



ドラットーの口から飛び出した言葉に主人公の心臓がびくりと跳ねたが、それを表には出さない。

主人公の返事を待たずに、ドラットーが続ける。



「お前たちが懇意にしていることが許嫁の耳に入りでもしたら、迷惑を被るのはイグニスだ。分かっているな」


「…はい」


「どうすべきかも、分かっているな」


「…」



最後の問いに、主人公は答えなかったが、ドラットーは続ける。



「分かったら下がれ。ある高官からの伝言、俺は確かに伝えたぞ」



そうしてドラットーは視線を合わせないまま言い終えると、手の甲を扉の方へ振って退室を促した。




「…失礼します」



主人公は促されるまま一礼をして静かに部屋を出た。







それから王の剣の休憩所まで戻る間の記憶はない。

気づいた時には、休憩所の簡素な椅子に座って項垂れていた。


イグニスに許嫁。


王家に仕えるスキエンティア家だ。

そういう話があることは予想はつく。

しかし、イグニス本人ではない外部から告げられたことに、言いようのない思いが心を支配する。



イグニスからそんな話は聞いたことがない。

隠しているのか、それとも…。



「おいおい、どうした?そんな顔をして。変な物でも食ったのか?」


ハッと顔を上げると、同僚のニックスが顔を覗き込んでいた。

からかうように笑いながら肩を軽く叩かれ、主人公も小さく笑って返す。



「そうならいいんだけど」



どうやらただ事ではないと察したニックスが、表情から笑みを消した。



「まあ、あれだ。明日はお前休みだし、美味い物でも食ってゆっくり休めよ」


そうしてあやすように肩を二度叩いて立ち上がったニックスは、「何かあったらいつでも言えよ」と声をかけて休憩所を出て行った。




『どうすべきかも、分かっているな』




ドラットー将軍の言葉が脳内に響く。


答えは簡単だ。

自分が身を引けばいい。

だけど、言葉にするには簡単でも、行動にうつすのは難しい。

今更、離れ難い。

イグニスとの別れを想像しただけで、身が引き裂かれそうだ。


胸元に手を入れて首にかけたチェーンを取り出す。

その先端に揺れるエボニーを模したチャームを見つめながら、深い溜息を吐いた。





***





「主人公、すまない。明日なんだが急用が入ってしまった」



いつものように連れ立って主人公の一人暮らしの部屋に戻り、イグニスが作った夕飯を食べながらの会話だった。



「そっか、残念。休日出勤?」


「いや、まあ…そんな所だ」


少し言い淀んだイグニスがグラスの水に口をつける。



「あまり無理をしないようにね」


「ああ。心配ない」



何かを予感したが、主人公は優しく微笑むとそう言うだけに留める。



「今夜は?」


「明日の朝はそんなに早くはないから、泊まっていく」


「そう」



短い会話だが、いつもと違う空気が流れているのは確かだった。



その夜、ベッドのイグニスがいつもより情熱的だった理由を、この時の主人公はまだ知る由もなかった。





***






翌日。


昼前にイグニスは出掛けて行った。

主人公は玄関先で見送ると、静かに閉まったドアを暫くの間ぼんやりと見つめた。



ふいに、普段はあまり鳴ることのないスマートフォンが震えた。

画面に表示されたニックスの名前に、通話ボタンをタップして耳に当てる。



「はい、主人公」


『主人公か、ニックスだ』


「ニックス、どうかした?」


『言おうか迷ったんだが、』


「何?」


『お前が悩んでいる理由と関係あるのかもと思って』



少し言いづらそうに、ニックスが静かに話す。



『今、王都ホテルの前を通ったんだが・・・例の警護隊の奴が今ホテルのロビーにいるぞ』


「そう…じゃあ、切るね」


『あ、おい、』



ニックスの言葉の途中で、主人公は通話を切った。


王都ホテルで何をしているのか。

王子のお供か何かだろうか。

もしそうならば、ニックスがわざわざ連絡をよこす筈はない。


知りたいようで知りたくないのが正直な気持ちだったが、気づいた時には部屋を飛び出していた。





***






「これはこれはイグニス君。立派になって」



中年の男性がにこにこしながらイグニスを褒めた。

その隣に並ぶ見目美しい若い女性も頷きながら俯き加減で微笑む。



「いえ、勿体ないお言葉です」



正装をしたイグニスが、頭を下げて謙遜をする。



「さあさ、座って」


「はい、失礼します」



促されてイグニスはソファに腰を下ろした。



「早速なんだがね」



恰幅のいい男性が身を乗り出して話を切り出した。



「今度ノクティス王子の婚約が決まったと聞いてな。それが無事に済んだら、次は娘とイグニス君も…分かるね?」



イグニスはテーブルのコーヒーカップを見つめたまま動かない。



「イグニス様。私は小さい頃よりずっとこの時をお待ち申し上げておりました」



向かいに座る娘が、赤みのさした頬で穏やかに話す。



「…ありがとうございます。私には勿体ないお話です」



静かに顔を上げたイグニスが、微かに笑みを浮かべた。








主人公はガラス越しに遠目からその様子を見る。

話の内容は分からないが、おおかた予想はついた。

一緒にいるのは、ドラットー将軍の言っていた許嫁に違いない。

和やかに微笑み合う二人が見える。

主人公は口をつぐみ踵を返すと、そのまま静かに雑踏に消えた。





***
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