長編小説

□Lost Piece
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玄関の扉が開かれ、真っ先に目に入ったのは八畳ほどありそうな広い玄関ホールだった。

「靴箱はそちらです。空いているところに入れてください。スリッパはここにあるものをどうぞ」

テキパキと説明をする男の言われるがまま、靴を履きかえる。

「あ、まだ名乗っていませんでしたね。あなたがなにも聞かないから忘れていました」

俺のせいかよ、の言葉を呑み込んで男の言葉を待つ。

「有栖川家本邸の管理および有栖川家別邸の家令を務めている柾樹といいます」

穏やかな笑みを浮かべている男こと柾樹は次はあなたの番だと言う様に、どうぞと促される。

「俺の名前は理人です」
「知ってます」

さらっと流されたことにより、頭にくる。
だったらあの合図はなんだったんだ、その無駄な柔和な顔はなんなんだ。
中身は真っ黒でその表情は業務用とでもいうのか?
性質が悪いではないか。

「あ、真凛!ちょうどいいところに」
「なに?」

柾樹が呼び止めたのは、どこかの雑誌で見かけたことがありそうなほど綺麗な顔立ちの人だった。
女性か男性か判断がつきにくい。

「新しい住人です。私はこれから仕事があるので、後は任せてもいいですか?」

わざとらしく腕時計を見る柾樹。
こくりと任された人が頷くのを見て、柾樹は一度俺の肩を叩いてから入ったばかりの家を出て行った。
残された俺は、玄関を見つめている人に視線を向ける。
こちらに顔を向けた人はやっぱり綺麗な顔立ちをしていると、改めて思った。

「きみ、名前は?」
「あ、えっと……理人、です」
「理人。ぼくは真凛。見たところ、きみと一番年が近そうだ」

真凛と名乗った人は、名前は女性らしいが声を聞く限りだと男性だと感じた。
すらりとしたスタイルと、指先まで手入れの行き届いた清楚な真凛はどこか儚げな印象を受ける。

「男、ですよね?」

俺はつい気になって聞いてしまった。
失礼だっただろうか?
しかし、表情を変えることはせず瞬きを一度してから頷いた。

「この家には四人の住人がいる。今日からはきみを含めて五人だけど、一人女性がいてあとはみんな男性だよ」

真凛が歩き出したことで、俺もそれについていくことにした。
背筋が綺麗で、まるでランウェイを歩くモデルの後ろを歩いている気分だった。

真凛はとても静かに歩く人だと思った。
俺がスリッパの音を立てても、真凛は一度も立てていない。
同じものを履いているはずなのに、不思議だ。

「ついた」
「え?」

全然周りを見ていなかった。
いつの間に辿り着いていたのは、温室だった。

中へ入ると、見たことない花が生き生きと咲き誇っていた。
俺があちこち視線を這わせている間に、真凛は迷わず歩いていく。
そして、ちょうど花に水をあげていた少年に声を掛けた。

「あ、真凛さん。なにか御用ですか?」
「新しい住人が来たから、挨拶に。今いい?」
「はい。大丈夫です」

真凛とは全くタイプが違う。
同じように綺麗な人が二人もいたら俺が気まずいけど。
少年はお辞儀をして右手を差し出しながら挨拶をする。

「はじめまして。僕はアサギといいます。主に庭仕事をしています。花に関することなら、なんでも聞いてください。大抵この温室にいますので、たまに遊びに来てくださいね」
「理人です。よろしく、アサギ」

手を握り返し、軽い挨拶をする。
童顔だから年下だと勝手に判断したがまさか年上ってことはないよな?
ため口でも、アサギは気にした様子はなくまた花の世話をはじめてしまう。

「次、行こう」
「え、あ、はい」

真凛もあっさりした感じだ。
ここの住人は必要以上に他人と関わらないのだろうか?
まだ、わからないことばかりである。

隅々まで掃除が行き渡っているのか、窓の枠にも埃がない。
高そうな絨毯が敷かれた長い廊下を進んでいくと、いい香りが徐々に辺りを包み込んでいった。

真凛はたくさんある扉のうち、迷わず一室を開く。
その部屋の扉が開かれた瞬間、廊下に漂っていた匂いが一気に鼻腔を通り抜けて肺を満たす。
腹の虫が鳴りそうなほど、美味しそうな匂いだ。

「亮。今、いい?」

真凛も背が高いとは思っていたが、それよりも更に背の高い青年がこちらを振り向く。
煮込んでいたスープはちょうどできたようで、火を止め蓋をした。
エプロンをはずして、こちらに歩み寄る。
すぐ前まで来ると、背の高さの割には小心者なのか少し猫背気味に思えた。
真凛のように背筋をのばせば、もう少し背がありそうだ。

「新しい住人の理人」
「はじめまして。よろしく」

一向に視線を合わせようとしない青年。
そして、ぼそぼそと聞き逃してしまいそうな声で話しはじめた。

「亮、です…………料理、作るの好き……なにか、食べたいのあったら…………そこのボードに書いて、ください……よ、よろしく」

亮と名乗った青年は、やはり見た目より小心者なのだろう。
おどおどとしていて、話をするのは苦手なように思えた。

震える指先で示した場所には、ホワイトボードが掛けられていた。
今週の献立の下には、食べたい物リストと書かれた欄が設けられている。
誰かが書いたのか、魚というのがあった。

「あんな、魚とかでもいいの?肉とか書いてもいいの?」
「あ……うん。特に、食べられたらいい……って感じなら…………こっちで、考える」
「そっか」

こくりと頷く亮はなんだか可愛い弟を見ているようだった。

「好きな、ものあったら……教えて…………あと、誕生日……」
「誕生日?」
「う、うん…………誕生日は、特別……だから、好きな物たくさん、作る……」
「わかった。今度、みんな揃った時にそんな感じの話をしてみたいな。その時でいい?」
「いいよ」

ようやく笑みを浮かべた亮には、八重歯があった。
大型犬なのに、どこか子犬のような面影のある人だ。
仲良くなれたらいいな、なんて俺は密かに考えていた。
 
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